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君がつくった美しい君に会いたいの

2022年2月15日。七五三掛龍也くん、入所13周年、おめでとうございます。また今年も今日のこの日をお祝いすることができて、とても嬉しい。13年の長きにわたり、無数にある選択肢の中からアイドルの道を選び続けてくれて、ありがとう。まるで定型文みたいだけど、今日しめちゃんに一番伝えたいことは、やっぱりこれに尽きる。私がしめちゃんに出会えたのも、しめちゃんのことを好きになったのも、しめ担を名乗っているのも、しめちゃんが幾度となく重ねた選択の地続きにあることだから。

アイドルは、パフォーマンスのみならず、自身の人間性や生き様までもを愛してもらう職業だ。だからこそ、アイドルとファンの関係性や、ファンとしての在り方について考えることも多い。入所日によせて、ここ最近のしめちゃんとしめ担のことを改めて考えたときに、思い浮かんだキーワードは「愛」と「信頼」だった。

その「愛」と「信頼」について、私が真っ先に思い出すのは、POTATO12月号でしめちゃんが語っていた「しめ担の特徴」のこと。しめちゃんは、しめ担について「一生懸命に応援してくれて、何があっても見放さないでくれる」と言ってくれた。私はそれが嬉しくて嬉しくて仕方なかったし、何よりも大きな信頼だ、と感じた。

過去、しめちゃんは、ファンの思い描く「理想の自分」を、ファンのために崩さないようにしていたという。美容も髪型も「ファンのため」だと言い切っていた。これは、間違いなくしめちゃんの優しさに他ならないけれど、たくさんいるファン全員の好みを一度に叶えることは、物理的にできることではない。ファンの数が増え、裾野が広がると、余計に。そもそも好みというもの自体が、人それぞれの思いであり、千差万別としたものだから。そんな中で、何が正解なのか、と言われると、しめちゃん自身の選択そのものが全て正解なのだと思う。

これはあくまで私の考えでしかないけれど、私がしめ担でいるときの思いは、そんな感じで。しめちゃんが、自分のことを、自分自身の気持ちを、何よりも一番大切にできるように、そんな心持ちでいられるような環境であるように。特にこの一年、そんなことばかり考えていた。

だから、しめちゃんが、しめ担について「何があっても見放さないでくれる」と言ってくれたことが、私は嬉しかった。そして、6月のしめまる定期更新で、自分のやりたいことをする、という意思表示をしてくれたときのことを思い出していた。

近頃のしめちゃんとしめ担は、「かわいい」と「かっこいい」の択一に直面することが度々あった。その度に発信してきたことではあるけれど、これは「かわいい」か「かっこいい」か、というよりも、「自分軸」か「他人軸」なんだと思っている。「かわいい」でも「かっこいい」でも何でも、しめちゃんが「自分軸」でそれを選び取って見せることができているのであれば、誰が何と言おうとそれが正解だ。正直、何度もこの二者択一を外から求められるたび、どちらかを選ぶことによって、どちらかの概念にしめちゃんを縛り付けてしまったらどうしよう、ファンの気持ちを汲み取ろうとしてくれるのは嬉しいけれど、それで疲れてしまったり自分の意思を二の次にしてしまうことになったらどうしよう、と危惧していたところがあった。でも、今のしめちゃんを見ていると、きっと、いろいろな意見を見聞きしたとしても、「自分が」どうしたいかきちんと考えて、自分の意思でそれを選び取るんだろうな、と、思っている。

それは、DUET12月号の「キャラを守らなきゃという意識が消えて肩の力が抜けた」という言葉にも表れている。自分を印象付けるために自身の持ち味やコンプレックスと向き合い、キャラ付けをして一点突破で突き進み、それを貫いていた強さは、とても気高くて美しいと思う。でも、包み隠さず見せるしめちゃんの自然体の姿だって、とてもとても美しい。そして、しめちゃんが、それを見せられる、見せてもいい、という心持ちになれたことが、何よりも嬉しかった。

しめちゃんは過去からストイックに自分磨きもしてきているし、今も昔も変わりなく「見られる自分」に強く意識を置いていると思う。ただ、今は、そこに純粋な自分自身の意思を介在させることや変化すること・させることを恐れなくなったような印象がある。

しめちゃん、今、美容や自分磨きが楽しいんじゃないかな、と、思う。自らの手で、自分の「好き」や「理想」を実現させていくことが。しめちゃんの憧れの方々の姿を思うと、彼は自身の年齢を味方につけて、確実にその理想を叶えているように感じる。しめちゃんが「自分」を好きでいられて、一番好きな自分でいられていたらいいな。「100個近くコンプレックスがある」と語っていたしめちゃんが、今、「自分」を包み隠さず堂々と見せている姿を見ると、胸が熱くなる。そして、私は、そんなしめちゃんの「今」を、より魅力的に感じている。

しめちゃんはしめまるで度々私たちに「教えて!」と呼びかける。肌荒れの理由、おすすめの音楽や作品、簡単に作れるお料理。いろいろなことを「教えて!」と言う。私自身は、どうにも気恥ずかしくてタグを付けてお返事をすることはできていないのだけれど、その呼びかけの理由についてはエゴサの一環かな、と思うぐらいで、今まであまり深く考えたことはなかった。

そんな折に、ネットに書かれている情報よりも信頼できる相手からの情報を大切にしている、美容情報もネットから仕入れるのではなく皮膚科の先生に聞いている、という話を聞いて、最初は、何でプロのお医者さんから教えてもらえるのに、私たちに肌荒れの理由について意見を求めてきたんだろう、と、不思議に思っていた。

でも、それについて考えていくうちに、ある考えに思い至った。それは、しめちゃんはしめ担のことを「信頼相手」の懐に入れてくれているのかもしれない、ということ。

SNS上でのこちら側の発信は、直接届けようとしているものではないから、届いていない前提でいてくれればいいな、むしろ見なくてもいいよ、というのが本音だけれど、今の世の中、きっとそうはいかない。オープンなSNSで発信していることはそもそも「見えている」ことが前提みたいなところもある。ただ、しめちゃんがタグを使って双方向のコミュニケーションを楽しんでくれている、ということなら、「見えている」ということ、「見ている」ということが分かった上で、しめちゃんに対して「届ける」ための言葉を紡いで受け渡すような形を取ることも、一つの在り方なのかもしれない、と思ったことだった。

「シブヤノオト」のときのビジュアル、前髪を分けた髪型に対して「かっこいい」という反応を得て嬉しかった、と語っていたことにも通ずるけれど、ポジティブな反応をしめちゃんの目に見える形で返すことで、しめちゃんが自分の意思や自分自身を肯定できたり、自信に繋げられるなら、こんなに幸せなことはない。もちろん、ネットの海にはさまざまな感情がたくさん流れてはいるから、ポジティブな反応以外の言葉だって目にすることはあるだろうけれど、今のしめちゃんなら、あらゆる言葉たちを見たとしても、自分を見失ったり流されたりするわけではなく、きちんと自分で考えた上で意思決定をするだろう、という信頼がある。だから、嬉しい言葉を嬉しいと受け取って、自己肯定感を高めてくれたら嬉しい。

これは、きっと、お互いの信頼に基づく愛の応酬。しめちゃんが、アイドルとして重ねてきた肌感覚としての「大丈夫」に、ファンの反応を自分の目で見ることで受け取る「大丈夫」。それらが積み重なって「信頼」になっていく。

しめちゃんのことを好きになって、ようやく3年と少々。しめ担を名乗りだして、もうすぐ丸3年。当初から今までずっと、しめちゃんのまっすぐな誠実さに心惹かれている。

しめちゃんは、相手に対して本当に素直に愛情表現をする。彼自身の内側に愛が満ち溢れていて、それで周りを包み込んでいるような。貰った愛をしっかり受け取って自分の中に取り込んで、その愛で大切な人たちを包み込む。「愛を与え、愛を抱きしめる」なんて、まさにその通りで。
しめ担に対してもそれは変わりなく、当初は、そのあまりにもストレートな愛情表現に驚いてしまっていた。でも、しめちゃんのまっすぐさや誠実さや素直さに触れながら年月を重ね、その愛を真正面から受け取り続けた結果、今、私は多幸感と安心感の中にいる。

これだけたくさんの幸せを貰っているからこそ、私が彼に返せることは何があるだろうか、と、よく思う。数字に貢献すること、お礼や要望のはがきやメールを出すこと、他にもファンとしてできることはたくさんある。それらももちろん大切なこと。でも、それと同じぐらい大切だと思うことがある。それは、しめちゃんにとっての一番の味方でいること。しめちゃんが「大丈夫」の心持ちでいられて、安心感を保つことができる存在でありたい。

しめちゃん。信じてくれて、愛してくれて、ありがとう。私はあなたのその気持ちに報いたい。しめちゃんが真摯に誠実にこちらに向き合ってくれているからこそ、私もしめちゃんに対して真摯に誠実に向き合いたい。しめちゃんが、自分の好きなことやしたいことをやっても大丈夫、自分の意思を貫いても大丈夫だと思えるようなファンでいたい。しめちゃんの選択や人生に責任を持てるわけではなくても、少しずつできることはしていきたいし、背中を押すことや、自己肯定感を上げるためのお手伝いだとか、そういったことができればいいな、と思っている。

2月11日、ミュージックステーションの生放送前に、15:30から始まったインスタライブ。冒頭で、しめちゃんが3時間前からメイクをしていて、インスタライブ開始直前にもお直しをしていた話がメンバーから出た。松倉くん曰く「バチボコにメイクしていた」。常々大一番のときにはビジュアルをマックスに仕上げてくるしめちゃんだけど、そこに今の高い美意識が乗って、お昼頃からバチボコにメイクするような気合に繋がったんだろうな、と思う。過去2回のMステ単独出演時と見せ方の方向性は大きく違うけれど、ぱっと目を引く美しさや、「今」の自身の持ち味や良いところを活かすスタイルであることは変わらない。そして、この姿が、今の彼が見せたい「アイドル・七五三掛龍也」の姿なんだな、と思った。

しめちゃんが、常に自分の一番好きな自分でいられるように。のびのびと心のままに、思い描く理想や憧れの姿を、しめちゃん自身の手で叶えていけるように。アイドルに憧れてアイドルになったアイドルのしめちゃんが、アイドルであることを心底楽しめるように。もうずっとこんなことばかり考えていたから、しめちゃんが、気合を入れて作った「今見せたい姿」のビジュアルで、初めてTravis Japanに触れる方々にたくさん「見つかっている」ところを見て、涙が出るほど嬉しかった。

やると決めたらとことん続けるストイックさ、弛まぬ努力を続けることのできる才能、いつ何時もアイドル然とした振る舞いを貫き、ファン目線を忘れないプロアイドルの矜持、誰に対しても誠実に接し、まっすぐに愛情表現をする様子、自身の「好き」や「憧れ」に素直なところ、ビジュアルとパフォーマンスでグループへの入口を担っている姿。好きすぎて考えすぎて煮詰まるたびに、しめちゃんの様々な素敵なところに触れては、彼なら大丈夫、と、思いを新たにする。この「大丈夫」は、「信頼」に等しい。しめちゃんがアイドルとして重ねた13年間の年月や、その間に積み重ねた努力と経験と自信、「今」の自分を常に見つめ、最高を更新していく自己プロデュース。これらがしめちゃんの核となり、きちんと足場を固めているから。

だから、14年目の一年も、信じた道をまっすぐに突き進んでね。しめちゃんの信じる「アイドル・七五三掛龍也」の道を。

しめちゃんが見せてくれるしめちゃんの姿は、いつだって美しい。美しくて、そして、とても愛しい。彼の中にある様々な美しさや煌めきの内、これだ、と思うものを、自身の手で選び取り、丁寧に磨き上げ編み上げて魅せるその姿も、内側から自然に滲み出るその誠実さや優しさや実直さも、それらを含んだ、その全てが。愛しくて、美しい、私の大切。これまでも、今この瞬間も、これからも。