原点帰り
前回、音楽との再会について書きましたが、音を聴く耳から、音が聴こえる耳に変わってから、確かに聴こえてくる音は、大きく変わりました。
特に、今までちょっと苦手だなと感じていた音に対しての、苦手意識がなくなったのには、本当に驚きました。
例えば、SAKEROCKの音楽では、それまでトロンボーンの音が際立っていることに、音がもう少し小さかったらいいのにと感じていました。
そうすれば、ギターやベース、キーボードの音がよりクリアに聴こえるのに、残念だなと思っていたのです。
それが、星野さんが話してくれた、「音楽を聴く、ではなく聴こえるという感覚」を意識した途端、なんと全体の音楽が、聴こえるようになったのです。
それには、本当に驚きました。自分の意識が変わっただけで、耳の感覚までこんなに変わるとは…音楽の聴こえ方がとてもクリアに、ひとつひとつの音が粒立って聴こえるようになったのです。
そしてもう一つ変わったのは洋楽です。
昔から母がクラシック音楽が好きだったのと、ヨーロッパの映画音楽が好きだったこと、音楽番組をよく見ていたこともあって、小さい時から、比較的洋楽に慣れ親しんでいました。
今も放送している、ミュージックフェアなどは、今でこそJーPOPの人たちばかりが出演していますが、私が小さい時は、越路吹雪さんや岸洋子さんといった、音楽学校出身の歌手の人たちが、よく出演していました。出演者も多くて3組。ひとりあるいは1組というのも珍しくなく。じっくり歌を堪能したという印象があります。
海外のアーティスト多く出演していて、オズモンドブラザースや、ダニエル・ビダル、アダモ、スティービー・ワンダー、レイ・チャールズ、ABBA、オリビア・ニュートンジョン、ジャネット・ジャクソンといった、一流アーティストが出演していたことを憶えています。
その時は、当たり前のように聴いていたのが、海外アーティストが出演する番組がなくなると同時に、JーPOPばかり聴くようになり、洋楽をほとんど聴かなくなってしまいました。
数十年も聴く機会がないままだと、聴こうとしてもスムーズには入ってきません。あれほど自然に耳に入ってきていた洋楽なのにです。それでも、むかしむかしの曲だと耳に馴染んでいで聴けますが、新しい曲となると、耳が苦痛を感じてしまい、いつの間にか、遠ざけてしまっていました。
ところがです。聴こえる耳になってからは、まるで身体に染み込むように、聴こえてくるのです。今では逆にJーPOPを聴くより、洋楽の方が楽なくらい。
これについては、裏付け的なことを、あとで書こうと思います。
こんな風に、耳の感覚が変わったと感じた同じ頃、星野さんが、映画「ドラえもん のび太の宝島」の主題歌、さらに挿入歌まで担当することになりました。
ドラえもんの主題歌のタイトルは、なんと「ドラえもん」今まで、何人ものミュージシャンが、ドラえもんの映画の主題歌を書いてきましたが、ひとりとしてタイトルを「ドラえもん」にした人はいませんでした。
実際、付けたいと思っても、なかなか主人公の名前をバーンとタイトルにするには勇気が入ります。
しかし、ドラえもんの映画の主題歌タイトルは「ドラえもん」しかないと確信した彼は、藤子さんサイドに交渉したと言います。やはり簡単ではなかったそうですが、藤子先生サイドが快諾してくださり実現。みんなが驚いたことは言うまでもありません。
主題歌は、いち早く発表されましたが、なぜか挿入歌は同時には発表されず、CDが発売されるまでお預けとなりました。
間もなくCDがリリースされ、主題歌「ドラえもん」の他に「The Showe」「ドラえもんの歌」「ここにいないあなたへ」の計4曲が収録されました。挿入歌は「ここにいないあなたへ」です。
主題歌の「ドラえもん」は、明るいテンポ、詞にはドラえもんの世界が散りばめられていて、子どもたちにも覚えやすい曲、これぞドラえもんの世界です。
ドラえもんが終わって数秒の間が空き、イントロの最初の一音が聴こえた途端、涙がポロポロと流れ、止まらなくなりました。
曲を聴くのは、このときが初めてです。当然、どんなメロディなのか、詞なのかも、まったく知りません。
なのに、たった一音、ピアノの音を聴いた瞬間、わけもなく涙が出て出て、止まらなくなったのです。自分ではどうすることもできず、気づいたときには、声を上げ号泣していました。
いったいどうしたのか、何が起こったのかわからないまま、ただただ曲が終わるまで泣いていました。たった一つの音を聴いただけで、こんなに涙が出たのは、生まれて初めてのことでした。
ここからです、いろんなことが動き出したのは…
まるでこの10年間、音楽を封印してきた反動のように、どれだけ自分にとって音楽が、無くてはならない大切なものだったかを思い起こさせる、たくさんの記憶が蘇ってきたのです。
すべては「ここにいないあなたへ」から始まったことでした。イントロの最初の一音。たった一つの音を聴いただけ、わずか一日、二日でこんなにも急展開するとは…。今、振り返っても不思議な気がします。そしてもうひとつ、大事なことはありました。突然、猛烈にピアノが弾きたくなったのです。20年前、もう弾くことはないだろうと、手放してしまったピアノを、もう一度弾きたくなったのです。
この時思ったのは、人生のターニングポイントは、何度かやってくるということでした。今までも、ターニングポイントはありました。小さなものから、大きなものまで、何度か…
しかし、まさかこの年齢で、音楽との再会を果たすとは、ピアノを弾き始めることになるとは、夢にも思っていませんでした。逆に、そう思ってしまうほど、生活から音楽を遠ざけた10年間だったろ言えるかもしれません。
この10数年間の私の日常は、心理の勉強をするため、音楽を聴いたり、歌ったりすることをなんとなく遠ざけてしまっていました。あえて理由をつけるなら、音楽が流れると、勉強に身が入らないと思い込んでいたのです。
数年後、仕事を始めた時には、これでまた音楽が聴ける、歌える、そう思っていました。しかし、実際は逆でした。方向性を変えたことが功を奏し、急に仕事が忙しくなり、音楽を聴くどころか、ほぼ毎日、仕事で出かけるという、今まで体験したことのないハードスケジュールに忙殺されるようになっていったのです。
テレビを見る余裕も、あれほど好きだった音楽を聴く余裕も、歌を歌う気力もなくなっていたのです。
実際、今、その頃のことを思い出そうとしても、仕事先と家を往復したとき見た景色と、仕事先であった出来事しか思い出せません。
そのときは、何も感じせんでしたが、後になって、あの頃どんな曲が流行っていたか、どんなアーティストが人気だったかをほとんど知らないことに気がつきました。ただただ、無我夢中で仕事をしていたんだなぁと思います。
唯一、好きで観ていたLIFEは録画していたので観ていましたが、ヒット曲はなんとなく憶えているだけ、ドラマは皆無、その頃人気だった番組も、ほぼ抜け落ちていることに気づきました。
この空白の時間は、あとで埋められるものではありません。流行はそのときのもの、過ぎてしまえばすぐに忘れ去られてしまいます。
なので、今でも私の中での音楽を聴いたり、ドラマや映画を観た記憶は、数年間だけ抜け落ちています。
あれだけ音楽が好き、歌が好きだったのにです。
正直、もうむかしのような、音楽が好きな自分、歌うことがたまらなく好きでしょうがない自分に戻ることはできないだろうと思っていました。
そんな機会は二度と訪れないだろうと…
しかし、それを再び戻してくれたのが、ほかでもない「ここにいないあなたへ」だったのです。
転機となったというより、原点帰りさせてくれたと言ったほうがいいかもしれない「ここにいないあなた」大切な大切な一曲となりました。
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