Jazzの超名門レコードレーベル   『ブルーノート』について!

TBSラジオで毎週金曜日8時30分~午後1時まで放送の「金曜ボイスログ」
シンガーソングライターの臼井ミトンがパーソナリティを務める番組です。

このnote.では番組内の人気コーナー
「臼井ミトンのミュージックログ」の内容を書き起こし。
ちなみにyoutube版では動画も公開しているのでそちらも是非。

今回のテーマは…

Jazzの超名門レコードレーベル『ブルーノート』について!

  • ドイツ人2人によって作られジャズの超名門レーベルに

音楽ファンならずとも1度くらいは耳にしたことがあるはず、ジャズの超名門レコードレーベルであるブルーノート
このブルーノートというレコード会社、ドイツからアメリカに渡った2人のドイツ人の青年によって作られたレーベルです。
Alfred LionとFrancis Wolff。2人はともにベルリン出身で、10代の頃から大親友でした。2人ともジャズに夢中で、ジャズのレコードコレクションを通して友情を深めたんですね。1920年代、当時ジャズは最先端の音楽だったと思いますけど、彼らは10代で既にジャズにのめり込んでいたんです。

そんな彼らが何故アメリカに渡ったのか?当時ドイツではヒトラー率いる
ナチスが台頭してきていた時代で、ユダヤ人に対する迫害が始まっていたからです。彼ら2人ともユダヤ系だったんですね。まずAlfred Lionがアメリカに移住、亡命します。これが1937年のことです。

ニューヨークにたどり着いたAlfred Lionは仕事をしながら、当然本場の
ジャズのライヴやレコード集めに夢中になるわけなんですが、彼の人生を変えた、とある一大イベントに出会います。

  • 音楽フェス「From Spiritual to Swing」との出会い

これが何かというと、カーネギーホールで1938年に開催された
From Spiritual to Swing」というアフロアメリカンの音楽文化を紹介しようという音楽フェスなんです。

このイベント、どんな内容だったかというと、当時人気を博していたジャズをただ演奏するんではなく、ゴスペルやブルースがどういう風にジャズに
発展していったかっていうブラックミュージックの歴史を2日間にわたる
コンサートを通して表現するっていう、当時としては本当に革新的なコンセプトのイベントでした。

ブルース歌手やブギウギピアノの名手、そしてジャズの名手までアフロアメリカンの音楽文化のオールスターの祭典みたいなイベントだったわけなんですが、この歴史的なコンサートの客席にいたのがドイツからやって来たばかりのAlfred Lionです。

彼は、この日、初めて生で聴いたブギウギピアノに大層感動しまして、
ちなみにブギウギっていうのはジャズと並行して誕生した黒人音楽文化で、小さな酒場なんかで主にピアノ一本で奏でられるダンスミュージックなんですけど、そんなブギウギピアノの名人芸を生で観たAlfred Lionは、
「俺は絶対に彼らの演奏を録音して記録に残すんだ!」と客席で固く決意します。そしてその場ですぐにミュージシャンたちに交渉して、その2週間後には、近所の簡易なスタジオを借りて彼らの演奏を本当に録音しちゃったそうです。

  • Francis Wolffとの再会

こうして最初は完全に趣味として大好きな音楽を記録に残したいという一心で、彼は少しずつレコードを作り始めるわけなんですが、この頃になると、ドイツにおけるユダヤ人の迫害もますます酷くなっていました。
彼が気にかけたのはドイツに残っていた大親友Francis Wolffの安否です。
そこでFrancis Wolffに手紙を書いて、お前も早くニューヨークに逃げて来い、と誘うんですね。Francis Wolffも悩んだ末にアメリカへの亡命を決意します。そしてニューヨークの地でAlfred LionとFrancis Wolffは再会を果たすわけです。
Francis Wolffも大のジャズファンですから、Alfred Lionがニューヨークの地で始めた小さな小さなインディーレーベル、ブルーノートの運営を手伝うことになります。主に財務管理なんかを担当したようですが、実はこのFrancis Wolffという男、ドイツではプロのカメラマンとして生計を立てていましたので、当然レコーディング中はミュージシャン達の写真を撮りまくります。

そして彼の撮った写真が、ブルーノート作品の代名詞とも言えるそのジャケットデザインに使われることになるんですね。ですのでFrancis Wolffは財務管理兼レーベル専属カメラマンだったわけです。

こんな風にして、ナチスドイツから亡命してきたジャズ好きの青年2人によって、ブルーノートというレーベルは作られたわけですが、彼らがアメリカに来て物凄く驚いたことが一つあります。

  • 当時としては異例尽くしのレコーディングスタイルを

それは、人種差別の酷さです。
2人にとってはアイドルであり憧れの存在であるジャズミュージシャンが、アメリカ社会では「黒人だから」というただそれだけの理由で日夜酷い扱いを受けている、この事実に大変なショックを受けるんですね。
彼らもドイツではユダヤ人として迫害を受ける立場にあった。
社会的に弱い立場、虐げられる立場におかれる気持ちが理解できた。
だから、彼らはジャズミュージシャンを搾取するようなことを絶対にしなかったんですね。とにかくミュージシャンを大切にしたんです。
ギャラもちゃんと払うし麻薬やお酒でダメになってもサポートしてあげて、家族のように接しました。

しかもAlfred Lionは毎晩毎晩ジャズクラブに顔を出して、新しいジャズマンを見つけてきてはレコーディングさせた。レコード会社の白人経営者が自ら治安の悪いハーレム地区のクラブまで音楽を聴きに来るなんて、当時絶対に考えられないことなんですよ。しかも、レコーディング中も初めから終わりまでAlfred Lionは必ず立ち会うし、ケータリングも出すし、リハーサルにも別途ギャラを払う。
しかもジャケットには白人の女性モデルじゃなくて黒人ミュージシャン本人の写真をちゃんと使う。これら全て、当時としては異例のことでした。

だからこそ、ミュージシャン達はこのドイツ人の青年を心の底から信頼したんですね。こいつは俺たちのことを本当に大切にしてくれる。と。
「このレーベルで良い演奏を残そう!」って彼らも燃えるわけですよ。

  • 駄作のない名作揃いのブルーノート

ブルーノートって、ジャズの名門レーベルとして80年経った今も現存してますけど、このレーベルの凄いところって、本当にびっくりするくらい駄作がないんです。普通どんなレーベルでも当たり外れってあるんですよ。
でも、ブルーノートは特にAlfred Lionが現役だった時は本当に外れがない。全部名作なんです。

それは何故かっていうと、まず第一にAlfred Lionが、ミュージシャンたちに心の底から信頼されていたこと。
そして、彼が最後まで「いち・ジャズファン」としての気持ちを忘れなかったことですね。とにかく自分が心の底からサイコー!!って思えるミュージシャンとしてか契約しなかったし、サイコーって思えるテイクしかOKにしなかった。真のジャズファンであるAlfred Lion自身が本当に良いと思ったものだけがレコードになっているから、駄作がないんですよ。

お洋服のセレクトショップとかでも、このお店って本当に素敵なモノしか置いてないなってお店ありません?まさにブルーノートは、店主のこだわりがたっぷり詰まったジャズのセレクトショップなんですよ。

今日みなさんに聴いていただきたい1曲は、そんなブルーノートの名作群から1曲…、ではなくてAlfred Lionがお客さんとして来ていた、1938年カーネギーホールにおける「From Spiritual to Swing」という歴史的なコンサート。
実はこれ、ライヴ録音が残ってるんです。

なんせ1930年代の録音ですから、ちょっとノイズ等で聴きづらいところもあると思いますが、この演奏を生で聴いてAlfred Lionはブルーノート設立を
決意しました。そのものズバリの貴重な録音をお聴きください。
Albert Ammons、Meade Lux Lewis、Pete Johnson、
3名のブギウギピアノの名手による競演です。

『Cavalcade of Boogie』

youtube版では動画で同様の内容をご覧いただけます。

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