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井田さん

今日の夕方井田さんの訃報を知って、以外にも1人で泣き散らかしたから今日はゆっくり眠れるかなと思ったんだけど、思い立ってライブの動画を観たらもう完全にダメでした。

井田さんが不慮の事故で死にました。本当にめちゃくちゃ大切な友人であり、先輩であり、ミュージシャン仲間であり、歌のパートナーでした。2/1に一緒にレコーディングしたばかりでした。

井田さんが、命を懸けて僕らに何度聞いても忘れてしまう「命や時間や人生の大切さ」を改めて教えてくれてるのだと思うので、今のこの気持ちを忘れないために書くことにした。

井田さんとはもう出会って10年くらいになる。府中Flightでshabbyのライブがあって対バンして、ゆういちが紹介してくれたんだよな。RAGNAROCKSは始めてみた時衝撃的過ぎて本当に度肝を抜かれたのを覚えてる。演奏と特に井田さんの声の伸びが凄まじくて感動したんだよな。そこからお互いの企画に呼び合ったりしてるうちに仲良くなって、折に触れて会うようになりました。

その後、井田さんは確か27歳の時に「音楽1本で成功する!」と言ってサラリーマンを辞めてフリーターになった。活動は本当に頑張っていて、とにかく曲が良かった。僕は知り合いの曲でも特に気に入ってなければあまり聴かないのだけど、topazはよく聴いた(「topaz」の「t」を大文字にすると「ミュージシャンの名前を間違える何て、失礼だ!」と怒ったりもしてました。あと、27歳になると自分の人生に悩み始めることを「「27歳病」と呼んでいた)。

音楽人としてはとても充実した、楽しい人生だったんじゃないかと思う。でもミュージシャンとして音楽もお金も両方上手くいくという観点では、中々芽が出ない中で、30歳を過ぎると世間の目とか色々悩みも多かったように見えた(ちなみに誕生日には歳を「取った」ではなく「貰った」と表現してたっけ)。結婚とか就職とか悩む時期なので、ご両親や身近な人が少し心配している姿も知っていたし、本人は強がっているようだったけど、歌詞を見ると殆ど「周りと自分を比較しての劣等感」が滲み出てて、でも俺はそれが物凄い人間臭くて好きだった。たぶん本人は「分かってるけど、自分の人生を生きたい」って気持ちがあって、そのジレンマだったと思う。みんなそうだよね。俺もその人種。

井田さんは、一言で表すならば「もの凄く義理人情に厚い人」。利害とかじゃなくて人をめちゃくちゃ大切にする人。一緒にいた人ならわかると思うけど、厚すぎて、俺とか「それやりすぎじゃないですか?」「そんなにしなくても大丈夫だと思いますよ」とかクズなこと言ってたな~。いくつになっても打ち上げは朝まで付き合うし(井田さんは意図的に終電を逃すことを頻発し、その行為を「トパる」と呼ばれるに至った)、それによって自分の色んなものを犠牲にしてきたんだと思うけど(睡眠時間とか体力とか)、あの人はそういう生き方じゃないときっと納得しなかったんだろうな。

topazバンドをやり始めた時に「バックコーラスやって欲しい!」と頼まれた。凄い嬉しかった。渋谷のスタジオで練習したの、いい思い出だな。下北のライブ当日は俺が胃腸炎で2人が高熱で、1人は一睡もしてなくて、生きてるの井田さんだけって状態で本当申し訳なかったな。笑
そのライブ映像→https://youtu.be/QeYFwwinHbc

その後始めたpiano setというスタイルのバンドでも声かけてくれて、またギターの久保さんとも出来たし、pianoの磯君も紹介出来て、いつも「topaz史上最高の形だ!」と言ってくれた。本当にみんなそう思ってたと思う。久保さんも、磯君も、俺も、topazの曲と井田さんの歌が本当に好きだった。僕は井田さんの3つ年下で結構弄られたけど、真面目な話の時はリスペクトしてくれてるのが凄く伝わってきた。モルタルでのライブ、深谷駅でのライブ(井田さんのご近所さんが前から2列目くらいまでを占拠してライブが終わると“御ひねり”をくれるという新しい文化も根付いた)、フエニカスタジオでのレコーディング、全部全部最高に楽しかった。
一番新しいライブ映像。僕はこの曲のコーラスをするのが好きすぎる→https://youtu.be/mfaju-GLh6w

そして、topazと中村ユウイチと僕とでやった新代田crossingでの3マン「door」。2回開催したんだけど、1回目は井田さんが以前よりも良くなりすぎてて、ユウイチと「おお~!」ってなったのを覚えてる。2回目は僕のライブが終わった後「曲が最高に良すぎた!」と褒めてくれた。多分嘘じゃないと信じてる。笑
ラジオ番組的なこともやって、車や有料パーキングに座って収録したの楽しかったなー。

僕は音楽を通じて二人と出会って、本当に一生涯の親友だと感じている。バンドという繋がりが無くなっても繋がっていられる人はとても少ない。だから3人で集まるとよく30年後位の話までしていた。俺ら音楽やれてるかな?っていつも話してた。30年後も一緒にいる前提でね。
Doorの動画はこちら→https://youtu.be/_wJvM7EPrZU

でも、今日井田さんがいなくなってしまいました。歳近い人で、こんなに仲の良い人がいなくなったのは初めてなので、最初は良くわかんなくて、一緒にもう歌えないのかな?ってことよりも、くだらない話とかが出来なくなることを思うと実感が湧いてきて急に悲しくなった。ゆういちとはすぐに連絡をとったけど、お互い「本当あっけないね」「なんだかな~」って感じ。今も満喫でバイトしてる気がする。また「よっちゃん」って呼んで欲しいな。

あー文字にしたら大分スッキリした。色々自分についても考えさせられました。
まあ、井田さんが長い悩みから解放されたのならいいかな!俺は悩みが増える一方だよ!笑

自分の心が汚れてきたな、と思ったらまた読み返して井田さんに喝入れて貰うことにします。

井田さん、出会ってくれて、一緒に過ごしてくれてありがとう。

井田さんの歌は、皆で歌い継いでいくから、ゆっくり休んでよ!


ご精読ありがとうございました。

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