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蓮の花と月

7月になりました。今年ももう暑い夏が近づいてきましたね。

まだ始まったばかりの「とりのうた通信」ですが、今日はまずこの名前についてのお話からさせてください。「とりのうた」=「鳥の歌」は、ドイツ語では Vogelsang(フォーゲルザング) といいます。この言葉との出合いは、私がウィーンで声楽を勉強していた時…。たまたま住んだアパートの住所が、Vogelsanggasse 8 、訳すと「鳥の歌通り8番地」だったのです。この住所を知って私はもう小躍り!ソプラノにとって「鳥の声のように歌う」…というのはある意味、理想のイメージです。こんなすてきな名前の通りがあることにも感激しました。実際、このアパートでは毎朝早く、中庭からすばらしい響きの鳥の声が聴こえてきて目が覚めたものです。ヨーロッパの石造りの建物では、とても鳥の声が反響するのですね。(その中庭の木々を当時の部屋から写したのが、このnoteのホーム画面の写真です。)以来、自分にとっては Vogelsang がお守りのような言葉に…。歌曲を紹介するこのnote企画にも迷いなく「とりのうた通信」と名付けました。

さて、今回のテーマ「蓮の花と月」。ドイツリートをよくご存じの方なら、もう曲のイメージが浮かんだでしょうか。このテーマを決めたのは、前回の投稿「シューマンとハイネ」を書いているときでした。そう前回は、シューマンの歌曲集《詩人の恋》のもとになったハイネの66篇の詩「抒情的間奏曲」を読んでいたわけですが、この中から今日は、シューマンがあえて《詩人の恋》に取り上げなかった二つの詩に焦点を当ててみたいと思います。

シューマンは《詩人の恋》作曲の際、「抒情的間奏曲」の1番の詩から順番に7番まで作曲していって(その内、5と6は最終的には曲集から削除)、8番以降は飛ばし飛ばし詩を選びながら曲づけしました。最初に飛ばした8番(星がテーマ)の詩の後は、続けて9番、10番もやはり対象から外しています。この9番、10番の二つの詩をここに訳出してみましょう。なるべく意訳せず原詩に沿って。(以下の訳文、無断転載はご遠慮下さいね。)  

【9】

歌のつばさに乗せて
君を遠くへ連れて行ってあげよう、恋人よ
はるかなガンジス川のほとりへ
そこにとてもきれいな場所があるんだよ

そこには赤い花咲く庭が
ひそやかな月の光に照らされている
蓮の花たちが
なつかしい妹の君を待っているよ

スミレたちはクスクス笑い、じゃれつき
空の星をみつめている
バラたちは香り高い物語を
そっと耳元にささやく

こちらに飛び跳ねてきて聞き耳を立てている
素直で賢そうなカモシカたち
そして遠くでは
聖なる河の流れがそよいでいる

そこで僕たちは
ヤシの木の下に腰を下ろそうよ
そして愛と安らぎを味わって
幸せな夢を見よう

【10】

蓮の花は
太陽の輝きを怖れ
頭をたれて
夜を夢み、待ちわびている

月は彼女の恋人
その光で彼女を目覚めさせると
彼女は嬉しそうに
ほほえんだ花の顔を見せる

彼女は咲き、燃え、輝く
黙って空の高みを見つめ
香り、泣き、身を震わす
愛と、愛の痛みのあまりに

お気づきの方も多いでしょう。9番の詩はメンデルスゾーンの作曲で有名な〈歌の翼に Auf Flügeln des Gesanges〉 Op.34-2、10番の詩はシューマンの歌曲集《ミルテの花》に収められた〈蓮の花 Die Lotusblume〉Op.25-7の原詩です。この二つの詩はいわば対になっていて、男は恋人をガンジス河のほとりのすてきな場所(蓮の花が月に照らされる庭)に誘い、その月と蓮の花を男女に例えた次の詩で、二人の関係性を暗示しているのです。ちなみに10番の詩の次に続くのが、「聖なるラインの流れに Im Rhein, im heiligen Strome」で知られる《詩人の恋》Op.48-6の原詩です。つまり、この〈歌の翼に〉と〈蓮の花〉の二つの詩は、物語上、女の不実が明らかになる前、恋人同士の二人の結びつきが最も強く幸福であったときのものなのです。

ここで、シューマンのリート創作に影響を与えたメンデルスゾーンの存在について語らなくてはならないでしょう。二人は当時同じライプツィヒに暮らしており、すでにゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者だった1歳年上のメンデルスゾーンを、シューマンはとても尊敬していました。1840年2月1日に、それまでリート創作に消極的だったシューマンが突然堰を切ったようにリートを書き始める、そのきっかけの一つにメンデルスゾーンの助言があったのではないか、とも推測されています。というのも、前日に二人が歓談している上、シューマンの2月1日の最初のリートはシェイクスピアの「十二夜」の詩によるもの。シューマンがシェイクスピア…?って初めちょっと意外に思われるかもしれませんが、「夏の夜の夢」に取り組んだメンデルスゾーン…の存在を考えたなら、何となく理解できますね。

メンデルスゾーンの〈歌の翼に〉はすでに1834年に出版されていましたから、シューマンがこの曲を知っていた可能性は高いです。シューマンは1840年の早い段階から、ハイネの『歌の本』からも詩の素材を探したのでしょう。(《リーダークライス》Op.24はハイネ原詩による早い作曲例です。)66篇の「抒情的間奏曲」からは、メンデルスゾーンの〈歌の翼に〉を意識してか、その曲へのいわばお返しのような形で〈蓮の花〉に作曲。それは、クララへの結婚の贈り物《ミルテの花》を構成する大事な1曲となるわけです。さらにその後《詩人の恋》企画に入っても、シューマンはこの〈歌の翼に〉の詩には作曲せず。メンデルスゾーンとは違う曲付けをするのも可能だったはずですが。あくまで推測ですが、尊敬する先輩作曲家の名曲に対して、何か「侵すべからず」といった畏怖の念を抱いたのかもしれませんね。

さて、この二人の作曲家によるどちらも有名な2曲を改めて味わってみましょう。〈歌の翼に〉の詩で「ガンジス河のほとり」というように、この美しい庭園の舞台はインド。南国の夏の夜なのです。寒冷な北ヨーロッパにおいては、南国は憧れの地。変イ長調の分散和音によるピアノの温かく柔らかな雰囲気の中、この上なく美しい旋律(まさにメンデルスゾーンの魅力!)で詩が歌われます。この旋律が愛され、のちに様々な編曲が生まれたのも頷けますね。メンデルスゾーンは原詩の2節ずつをセットにして、歌の1番とし、詩の最終節(第5節)のみ旋律を少し変化させた3番とする「変化有節形式」という作曲法で曲付けしています。(こうした歌曲の形式については、また回を改めてご説明します。)最終節の「安らぎ Ruhe」から「幸せな夢を seligen Traum」までの、まさに至福の時を味わうようなクライマックスの情感は、さすがというより他なし…。

一方のシューマンの〈蓮の花〉も、ピアノの和音連打による一貫した雰囲気がありますが、短いながら中身は変化が大きい曲です。ヘ長調の落ち着いた雰囲気で堂々と始まりますが、月が登場する第2節から、ピアノが高音域に上がり(まさに月の光!)、転調してテンポも少しずつ速めて、蓮の花が開いて変化していく様子を高揚感をもって表していきます。頂点は「zittert 身を震わす」の語。その後、テンポを少しずつ落としてクールダウン。最後の「愛と、愛の痛みのあまりに vor Liebe und Liebesweh」を二度繰り返して終結…。詩の情景を静観して捉える、というよりはむしろ能動的に、花の変化そのものをクローズアップ。これは情景の変化に重きを置いた「通作形式」と呼ばれる作曲法です。言葉に対するシューマンの鋭敏な感覚が反映された、繊細ながらドラマティックなものを秘めた名曲でしょう。

それにしても、この2曲。なんと贅沢な作品でしょうか。ハイネ、メンデルスゾーン、シューマン。天才たちの魂が響き合っている、ドイツリートの中でも屈指の名曲の世界ですね。夏の夜に、じっくり味わいたいものです。

なお、メンデルスゾーンの歌曲は、〈歌の翼に〉があまりに有名であるにも関わらず、一般的なドイツリートの歴史の中ではシューベルト、シューマンに比べ、やや地味な扱いを受けているように見えます。が、しかし、メンデルスゾーンのリートはなんと美しい音楽の宝庫でしょうか!作曲の師ツェルター(ゲーテの側近)の教えを受け、音楽的には素朴な民謡風の歌曲が多いですが、時には小さなアリア風の作品もありますし、実に多彩。明るい春の歌が多いのも特徴的です。初期の可愛らしい春の歌を。

シューベルトやシューマンと同じ詩に作曲している例もかなりあるので、比較して聴いてみるのも面白いです。モーツァルトと似て、メンデルスゾーンがソプラノ歌手の声に向いたレパートリーを多く残してくれていることは、うれしい限りです。ドイツリートというと、詩に対する深みのある表現や緊張感が重視される傾向にありますが、こんな民謡風の「素朴さ」や「歌ごころ」も、やはり大事なリートの要素なのです。詩に対するメンデルスゾーンの素直で温かな感性は、忘れられてはなりません。

【今日のお薦め】メンデルスゾーン歌曲集として、今やもう古典的なアルバムといってよいかもしれない決定盤。かつて初めて聴いたとき、冒頭の〈歌の翼に〉の美しさに心が釘付けになりました。バーバラ・ボニー。今は歌手としての一線の活動から引退しておりますが、本当に繊細で美しい彼女の声を通してリートを好きになった方も多いでしょう。






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