歌う私 「杉森のりこ」さん

音楽する私の中でも、最も大きい存在。迷いながら、ちょっとだけ罪悪感を持って始めた声楽。けれど結構長く生きてきて思うのは、歌うことは、ずっと私の支えだったということ。
歌うことについて学ぶことは、私を振り返り、確かめる手段だった。自分と対話する手段だった。
自分が生まれ持った本当の声で自由に歌うことを、ずっと探していた。
これを見つけることが、私の支えだったのだ。

20年ぐらい前、交通事故でむち打ちになり、完治まで6ヶ月かかった。
・・・けれど、もう一度1から、立ち方から勉強しようと決心した。悔しかったし。※(エピソード1)
10年ぐらい前、11㎝の開腹手術を受ける。
・・・もう、歌えないと思っていたけれど、これは、復帰が早かった。※(後述エピソード2)
2021年夏、コロナ(デルタ株)中等症1(酸素投与あり)。
・・・これも大分ショックだったけれど、復帰は早かった。※(エピソード3)


大学生の頃、憧れていたソプラノ歌手がいる。彼女はスロヴァキア出身。イタリアでもウィーンでも、ドイツでもロシアでもない。
確かに人が歌っているのに、金属的な響きもある。ppが美しい。高い音でも、消え入るようなppだ。音のレンジがあまり変化しなくても、感情が豊かに表現されている。心が痛くなるぐらい。
どうしたら、どこに行けば教えてもらえるんだろう?なんて、漠然と考えていた。

でも、ある時出会ってしまった。同じ様に、金属の響きを持つ、それでいて豊かな表現のメゾソプラノ。いるんだ。同じ発声で歌う人!
驚くことに、私はこの歌手とご縁がつながった。何年も通った。運命ってすごい。コロナでなければ、今年だって行きたい。

私が歌うことと身体のことを学び続け、きっとそろそろ神様が出会わせてくれたのだろうか、と思ったりする。

私が欲しかったのは、からだが奏でる私本来の声で歌える発声法。心のままにからだが音を創ってくれるはずだと、ずっと信じていた。
「私が私の声で、自由に表現する。」
こんなシンプルなことなのに、なんて時間がかかったんだろう。いや、まだまだ磨かねば。やっと知ったのだから。やっとわかったのだから。うまくなりたい道はずっと、まだまだ続く。

ある人がこう言ってくれた。
「何度も困難にあっても、歌い続けてるんですから、音楽の女神様が応援してくださってるのではないですか?」
信じてみようと思った。

これが歌う今の私。ホールコンサートもままならないけれど、いつかそこで歌える日のために、準備をしていようと思う。


※(エピソード1)
むち打ちから、前を向く。

私は、車を運転し、信号待ちをしていた。先頭である。爪なんかいじっていた。
そこへ、ゴン。。。え?ゴン?
後ろの10トントラックが直前の信号ではなく、その先の信号機の青で発進したんだそうだ。このトラックはほとんど無傷だったけど、私の車は後ろのトランクがちょっと潰れ、その日の夕方には、発熱と体の痛みが始まった。
むち打ちの治療を半年して、完治と言われて治療は終了したけど、さっきと何も変わらず、首は動かせない。
はて?

とりあえず歌ってみようと、ピアノの前に行くのだけど、最初の音をどう出すのかわからなかった。びっくりだ。特に習ってなかったっけ。情けない。

ここから辛い日々が始まる。自力でなんとか練習し、セミナーなど受けてみたがボロボロである。声はかすれるし、先生が言うことをやってみることもできない。
情けない。ふがいない。今までは何だったのか?

セミナーの別クラスの卒業コンサートへ行ってみた。白髪のドイツ人女性が、真っ赤な口紅、藤色のドレスでドヴォルザークの曲を歌った。
ああ、なんて楽しそう。なんて幸せそうに歌うんだろう。。。

私は彼女ぐらいの年になったとき、どんな生き方してるのだろう?

この2つ。
からだが言うことをきかないことの残念感と、この幸せそうな女性のキラキラ感。
これが、その後の私の原動力となった。
そうだ。歌う前に、身体の勉強をしよう。
ドヴォルザークのあの曲を、私もあんなふうに歌えるようになりたい。

そして私は、整体とチェコ語を習い始めた。

・・・ここでちょっと間違えたのは、確かにドヴォルザークはチェコの作曲家だけど、あの女性はドイツ語で歌っていた。だから、別にチェコ語を習わなくても良かったわけだ。
しかし、またこのチェコ語が私を導いてくれることになる。運命ってすごい。
そして、整体もまた私を新しい方へ導いてくれることになる。すごい。


※(エピソード2)
これからの生活を考えるに、手術が必要と言うことがわかった。11㎝程度の開腹手術を受けることになる。
腹筋も切るわけで、もう歌えないのだと早合点していた。帝王切開しても歌い続けている歌手がいるのに、こんな時にはまったく思いもつかないのである。
答えを聞くのが怖くて、医師にも質問できなかった。この種の手術は通常半年待ちらしいのだが、たまたま空いた日が取れて、2ヶ月後には手術である。術前検査も押し込み気味に終えて、あっという間に医師の予定通りに退院を迎える。前日、やっと看護師さんに「歌えるのか?」と訊くことができ、「えー、今頃?」と驚かれたものである。
一ヶ月後には、ヨガも腹筋運動もできるとか。一ヶ月後、この半信半疑は、事実になる。
からだってすごい。

私は、前のむち打ち事件以降、からだについて学んでいた。正確にからだの連動について知りたかった。気功もヨガも、他によさげなボディワークは本を買い、セミナーを受け、施術も受けた。医学気功整体師認定を取り、国際気功師にもなれた。そして、チェコにも通い始めていたので、ボディワークと発声をつなぐことを始めていた。これが、「ヴォーカルボディワークR」となる。
だから、傷が癒えて歌いたい気持ちが高まったなら、もう最初の一声をどう出すかわかっている。どう立って、どう息を吸えば良いか、そのために何をするか、もうわかっている。なので歌えるまでの復帰が早かった。
運命ってすごい。

※(エピソード3)
コロナからの立ち上がり。

と言うわけで、入院中医師から「呼吸練習を始めてください」といわれてからは、速攻である。そしてまさに、呼吸のみならず、なんとベットから立ち上がることが、そして立っていることが大変だった。しかし、これも寝たままできるヴォーカルボディワークを密かに始めていたので、これまた普通の生活への復帰が早かった。
と言うわけで、ヴォーカルボディワークは歌うだけでなく、生きている人全員に有効だというアイデアに自信が持てた。呼吸をするために。呼吸のクオリティを上げるための姿勢を維持するために。怪我しづらい所作のために。声に表現力を持たせるために。
運命って、すごい。こう書いてくると、本当にいつも助けられている不思議な力があるように思えてくる。


★コロナ回想記
★ヴォーカルボディワーク
については、追って書きたいと思っています。良かったら、お楽しみに。。。


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