リベラルアーツについて

リベラルアーツは、第1第3土曜が上級、第2第4土曜日が初級となっている。
「初級」は8日に第1回を行い、『ソクラテスの弁明』を途中まで会読した。第2回で最後まで読み切り続いて『クリトン』に入る予定であるが、どちらも18時に会読開催する。続く次回にソクラテスの決定的言明を読んで議論することになるが、収録する予定がないので、有志者は遠慮なく参加することを期待したい。
1日に行った「上級」は、明15日にマックスウェーバーとルソーとシャンカラを読む。ウェーバーについては、当リベラルアーツ的に、やはり『儒教と道教』が興味深いので、西荻Nawa Prasad書店に注文した。これを読むとドイツ知識人から見た儒教と道教の客観化を知ることができて有益だと思われるが如何?中高生にはいささか「レベル」高すぎるか。でも『儒教と道教』のような著作は、最近妙に騒がしい中国情勢を省察確認する上でも重要であると思われる。我々が我々の中に半ば無自覚的に存続する「ベース」となるカルチャーの客感化を行い、それをこれからの「未来」についての行動判断の礎にするべきであるのは明らか。そしてこのアプローチは論理的にも矛盾しない。「歴史」とは、現在未来を判断・把握するためにある。この「否定」は不可能だ。
現行諸現象の直接的認識や把握も必要だが、その「元」になるものをあらかじめ客観把捉しておこうとすることは、その考察追体験の無意味性を予め捨象する。
我々は「青虫」である。優れた文献をバリバリ喰い、その「完全消化」よりも「印象吸収」を優先し、そしてそれを可能な限り幅広く行うことによって、諸判断の上を行く「孵化」を試みる。
「リベラル」とは自由になることである。
リベラルアーツはそのための技術=アーツである。
「自由」になるためには、事態・情報の直観把握の試みと、そこに起こる「判断」と「ジャンプ」への意志が欠かせない。

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