見出し画像

父のスキヤキ

食べ物は捨てちゃいけない。

いつもそう思っている。だから、バイキング形式のビュッフェで、あれもこれもお皿に溢れるくらいに取ってきて、半分以上、平気で残しているのを見ると悲しくなる。

家で料理をする時も、メニューを考える時から冷蔵庫の残り物を最後までどうやって使いきれるかを考える。残った料理も、少しだけ姿を変えながら翌日の食卓に登場することも少なくない。残さずに美味しく食べる工夫をする。

いつからこうなったんだろうか……。

ふと、何故かスキヤキは父親が最初から最後まで面倒をみることになっていたのを今、思い出した。

真っ白な脂身を丁寧に熱鍋に溶かし、いつもよりちょっとばかり張り込んだ牛肉を一枚一枚広げると、ジュンという音と共に肉がキュっと締まる。

砂糖を肉に豪快にふりかけ、醤油や酒を全部目分量でドボドボ合わせながらスキヤキを作る父。

格好よかったなぁ。料理の出来る人を夫にしたのは、やっぱり父の影響なんだろうと思う。

美味しい時間というのは、凝縮しすぎていてあまりに短い。溶き卵をくぐらせながらホフホフと食べる絶品のスキヤキは、あっという間に姿を消す。

宴の後の鉄鍋の中、肉も、焼き豆腐も、葱もすっかり形を失って、糸こんにゃくの切れっ端が悲しそうに鍋底を這い回る。残った出汁もこってこって。全体が茶色に染まった情けないスキヤキの残骸。

これを絶対に捨ててはいけない。
この残骸が翌日、想像を超える力を発揮するのだ。


「冷や飯、持ってきて!」

父の仕事はまだ終わっていない。最後まで食べなくては。

一日放置された残骸は更に茶色く煮詰まっている。ここに、ほんの少しだけ水を足し、再び火にかけ、やっぱり一膳だけ残った冷ご飯を加えて雑炊にするのだ。炊きたてご飯ではいけない。絶対に冷ご飯。

杓文字でくっついた米粒をほぐしていく。程よく硬くなったご飯粒が、鉄鍋にこびりついた旨みとスキヤキの残り汁を一滴残らず吸い上げて、ふんわりとまた蘇生する。

このタイミングで、シャカシャカと卵を箸で攪拌する音がする。黄身が攪拌されて、白身が模様のように混ざった解き卵を、鉄鍋の中で再び命を吹き返した冷ご飯の上に一気に回しかけ、大急ぎで蓋をして火を止める。

出来上がりが待ち待ち遠しくて仕方ない。

タイミングを見計らって父が蓋を外すと、湯気の中から黄色と白の霞をまとったスキヤキ雑炊がボワ~ンと姿を見せる。

あぁぁぁぁ

クリスマスプレゼントはスキヤキがいい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?