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薪炊きパエリア実習ツアー

「マルコス?」

6月1日。日本でスペイン料理店を経営するシェフをはじめとする数名の日本人グループを薪炊きパエリア研修にご案内。予定の集合時間より少し早めに到着した研修場所は、バレンシアから北西部に車を30分ほど走らせて小さな田舎町にあった。

営業時間外なこともあってか、外からはレストランとは思えない風合いであるにもかかわらず、一歩踏み入れると、巨大なパエリア工場が目に飛び込む。厨房なんてものじゃない。屋根の高い倉庫の中には何本もの煙突がある。

まだ薄暗い入り口にから顔を突っ込み、アポイントを取っていたマルコスを呼んでみたが、出迎えてくれたのは彼ではなく、末の弟パブロだった。

両親たちスタートしたパエリアのケータリングの店を、今は4人の息子たちがレストランとして受け継ぐ。元ある店を拠点とし、昔ながらの薪炊きパエリアを中心に、それぞれがキッチンやホール、マーケティングといった部門の柱としてレストラン「ラス・バイレタス」を支え、長男は別の都市に支店を任せられている。

中に足を踏み入れるなり、早速、日本人オキマリの写真攻撃が始まった。外のガラス張りの扉が閉まっていたので、大人5人がへばり付いたトカゲのようになって写真を取っていると、三男のロドリゴが人懐っこい笑顔を向けながら、厨房の扉を開けてくれた。

出来立ての別のパエリアを「試食、してみる?」とちゃんと人数分のスプーンをつけて持って来てくれたのも彼だった。仕事中の厨房にまでやって来るなんて、邪魔に思うシェフもいるだろう。心温かな受け入れに嬉しくなる。

さて、本日の実習メニューは『パエリア・バレンシアーナ』。鶏肉、ウサギ肉をベースにモロッコインゲンや白いんげんで作るバレンシアの伝統的な料理。パエリアはスペインのどの場所でも食べられると思っている人が多いのだが、パエリアはバレンシア一帯の郷土料理。別の地方で食べたとしても、観光客用に手早く作られたパエリアだったりしてハズレが多い。

別の例を挙げてみよう。アンダルシア発祥のフラメンコをバレンシアで探しても、なかなか本物に出会うのは難しいというのと同じことだ。

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簡単に挨拶を済ませると、パブロが調理説明をはじめる。

まず、薪のくべ方から。火が燃えやすいよう、薪と薪の間に空間が出来きるように慎重に配置する。パエリアの薪にも種類があり、オレンジの木もよく使われるが、今日は松の木だった。松脂は黒煙が出るので、取り除くことや、松ノ木の皮が弾けないように配置する位置に気遣うなど、本当に丁寧に教えてくれるパブロ。

調理のレシピについても、あえてここには書かないが、全部、細やかに教えてくれた。「豆の数は一人前あたり3粒」だとか、普段のレシピのように「5人前、何グラム」というのではないところが、逆に新鮮だった。きっと彼ら自身もそうやって両親から教わってきたのだろう。使う食材や、調理の仕方に無駄がないのも、食べ物を大切にすることを知っているからこそだろう。マルゴス兄弟の立ち振る舞いから、そんなことも容易に想像できる。

そんなに大切なものを、海外からやってくる見ず知らずの人間に包み隠さず教えられるものだろうか。けれども、「真似できるものならやってみればいい」という挑戦的な意図は全く感じられない。「自分の持っている素晴らしいものを伝えていきたい」という素直でひたむきな思いが、パブロの説明ぶりからヒシヒシと伝わってくる。

調理中、各所で細かしい質問をする私にも、丁寧に返事を返してくれながらも、常に火の状態をコントロールしているパブロ。薪の大きさや面積、火の位置に火力。何度か薪を外し、余熱を利用することも大切な調理工程である。一度にいくつものパエリアを完璧に炊き上げるのは、かなりの経験が必要なのは一目瞭然だ。

鶏肉と兎肉をじっくりと炒め、モロッコインゲンを加える。数分後に取り出して、モロッコインゲンの火の通り具合を確認させてくれる。インゲンの色がこんがりと茶色に色づいてくると、急に緊張した様子でみんなに声をかける。

「ここは重要、しっかり見ておいて!」

真剣な目つきで、パエリア鍋の中央にトマトを加え、大きく混ぜたかと思うと、続いて片手でパプリカを振り入れる。トマトとパプリカを全体に合わせ、鍋底の部分からフツフツと小さな気泡が出たところを間髪をおかずに水を入れる。「プシャ!」っピストル式の蛇口から勢いよく注入された水が後ろにいる私にまで飛び散る。

「あ、ごめん!汚れた?」

パブロの真剣な顔がクシャっと緩んだ。

調理途中の肝心なところで、突然、表情を変えて集中する様子を見るのが大好きだ。調理に限らず、『ここだけは』というポイントを決して逃さない、仕事に対する真っ直ぐな姿勢は、人としてとても魅力的だ。

火力を上げて煮込み、塩味を整える。パエリア職人によって、それぞれパエリアの作り方が違うのだが、彼の米の投入の仕方は本当にダイナミック。パエリア鍋の高い位置からザッと入れるのだけれど、この時に全体に広がるように入れた後、決して米を動かすことはない。熟練のパエリア職人の技である。

「日本の人たちにも、本物の薪炊きのパエリアをもっともっと知って欲しいね。バレンシアの歴史であり、僕らの自身の歴史でもあるんだ。」

長い長い2時間近い調理時間を終えて、ようやくパエリアが完成する。

オードブルには、バレンシア特産トマトとツナを使った地元の味たっぷりのサラダと、イカの冷製マヨネーズ和え。自分たちで作ったパエリアには、同じくバレンシア産の赤ワインを2種マリアージュして飲み比べをする。バレンシア南部アリカンテに近い場所にあるワイナリーのモナストレル種のワインと、バレンシア北西部のウティエルのボバル種。いずれも、バレンシアを代表する土着品種である。

研修参加者には、ぶどう、ワイン、ワイナリーの話、米の話、まだまだ知られていないパエリア秘話、と尽きることのない『パエリア・バレンシアーナ』の濃厚な一日を過ごしていただいた。

実は、この厨房で日本人が入るのも、部外者がパエリアを作るのも初めて。薪炊きパエリア実習の話を持ちかけた時、当初は、もう一方の新しい店舗でという話だったのだが、伝統と歴史のあるこの厨房でやらせて欲しいとお願いした。調理メニューから料理やワインにまで、無理を言ったにもかかわらず、快く引き受けてくれたマルゴス兄弟に、心より感謝している。

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「食」と一言に言っても、完全に工業化されたものもあれば、生活の一部としての息づく「食」もある。その人がいるからこそ生まれる、人間味あふれる「食」。今まで生きてきた歴史や希望、人に対する思いやりや誠実さ、頑固一徹な職人魂。そんなものをひっくるめて味合わせてくれる「食」が好きで、好きでたまらない。

思えば、私の人生の軌道がスペインに向かう以前から、「食」はいつも私の回りにあった。私がスペイン語を学ぶためにした事はレシピ本や料理に関する本を読むことだった。執筆、翻訳、料理教室、食品や食材・食器の輸出、「食」関連訪問コーディネートなど、気がついたらいつもその先に「食」が待っていてくれた。

今、こうして、大好きな「食」を通して、同じように「食」を愛する人たちと繋がれるのことを本当に幸せに思う。そして、そんな純粋な人たちの想いを少しでも日本の人たちに届けられたらと願って止まない。

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