直感を大切にしたから今がある。

「ところで、どうしてスペインなの?」

今まで数え切れないくらい聞かれた質問。

私のような凡人に聞いたところで何の得になるのか分からないのだけれどお約束のように聞かれる。

その度に「いや、偶然です」と言うと、的外れだったような腑に落ちない顔をされる。

「闘牛が好きで」とか「フラメンコを習いに」とか「サッカーで有名になりたくて」とかいう具体的な「ほぉ、なるほど」という理由を期待しているのだろうか。

白状すると、私の場合、他人に納得してもらえるような理由なんて本当に全くない。

***

私が最初にスペインと関わりを持ったのは短大の第二外国語選択肢の中にあった四言語の中から消去法で残ったのがスペイン語だったから。自分で好きで選んだわけではなく、気がついたらそこにあっただけ。でも、嫌ではなかった。

19歳の夏、初めて自分からどうしようもなく人を好きになった。臆病者の私は、彼のことが好きすぎて、自分が自分ではなくなってしまうのが怖かった。頭も心も破裂するくらいに考えた末、たった2ヶ月で無理やり終わらせてしまった恋。

付き合い始めて間もない頃、その彼が、「実はウチのおじいさん、スペイン人の血が混じってんねん」言った。不思議なのだが、彼との会話の中でこの言葉が一番、頭の中に残っている。

好きでも嫌いでもないスペインは、いつもひっそりと私のそばにいた。

無事に就職し、俗に言う花のOL生活をしながらも、スペイン語だけは理由もなく続けていた。スペイン愛好会に入ったり、スペイン料理を食べに行ったり、なんとなく私のそばをウロついていたのがスペインの存在だったように思う。

入社早々に残業が重なった。業務歴15年のベテラン社員を引き継ぐプレッシャーと、私なら出来るという余計な自信から体調を崩し吐血入院。病名は神経性の急性びらん性胃炎。

幸い二週間ほどで回復し、仕事にも慣れ、定時退社ができるようになった。体を壊してまで守ろうとしたものは、私が居ても居なくても何事もなかったように動いてた。給与も条件も言う事なしで、そのまま仕事を続けていれば、将来の生活の経済的安定も約束されていた。でも、入院を機に私の中の何かが切れてしまったのだ。

自分の価値が分からない。自分が自分らしく居られる場所が見つからないという不安は日に日に大きくなって私を飲み込んでいく。唯一の安らぎの場所であるはずの自分の家ですら帰りたくない日もある。自分の中の切れた糸を繋ごうとすればするほど糸先は見えなくなっていった。

そして、OL生活も3年8ヶ月を迎えようとした頃、仕事を辞めた。
自分の居場所を見つけるために。

自分の居場所……。
自分が自分らしく居られる場所……。

どこで見つけるのか?
どうやって見つけるのか?
自分らしい自分って何なのか?

見つかるのか?
見つける必要があるのか?

居場所を探そうとする自分と、本当はもう、そんな細かい事を全く考えたくなかった自分が私の中で戦っていた。

そんな私を丸ごと、ごく自然に両腕を開いて受け止めてくれたのはスペインだった。

意気揚々と希望に満ちてスペインの大地を踏んだというのではない。ただ、「今、スペインに行かないといけない」という気持ちしかなった。

今、思うと無謀としか言い様がない。仕事を辞めてスペインに行くという話をした時の母親の顔を今でも覚えている。

確固とした目標のないまま15000キロも離れた外国に娘を出してくれた勇気と愛情に感謝せずにはおれない。

***

卒業旅行先のシンガプールと家族旅行で行ったの香港しか海外旅行の経験のなかった私だが、スペインでの生活は私にとって心地よかった。

トラブルがなかったのではない。毎日がトラブルの連続で、日本での生活との勝手の違いに驚かされることばかり。片言のスペイン語でスペイン国内を食べ歩いた。突然、住む場所が無くなったり、飲みすぎでベンチで寝てしまったり、娘がやったと知ったら1年は外出禁止になること間違いなしの若気の至りもしでかした。

それでも、私にとっては心地よかった。好きすぎることなく、嫌すぎることもない空気がスペインにはいつも漂っていた。

1年間のオープンチケットの期限切れ直前のある日。友人がシェアしているピソ(アパートメント)の住人であった一人の男性が食事に誘ってくれた。

もちろん、それまでに何度も顔を合わせているし、好きでも嫌いでもない人で、「いいよ」と軽くお受けした。強いて言うと、好みのタイプとは全く異なるタイプの人で、歳も私よりもかなり上だった。

初めて食事は、ごく普通のバルで数品の料理を頼み、ビールを飲んで帰って来るというもの。
その後、帰国前に二人で会ったのは数回だけ。

ただ一つ、感じた。「この人を失ってはいけない」ということ。

***

私は神経質な性格で、何をするにもきっちりと筋書きが出来ていないと動けない。失敗しないように完璧にお膳立てされていないと不安になる。

ずっとそう思っていたのに、人生の転機になると、いつも直感で生きてきたのだと気づく。

考えすぎると動けなくなってしまう。先に起こりうる問題や、それによって家族や自分以外の人にかかる迷惑を考えると一歩も進めなくなる。

自分に関わる人たちにはいつも笑顔であってほしい。幸せであってほしいと心から願う。その気持ちは変わらない。

でも、自分の意思の動かないところで直感が動く。

そして、直感はいつも私を新しい世界へと導いてくれる。

よく分からないけれど、流れるままに生きていたらスペインにいた。
絶対に失ってはいけないと感じた人は、夫そなって26年たった今も私のそばにいる。

直感を大切にしたから今がある。




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