小説【アコースティック・ブルー】Track4: IN THE HOLE #2

 ちょうど営業が始まる居酒屋やバーの看板に明かりが点り始め、昼間は寂しく感じるくらい静かな通りが俄に活気づいてきていた。
 仕事終わりの時間にはまだ少し早いはずなのに、すでにほろ酔いでふらついているスーツ姿の中年男性や、学生バイトらしい威勢のいい若いスタッフが店先で通行人に声をかけている。楽しげに行き交う人々の笑い声や忙しなく開店準備に追われる繁華街の雑音に紛れながら、ただ街の様子を眺めているだけで余計なことは考えずに済むように感じた。
 飲み屋ばかりが連なる細い通りを抜け、両側に小さな個人商店や住宅が建ち並ぶ少し静かな通りに出ると何処からともなく音楽が聞こえてきた。
 繁華街の街頭スピーカーから流れてくる音楽とは違う生きた音。乾いた木材の中を反響する暖かいベース音や鳥が囀ずるような心地良いピアノの弦の響きが、車の走行音や雑踏に紛れて聞こえてくる。
 録音ではない、人が演奏している音楽だと直感して、ユウコは導かれるように音のする方へ進んでいった。

 大通りに面した一角に、見覚えのない古めかしい佇まいの店があり、音楽はその店から聞こえて来ているようだった。
赤茶色のレンガの外壁に木枠のドア。通りに面したテラス席から開閉式のガラス戸で仕切られた店内の様子が少しだけ見える。アンティーク調のアイリッシュパブのような外観だが、店の造りが新しいのでオープンしてからまだそれほど時間は経っていないように思えた。

”Bar Tom&Collins ”

 針金細工で作られた猫のようなキャラクターが店名ロゴの横にちょこんと座っている看板がドアの上にぶら下がっている。
 そういえばこの場所には以前、老夫婦が経営する”玉音堂”という名の小さなレコード店があった。時代に合わせて流行りのCDも置いていたから学生時代にはたまにタスクとお気に入りのアーティストの新譜を買いに来ていたのを覚えている。思い出の場所が一つ消えてしまったことに寂しさを覚えて、時間は着実に経過しているんだということを改めて思い出した。

 テラスの窓から店内を覗くと、店の奥に小さなステージがありバンドが演奏している様子が見えた。店の前に立てかけられている黒板に手書きの文字で”JazzyNight ご自由にお入りください”と書かれていて、隅に申し訳程度に小さく”スタッフ募集中”と書き添えられていた。
 店のドアを開くと古い喫茶店のようなベルがカラカラと小気味のいい音を立てた。それに気づいたスタッフがユウコに視線を向けて、元気よく「いらっしゃいませ」と声をかける。三十代前半くらいの人の好さそうな男性が出迎えてくれた。

「おひとりですか?」

 愛想よく微笑むとそのままカウンター席にユウコを招く。
 店内の内装もアンティークやインダストリアルでまとめられていて、カウンターの周囲は沢山のお酒のボトルで埋め尽くされていた。天井から規則正しくぶら下げられているワイングラスが、暖色系の照明に当てられてキラキラ輝いている。
 カウンターにはユウコのほかにカップルが一組、店内のテーブル席にも沢山の客が座っていて、皆一様にステージの演奏に注目している。演奏しているのは年配の男性達で、ギター、ドラム、ウッドベース、ピアノの四人組。ジャズには詳しくないユウコだが、スウィングと呼ばれる独特のリズムに乗せて難しいフレーズをいとも簡単そうに演奏しているのを見ると、腕の立つベテランのように思えた。

「お姉さん、ジャズ好きなの?」

 隣に座っているカップルの一人がユウコにそう声をかけた。
「いえ、私はあまり……」と返すと二人は何故か納得したような表情で顔を見合わせた。女性客の方がウキウキした様子で「もしかしてMor:c;waraのファン?」と聞いてくるので、思いもしなかった名前が発せられたことに驚いて言葉を失っていると、何も答えないのを不審に感じたのか「え、違うの?」と重ねて尋ねられた。
 なぜ突然Mor:c;waraのことを聞かれるのか疑問に感じながらも、なにか答えなければいけないと思って「別に嫌いじゃないですけど……」とだけユウコが答える。

「もしかして、誰のお店か知らずに来たの?」
「え、何の話ですか?」

 彼らの問いかけの意味が本当に解らず、ただ首を傾げていると、女性客が「この人、誰だと思う?」と先ほどカウンターに案内してくれた店員を指さした。好奇心いっぱいの子供のようにワクワクしている女性の目がユウコを見つめる。

「知らないならいいの。余計なことは言わないで」

 指をさされた店員が「ご注文は?」と女性客の質問をはぐらかしてユウコに水の入ったグラスを差し出した。

「この人ね。Mor:c;waraでドラム叩いてた人」

 カップルの男性客がそんなことを口にするが、やはり意味が解らずにユウコは気が抜けたように目をパチクリさせる。
 女性客がカウンターに置いてあった写真立てを持ち上げて、男性店員の顔の横に翳すと彼は恥ずかしそうにその手を払い退けようとしたが、写真の中の人物と並べて見て、ユウコはようやく彼らの言葉の意味を理解した。

「えっ、KENJI……さん?」

 写真に写っているのはMor:c;waraのドラマーのKENJIだった。
 目の前の男性は髪が短く、化粧もしていないのでパッと見ただけでは同一人物だとは気づかないが、顔を構成するパーツの一つ一つは紛れもなくKENJIで、言われてみれば写真の中の人物と同じ顔をしている。

「ほら、やっぱり解んないんだって。全っ然   面影無いもん!」
「髪伸ばして化粧してりゃ、誰だって別人だよ!」

 女性客が可笑しそうに笑うのでケンジが少しムっとして応える。
 ユウコは女性客から写真立てを受け取り、驚きながらケンジの顔と写真を何度も見比べた。

「そんなにじっくり見ないでよ。……恥ずかしいから」
「あっ、すみません……」

 そう言われてユウコはようやく写真を元の位置に戻した。

「あの、ここってKENJIさんのお店なんですか……?」
「まぁね。バンドが解散してやることなくなっちゃったからさ」

 少年のように無邪気に笑ってそう答えるケンジの表情は、バンドでドラムを叩いていた頃のKENJIのイメージからはかけ離れていた。
 音楽番組やライブの映像ではいつも受け答えするのはボーカルのTASKかギターのICHIROUでSEIICHIとKENJIの二人はいつも後ろに控えて殆ど喋らない無口なイメージがあった。自分の店を経営していることといい、お客さんに対して愛想よく話している姿といい、とても意外に感じる。

「よく言うよ、これ見よがしにバンド時代の遺産を店内に飾ってるくせに」
「や、あれは……お客さんが喜ぶからさ」

 男性客に言われて気恥しそうに返事をするケンジ。ユウコが改めて店内を見渡すと、店のいたるところにMor:c;waraの写真やCDのジャケットが飾られていることに気がついた。ステージの脇にはいくつか楽器も並んでいて、よく見るとそれはMor:c;waraメンバーが愛用していたオリジナルデザインのギターやベースのようだった。

 思いがけず懐かしい空間に入り込んでしまったような温かい気持ちになる。写真の中には元気に笑うTASKの姿が写っていて胸の奥がチクリと痛んだ。
 古い友人の記憶を宿す店に特別な親しみを覚えつつ、何気なく店の中を眺めていると、ユウコの視線はある一点を見つめたまま凍り付いた。何かの間違いかと思ったが見れば見るほど疑念が深まっていく。
 ステージ脇の音響機材が集められた一角に古いアコースティックギターが一本飾られていた。遠くてよく見えないが、それはあの日タスクに預けたギターによく似ているように見えた。
 同じメーカーの同一モデルなのは間違いなさそうで、唯一違いがあるとすればピックガードが貼られていることだけだった。ユウコは無意識のうちにギターに駆け寄り、間近でじっくり観察を始める。すぐ近くのステージで演奏しているギタリストが不思議そうにユウコを覗き見た。
 古いモデルだが同じものが現存しているのはあり得ない事ではない。それでも、ここに同じものがあるのは単なる偶然だとは思いたくなかった。
 指板のすり減り具合やボディーについた細かな傷は随分長い間使い込まれてきたような年期の深さを感じさせるが、綺麗に整備されているので傷や汚れがあまり目立たず、近くで観察したところで、あのギターなのかどうかは判然としなかった。ピックガードは市販の真新しいものに張り替えられている。

「そのギターに目をつけるなんてなかなか通だね」

 背後にケンジが立っていて関心するように腕組しながら満足気にウンウンと何度も頷いた。

「かなり古いギターだから現存する数も少ないんだ。
 Mor:c;waraの楽器じゃなく、このビンテージに目を付けるなんて、相当目が肥えてる証拠だよ」

 そう言ってケンジはまたウンウンと頷く。
 本当のことを話す気にはなれないし、話したところで信じてもらえるとも思えなかったので、勝手な勘違いをしてくれているのは都合が良かった。
「昔、同じモデルのギターを持っていた友人がいたので」と詳細は省いて無難に答えると、ケンジが「元カレ?」と悪戯っぽく笑いながら楽しそうに尋ねた。肯定も否定もせずにただ恥ずかしそうに目を伏せるユウコの様子に、ケンジは「そっかぁ~、いい思い出だったんだね」とニコニコしてまた頷いた。
 その時、店の扉が開きケンジが反射的に「いらっしゃいませ」と新しい客に向かって呼びかけた。
 細身で背が高く、肩まである長い髪の男性が入口に立っていて「よっ」と片手を挙げてケンジに向かって挨拶する。
 初冬のこの時期には少し寒そうな黒い革ジャンにジーンズというラフな格好でありながら、不思議と洗練された上品さを漂わせているのは、身の丈に合ったスタイリッシュな着こなしが型に嵌っているからだと思う。海外の高級ブランドのものと思われる高価そうな洋服やアクセサリーを身に着けているのにいやらしさを全く感じない。ごく自然に自分に似合うコーディネートをチョイスしただけというゆとりが感じられた。
 長い黒髪の分け目から除く表情はサングラスで隠されているが、その男性をユウコはよく知っていた。元Mo:c;waraのベーシストのSEIICHIだった。

「なんだお前か」
「なんだとはなんだよ失敬な。客だぞ俺は」
「どうせいつもツケのくせに」

 冗談めかしてお互いに憎まれ口を叩きあうセイイチとケンジの表情は和やかで、とても仲が良さそうな印象だった。Mor:c;wara解散の理由の一つとしてメンバー間の不仲説もあったくらいなので、ユウコにとってはそんな二人の関係性に小さな驚きを覚える。
 セイイチがカウンターの席につくと先ほどのカップルとも顔見知りなのか、セイイチは「あんた達はいっつもいるなぁー」と楽しそうに笑った。
 ユウコは記憶の中で知っているSEIICHIとは全く違うその姿に戸惑い、唐突にTASKが亡くなった日のことを思い出した。その日のSEIICHIの異常なほど寂しそうだった横顔が今でも脳裏に焼き付いている。


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