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人生で生きるコツは何だろう?


いくつもあると思うが、



私の場合、


人生を面白がることだと思う。




それは、

大阪弁でいう

「いちびり」の精神にも通じる。



大阪ことば事典によると

『調子に乗ってはしゃぐ。ふざける・ほたえる・つけあがる
と言うほどの意を含んでいる。

「市振る」の転化で、
その市振りの嬌態から来たもの。


とあるが、私が使うときは、

好奇心を持って、普通の人の見方とは違う見方で、
面白がる人という意味合いで使っている。


人生とは、

その人の見方、考え方によって決定される。




同じ一生ならば、人生を悲観的に暮らすよりは、

わたしは面白がって楽しく生きよう!


人生を幸福の方面から眺めてみると


「人生って、こんなに楽しくて、面白く、

 充実していて、幸せなものなんや!」と実感する。


だが、


むかしの、

消極的で悲観的、また人生を疑いの面から

考えて、斜に構えていた自分と天と地ほどの違いがある。



正直、あの頃は、しんどかったなあ。




ところで、


知っている人は知っている。

『愛少女ポリアンナ物語』というお話がある。



小説では『少女パレアナ』、

テレビのアニメーションでは『愛少女ポリアンナ物語』だ。

原作者エレナ・ホグマン・ポーター。



ストーリーは

20世紀初頭のアメリカ西部。

ポリアンナは4歳にして母を亡くすが、

父のジョン牧師に、

どんな逆境にあっても喜びを見つけ出すゲーム
「よかった探し」を教わり、

明るく元気な女の子に成長する。


しかし

その父をも病で亡くし、
1人ぼっちになったポリアンナは、
遠く東部に住むパレーおばさんに
引き取られて暮らすことになる。


父に教わった「よかった探し」が
ポリアンナの心の支えとなり、

しだいに町の人気者になっていくが、
ある日交通事故にあってしまい……。


4歳の彼女に、これでもか、これでもかと
いうぐらいに試練や災難がおそい来る。

ところが、

彼女は父の教えをしっかり守り、
ひとつひとつ見事に『喜び』へと変えてしまう。


そして、彼女が行く先々の地域の人々に
喜びと希望が芽生えていく。

というストーリー。


人生というものは、
良いことばかりではない。


辛いこと、悲しいこと、しんどいこと、
怒りが込み上がるような出来事、

嘆くしかないことなど
悲惨なことも少なくない。



悲喜こもごもがあるのが人生だ。


しかし、

どんな状況であっても、

自分の心は

自分の考え方次第で

明るく前向きに感謝と歓喜とを

選択することはできる。



なぜなら

同時に2つの感情を味わうことはできないように

我々はつくられているからだ。


思いっきり楽しい時に

悲哀の感情は同時に出ることはない。


同じように出るような時もあるが、

よくよく自分の心を観察してみると、

「時間差」があるものだ。


よって

人生において

【嬉しい楽しい幸せだ!】

を選択することは可能なのだ。


わたしは30代になってから、

積極思考を研究していた時に、

この小説『少女パレアナ』を知った。


そしてすぐに読み始めた。


読みながら

ええ年齢をしたおっさんが、

うるうると来た。



さらに、

子供向けのアニメである

おそるおそる『愛少女ポリアンナ物語』を見た。

ちょっと照れながら。いや大いに恥ずかしがりながら


自宅で母と観た。


またもや、ええ年齢をした男のわたしは

うるうるとした目になっていた。


「そうなんやっ!

 積極的に生きるというのはこういうことなんや!」


テレビの前のわたしは心の中で叫んでいた。


幸せというのは、
どこか遠くの世界にあるのではない。

また、
誰かが、自分の元に運んでくれるものでもない。


自分の心の中にあるものを引き出すだけなんだ。


自分の心が感じる平安な気持ちが幸福なのだ。


自分の心の中の見方と考え方、
そして受け取り方次第なのだ。



わたしたちは

どんな状況からでも、幸せという恵みを感じることが

できるのだ。


本当の積極というのは、

がむしゃらに肩肘をはって
悲壮な顔をして前進することではない。


むしろ、

にこやかな笑みを浮かべ涼しい顔をして、

悠々と前を歩いているイメージが

私にはある。



幸せに生きる方面から人生を眺めた場合、

やはり

どんな状況からでも

【面白がる】というのは、大きなコツだ。


また、これはセンスでもあると思う。

ただ、これは誰でも身につけられるセンスだ。


自転車で移動している時など、

わたしは1人で思わずニタニタ笑ってしまっている時がある。


「うっ、やばい。

 変な人やと思われてるんとちゃうやろか!」


「まあ、ええわ。

 こんな人間がこの世にひとりくらいいてても

 ええんちゃうか!」

と、わけのわからん理屈を自分でつけている。

ほんまに変なおっさんや!


ところで

何か自分にとってマイナスの状況が来たとする。


それを、これから良いことが起こる前兆やと思ったり、

この出来事から何を学べと天は言っているのかなとか、

どういう風に、この問題を解釈すると

おもろいかなあと、いつの間にか、

私は、しょっちゅう考えている。




そういう意味で私は【面白がり?】かな?




やっぱり、こういうタイトルの付け方は

【面白がり?】の証拠かな。

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