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祝300日~反骨エピソードを添えて~

いつもの過去エッセイと違い、珍しくリアル今日な記事です。

何日か前、こんなお報せが届いた。

はっきりとは意識していないので覚えていないが、2月にnoteを始めてから1日も欠かさず投稿しているはずだ。
節目に到達するたび、いやそうでなくてもいつも思うが、これはもちろん読者の皆さんあってのこと。
もしも、ビューとかスキとかコメントとか一切なく、果たして300日も黙々投稿できるだろうか、いやできるわけがない。

過去に書き溜めた駄文を投稿しているだけなのに、多くの方に見ていただけて、スキをポチッと押していただけて、さらにはコメントでまでつけていただけて、この〈いただけて〉の応酬にもう感謝の花束がいくらあっても足りないくらい。
ありがとうございます。

さぁ次の節目といえば365かな、333かな、321かな。
また心機一転がんばるのみ。
では。

と思ったが、ここで終わるには心にひっかかるものがある。
…しけりうさんからの宿題だ。

この記事にコメント書いたら、反骨エピソードぜひお聞きしたい! 記事としてリクエスト! と(たぶん)大きな声で返されたのだった。
過去エッセイを投稿していくのがとりあえずのポリシーというのに…
でも、しけりうさんのnoteはいつも深く、楽しく、うむむ…ふむむ…と唸りながら読むことが多く、正直に言ってしまえば大好きなnoterさんだから、リクエストを黙殺するわけにはいかないのだ。

というわけで反骨エピソード。

小1のとき、アサガオの観察日記で、葉のつきかたを見たまんまに描いたら担任に違うと言われた。
いや、そんなんゆうても、見た通りに描くのが観察日記やろ?
それが学識と違うかどうかは別問題なんちゃうの?
「見たまんま描く」と「学識に照らす」のどっちを優先すべきかの話だと食い下がったが、担任は実物の鉢を見もせず間違いだと断定した。
もしかしたら突然変異の世界的な発見だったかもしれないのに。
担任から親宛の手紙には「子供らしくない面があります」と書かれていた。
まぁ明らかに葉っぱの描き間違いやろなというのはとりあえずおいとこう。
そしてその担任とは今でも年賀状のやり取りが続いている。

教師とのこんなせめぎ合いは高校卒業まで延々と続いたし、大学、社会人になって次第に人間が丸くなりだしてからも反骨精神だけは旺盛だった。
とある村の長に「あなたが○○をそんないい加減な態度でやると言うのなら、僕も村長できます」と言うなど、もう反骨エピソードには事欠かない。
が、そういうのはたくさん並べて数を競うものでもないと、ここでお開き。
またいつか、ぽつりぽつりと吐き出せればいい。

と、しけりうさんのリクエストに応えたつもりだが、どうもずれてるような気がしてならない。
少しでもかすっていたらいいのだけれど。

まだしけりうさんの記事を読んだことのない方は、ぜひご一読を。

ではまた、明日から過去エッセイの世界に戻ります。

(2020/12/13記)

サポートなどいただけるとは思っていませんが、万一したくてたまらなくなった場合は遠慮なさらずぜひどうぞ!