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反戦なのか、反芸術なのか?

3月の初め、フランスのオーケストラ、キャピトル・トゥールーズの常任指揮者であるトゥーガン・ソキエフがトゥールーズとボリショイ両方のポストを辞任した。原因は言うまでもなく今ウクライナで起こっている戦争である。
トゥールーズの市長から次のコンサートの前にウクライナ情勢に関して立場を表明することを求められたと言う。何も言わなければ彼のフランスでの活動に悪影響を及ぼすし、逆にロシアを批判すれば母国の家族が危険に晒される恐れがある。
彼ができることはこのような選択をすることしかなかったのだと思う。

それにしても、このひたむきに音楽に従事してきたひとりの才能ある指揮者をこのように追い詰めた世の中を私は許すことができない、というよりも唖然としている。指揮者の仕事は音楽という世界遺産を扱い、もっと言えばそれらを通じて人類の叡智や平和を表現することであり、政治的な立場を表明することではない。
私たちが生きている時代は21世紀であり、第二次世界大戦中ではないにも関わらず、起きていることはまるきりあの時代の野蛮さと似通っている。

すでにポーランドでは【ロシア音楽】が禁止になっていると言う。これを聞いて私は心底ぞっとしてしまった。何故ならこの【ロシア音楽】というくくりには間違いなくショスタコーヴィチやチャイコフスキーも含まれているであろうからだ。
これらの作曲家の作品は、今日まで当然の事ながら世界中で愛され、每日どこかのコンサートホールで演奏されてきた。もし今これらの作曲家達がポーランドの演奏会のプログラムから姿を消すのであれば、ショパンを生んだヨーロッパの国のすることか?と本気で憤りを覚える。


問題は戦争か、それとも偉大な芸術なのか?

このような事は、ロシアの音楽家や罪のないロシア人を苦しめるという事と同じで全く意味のない制裁であるとしか言いようがない。それどころかこういった嫌がらせを考え出す人たちには、芸術がちっぽけな国境なんてものを遥かに越えた【人類の遺産】だということすら解っていないらしい。ショスタコーヴィチが自分の作品に独裁国家への恐怖と痛烈な批判を込めたことは有名であるにも関わらず、彼らは【ロシア】という言葉のみに反応するのだからこれはもうポンコツのA.I.並である。
そして、こうした社会風潮は私たちが小さい時から学校、又は数々のメディアや本によって教えられてきた【戦争は恐ろしいものであり、人間の理性を狂わせてしまう】という考えを全く無視している。なぜなら私たちが多くを学んだのはアンネ・フランクをはじめとする【すべての】戦争の被害者達からである。その中には国家の犠牲になった数々の罪のない音楽家や芸術家がいた。
わたしの敬愛する20世紀の指揮者やヴァイオリニストや作曲家たちがユダヤ人だというだけで不当な扱いを受けたり、時には命を危険にさらし危機一髪で亡命した話などを読んで愕然としたものである。

今世界中で起きている不確定多数のロシア人に対する意味のない差別、制裁を耳にする度に大きな落胆を覚える。不当な差別を受けているという意味においてはロシア人だって立派な戦争の被害者ではないか?
戦争を挑発したのは一般の人たちでも芸術家でもない政府のごく一部の人たちなのだということを肝に銘じ、偉そうにロシア文化のボイコットなどを口走るべきではない。同調圧力に負けたりメディアに煽られるがままになることはあまりに容易だがそれこそが怠惰であり、こんな時こそ歴史を振り返りながら自分の頭で考える体力をつけていくことが、少しでもいらぬ悲劇を減らすために必要な事だと思っている。



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