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夜行列車

飛行機嫌いの母のおかげで、ウィーンからミラノまで夜行列車の旅をすることになった。

私たちは洗面台付きの、割に居心地のいいコンパートメントに入り、今度ばかりは喧嘩をすることもなかった。お互いに引っ越しの疲れで、ほとんど話もせずに窓の外をぼんやりと眺めていた。

ちょうど夕焼けで、はじめ黄金色だったコンパートメントはあっという間に真っ赤に染まった。窓の外の田園風景が、みるみるうちに燃えるような夕日に包み込まれていく様子は圧倒的なまでに美しく、私はそれを母と感嘆の想いで見つめた。

私はふと、イタリアでの初めてのオーケストラリハーサルが一週間以内にスタートすることを思い出した。イタリア語を話せないことはある程度仕方ないにしても、リハーサルでマエストロ(指揮者)が指定する小節番号が解らないのはさすがに問題であろう。しかも初めての演目はマーラーの二番のシンフォ二―なのだから小節番号だって半端ではない。早速私は「イタリア語の入門」という少々昭和っぽいフォントで印刷された改訂版を荷物から引っ張り出し、数の暗記を始めた。

次の朝、母は「夜中のヴェニスの水」が素晴らしかったと言った(この話はそれ以後ずっとこのイタリア旅行の代名詞みたいになった)。つまり夜中、ヴェニスに列車が停車している間にふと目覚めて窓の外を見ると、あたり一面黒い水がうねっているのが見えて目を疑ったと言うのだ。

真夜中の車窓に広がっていく海はたしかに非現実的だ。ヴェニスという都市の持つ、どこか舞台装置的な虚構性と、唯一無二の美しさを身体的に体験するためには、海から訪れるべきと昔から言われるが、ほんとうにその通りだろう。

乗車の際に私たちの切符をチェックした制服姿の車掌さんは、朝になるとエプロンをつけてせっせとふたり分の朝食を運んできた。母は驚いて、こっちではすべての業務を車掌さんが一人でこなすのかと笑いながら感心した。

ミラノで住む場所については夏、東京にいる時から予想外の展開が待っていた。はじめ、オーケストラ事務局の女性は何事もないかのように、私が当分の間住むアパートは決めておくから、などと言っていた。ところが東京を出発する一週間前になって確認の電話をすると、そんなアパートなど何処にもないということがわかったのである。結局、ウィーンからの荷物はすべてオーケストラの事務所に送らなければならないことになった。

事の重大さを知った事務所の人が慌てて探し当てたのは、ミラノ中心部に住み、日本からの留学生などをホームステイさせたりすることに熱心な婦人宅だった。

(続)

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