無本番・練習日記2020年10月12日~18日

2020年10月12日(月)
ヴュー:音程のための10の練習曲
 未だに指定テンポでは弾けない練習曲。でも無性に弾きたくなる時があって、時折楽譜を取り出して弾いている。激辛料理みたいなものなのだろうか。今日は久しぶりにその気分になり、1番を選ぶ。いつも準備運動も兼ねている音階も弾かず、いきなりヴューを弾き始めてしまったが、1時間練習したところで楽々弾けるようにはなれなかった。
「付点四分音符=160」って、何よ?
書き込んであった過去の指遣いを見直し、もつれそうな左手指をいかにせんと悪戦苦闘。指が重いのでどこか自分自身で指にストッパーを掛けてしまっている気がして仕方がなかったが、解決の糸口を掴む前に左手指の付け根が疲れてきたので、痛くなってしまう前に終了。音程も臨時記号も、たまにどの弦を弾くのか判らなくなってくるのも難しい。
バロックヴィオラは無事確認を兼ねた音階練習のみ。ボウイングが、完全にモダンのそれを引きずっている気がした。

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2020年10月13日(火)
音階(C-dur , a-moll)
ヴュー:音程のための10の練習曲
F.A.ホフマイスター:ヴィオラのための12の練習曲
ジェミニアーニ:ヴァイオリン教本 Art of Playing Violin
 昨日の反省をふまえ、今日は準備運動として音階を弾いてからヴューの1番に向かう。160のテンポが予想よりもゆっくりであることを願いながら時計の秒針を基準にテンポ確認を行ったが、やはり予想通りのスピーディだった。指の動きがどうというよりは、まず耳が出している音を拾い切れていないようだったので、まずは耳をスピードに慣らすことから始まった。ゆっくり練習するということには、こういうことも含まれるのだと改めて知る。「とても軽く」と指示に書いてあった軽さは、羽毛並みと当面の間は考えておいた方が良さそうだ。
絨毯にできた毛玉のような多少の瑕はありつつも一曲通るようになったところで、一度ホフマイスターの5番で気分転換。時代が違えば演奏感覚が全く変わり、こちらはまた別の難しさ。気分転換のような、そうでないような。何となくヒントを得ることは出来た気がしたので、5番を一通り弾いたところでヴューの1番へ戻る。何とかスルっと弾けた。
バロックヴィオラはジェミニアーニの20番を開きボウイングのみ。ほぼ独学のため、果たしてこれで合っているのかどうか確証が持てない。そもそも演奏の仕事が再開したときに今やっている練習が吉と出るか凶と出るのか。今まで仕事の現場が方向性を確認する場にもなっていたため、確認できない状態が続くのは非常に心もとない。

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2020年10月14日(水)
他用のため練習お休み。
(余談)音を出していない時間(休符など)を共有するようにした方が、同じ楽器同士合わせるのには楽かもしれないと、ようやく気付いたのが2年前。ただしヴィオラ2人の時しか実践できていないので、これが違うプルトになった場合どのようになるのかは謎。

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2020年10月15日(木)
他用のため練習お休み。

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2020年10月16日(金)
音階(C-dur)
テレマン:無伴奏ヴァイオリンのための12のファンタジー(ヴィオラ編曲版)
音階(C-dur , a-moll)
レーガー:無伴奏ヴィオラ組曲
 2日ぶりのバロックヴィオラ。ジェミニアーニ『ヴァイオリン教本 Art of Playing Violin』内のC-dur音階を準備運動にして、テレマンは3番を弾く。1楽章のAdagioで引っ掛かり、先へは進まず。ふとした瞬間に「Adagioで短調だからと、反射的に重たく悲しいイメージを持っている」ことと、そこに疑念を持たずに今まで弾いていた自分自身に疑問を持ち、何となく抱いていた曲へのイメージを見直すことにした。
拍子数えてるだけになっていないか?そもそも「現在の自分の意思」はどこにある?
譜面を見慣れている曲を弾くときは、過去のイメージそのままに自動的に弾いてしまうことが多い。「初めてその楽譜を見た時の感覚を忘れない」、常に新しい気持ちで楽譜と向き合うことの、なんと難しいことか。
 モダンヴィオラは音階の後、何となく敬遠していたロマン派のレーガーを選ぶ。組曲第3番。重音が昔弾いた時よりも難しく感じられ、加えて曲の方向を掴むのに手間取る。以前友人のコンサートで聴いたオルガン曲のエキサイティングな面白さが感じられないのは何故なのだろう。もとい、なぜあの面白さを引き出せないのだろう。学生時代からのイメージを払拭せんと、ひたすら1楽章前半で行きつ戻りつの奮闘。ある時点まで糸口が掴めれば、後半は何とかなるのだ。
こちらも学生時代の書き込みが過去のイメージを引きずり出してきて、「現在」の意識の邪魔をする。作品の捉え方が変わる。成長の証なのだと思いたい。古い書き込みは、これはこれで大事な財産なので新しい楽譜の入手を考えた方が良さそうだ。

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2020年10月17日(土)
音階(C-dur , a-moll)
レーガー:無伴奏ヴィオラ組曲
音階(C-dur)
テレマン:無伴奏ヴァイオリンのための12のファンタジー(ヴィオラ編曲版)
 今日はモダンヴィオラからスタート。音階を弾いてレーガー。昨日演奏の糸口を掴みかけたと思っていた1楽章は、ふりだしへ。昔の演奏の影をそのまま自動的になぞるように弾いてしまうのは、それだけ曲が自分の中に入っていないということなのだろう。真っ新な感覚で向き合いたいが、無意識に拍通り数えて弾くことだけを良しとする方向に戻る瞬間が何度となく訪れるため、油断ができない。一度気分転換に2楽章も弾いたが、「現在の自分の感覚」で曲を捉えることができた。この差は何なのだろう。再び1楽章に戻り楽章全体を通すことを試みたが、やはり「過去の壁と影」が立ちはだかった。
 バロックヴィオラは音階を軽く弾いて、テレマンの3番、1楽章。テレマンは弾く日によって曲に対する捉え方が毎度変わるので、困ってしまう時がある。除湿器を回していたので大きめの音で弾いていた、そのせいかもしれない。余った時間で少し弾いた2楽章のPrestoは、これはこれで難しそうな予感。一度バロックヴィオラでも一通り弾いたはずなのに、より難しく感じられ、苦戦している気がする。

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2020年10月18日(日)
クロイツェル:42の練習曲
レーガー:無伴奏ヴィオラ組曲
 今日の練習はモダンヴィオラのみ音出し。
いつもの音階の代わりに、クロイツェルの2番で準備運動して、レーガーの組曲第3番に取り掛かる。今日は除湿器を動かしていないので、静かな環境で練習ができた。ずっと引っ掛かっていた1楽章から、順番にさらっていく。2日間モヤモヤした成果か、1楽章で抱えていた昔のイメージからようやく脱却することが出来た気がする。2楽章Vivaceは後半Trioを何とかしなければならないらしい。「重音=難しい」の固定観念と共に身構える癖をどうにかした方が良さそうだ。3楽章Adagioは今日はすんなり行ったのが、逆に怖い。4楽章Allegro Vivaceはフィンガリングとの奮闘。部分部分で練習すれば何とか弾けるようになるのだが、最初から繋げると最後の方でどうしても指がもつれてしまうので、解決策を探さねばならない。
 組曲第3番は第1番と似ている(そして1番より更に弾きにくい)印象しかなかったが、今回の見直し練習で払拭していこう。ついでにロマン派作品への苦手意識が少しでも薄まればラッキーだ。

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