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梔子と薔薇



 梔子(くちなし)の香りが、閉めた硝子戸の向こうからなお漂う夜。
 寝台に潜り込み、白い襞飾りの上掛けにくるまれながら、濃子(こいこ)はその香りを吸い込んでいた。

 濃子は今、減量中である。食事の量を減らし、砂糖や油を断ち続けている濃子の鼻腔に、甘い梔子の香りは魅惑的だった。アイスクリームやババロアの、濃厚でまろやかな舌触りを思い出す。
 まだずっと小さかった頃、デパートの食堂では、いつもホットケーキを頼んだ。とろけるバタと、琥珀色のシロップがたっぷりかかったそれを、何のためらいもなく食べた。女王様が、自らのための贅を尽くした食事に驚きなど示さぬように。

 濃子の幻想のテーブルに、次々と料理が運ばれてくる。湯気を立てるマカロニグラタン、苺のジャム付きトースト、甘いケチャップライスに、噛んだら衣が音を立てるようなクリームコロッケ。
 なぜ、美味しいものは体に悪いのだろう。だったらそんなもの、最初から作らなければいいのに。煙草だって麻薬だって、人が死ぬようなものを、なぜおのずからわざわざ作るのだろう。

 ふと、同級の雛子(ひなこ)の姿が浮かんだ。
 体育の時間、赤い鉢巻きを締めた雛子は、風のように運動場を駆けていた。ほっそりと長い、飴を伸ばしたような手足。なめらかな肌の、ひじやひざ、指先だけが薔薇色をしており、その色のようにみずみずしい薔薇の香りが、短く切りそろえた髪から時折香った。その香りは、雛子そのものであった。
 翻って自分は、こんなもったりした甘ったるい香りを、飢えにまかせて貪っている。
 軽やかで、透明で、清潔な雛子。同じ年に生まれた少女でありながら、なぜ自分はあのようではないのだろう。生まれたばかりの赤ん坊の頃は、きっとそう変わらなかったはずなのに。
 梔子の香りの中で寝台に横たえている身体は、いつの間にかにくっついてきてしまった、さまざまなものがまとわりついて、もはや重い樽のようだった。

 人間は、こうして歳を取っていくのだ。

 学校の先生や、近所の小母さんや、売店の小父さん。自分に親切にしてくれる大人たちと話しながら、濃子はいつも盗み見ている。そのしみだらけの皮膚、肥った腰、くすんだ歯、脂の抜けた髪。なぜ、大人はあんなに汚れて醜くなるのだろう。それでいて、平気で過ごしているのだろう。
 けれど私は、今すでに鈍重で醜いのだから、大人を毛嫌いする資格がない。

 濃子は、雛子の白い歯と、水色に透き通った目、妖精のような体つきを思った。雛子も歳を重ねれば、いつか衰えていくのだろうか。
 それでもなお、人間が生きていなければならない理由がわからない。

 濃子は、深く寝台に潜り込み、梔子の香りがもう入ってこないように、上掛けを頭まで掛けた。
 そして、明日の朝に目覚めたら、自分が鶺鴒(せきれい)のようにほっそりとした身体になっている様子を思い描いた。
 重い肉体を脱ぎ去り、生まれ変わった私は、もう何も食べることはないだろう。そして、花のように、風のように生きるのだ。水の上を駆けられるほど身は軽く、仕草も、話し方も、まなざしも、吐く息までも、透明に変わるだろう。
 そうなったら、もう何にも悲しまず、何にも憎まず、何にも妬まず、何もかもから自由になるだろう。きっと、どんなにか楽だろう。



初稿 2015年12月3日
改訂 2020年3月12日
二訂 2020年4月21日


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