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『郵便局と蛇 A・E・コッパード短篇集』

⑴ おすすめ度 ★★★★☆ (巻末の解説込みでの評価)

図書館の「今日返ってきた本」的なコーナーで発見して読んでみた。


⑵ ざっくりすぎる内容


・幻想的、キリスト教的要素が多く時々ハリポタ的ファンタジー要素も有り。

・個人的に短編集というのは空いた時間にちょこちょこ読めることが利点の一つだと思っているが、本書は「時間をしっかり取って読書をする」と決めて読む類の本。

・この手の 「一味違う本を読みたい人におすすめ」とか推薦文を書かれそうないわゆる"幻想的"  "奇妙"  "独創的" と評されるような作品は、実は国内外問わず案外多いと思うし、知る人ぞ知るとかマニアや玄人向けというジャンルではもはやないと思っている。
雰囲気を楽しんだり、行間を読む系の作品の傾向が強い気がする。
しかしこの作品集においては、ある程度人物の心理描写や結末が描かれているので(人物の半生みたいなものも結構詳しく書かれている)、"幻想的"  "奇妙"  "独創的"な作品を避けてきた人にもそこそこおすすめ。
ただ、結末や登場人物の言動にきっちりはっきり理由がないと納得できない人にはやはりストレスを感じると思う。

・全体的には、" ナイーブ " " デリケート "“ 中年の哀愁 ”という印象も強い作品集。

・巻末の解説に
「コッパードの作品にたいする評が肯定的、否定的を問わず、微妙に保留といったニュアンスを感じさせるのは、その<イディオシンクラシー>ゆえであろう」
(P260。イディオシンクラシーとは「特異な」「特有の」「風変わりな」の意。)
とあるが、この‘ 微妙に保留 ’という表現がまさにその通りだと思う。
すごく面白い!ともすごくつまらない!と断定もできない保留というニュアンスがぴったりである。

・文庫版の小説には「解説」がよく一緒に収録されているが、個人的に「これ、解説になってる?」というものが多い気がする。
この作品の解説(かなりのページを割いての解説)は、この短編集の各々のお話についての解説はあまりない。コッパード自身とコッパード作品全体の解説になるが、わかりやすく面白かった。作者の人生自体も面白いことがわかる。

・人生上手くいってない中年~老年の登場人物が多く派手な展開もないので、正直、10代や20代の若い世代の読者にはあまり面白いと思えないか、意味がわからない…で終わりそう。
もし「いや、わかりますよ」って若者がいたら、結構な苦労人な気がしてならない(超偏見)。


⑶ 文体

・原文は難解なようだが、翻訳版である本書はとても読みやすい。

・海外作品の THE・翻訳 といったぎこちない文体ではない。


⑷ ざっくばらんな感想

以下、作品ごとの簡単なあらすじと感想。

➀銀色のサーカス
 
虎の皮を被ってライオンと戦うことになった男の話。
落語にもよく似た話があるらしい。
お話の設定はかなり面白いが、悲しみに満ちた作品。明るい結末の別バージョンもあるらしいが、本書のような悲しい結末の方があっている気がする。

②郵便局と蛇
切手を買うために郵便局に行った「ぼく」が、郵便局長からある不思議な話を聞くが……。
本のタイトルになっているのにわずか7ページで終わってしまうお話。
ファンタジーなお話なのだが、結末に「あ、そういうこと?」とジワリとくる面白さがある。

③うすのろサイモン 
サイモンという孤独で人生もパッとせず、三度しか幸福でなかったと言う年老いた男性が天国へ行こうとする話。

サイモンは天国へ行く道中、すべてのものの王=神に出会うのだから、自分の今のみすぼらしい恰好ではよくないと思い洋服などを譲ってもらおうと荘園の領主や学者なんかのもとを訪れる。
篤信家にどうやって天国に行くのか尋ねられると「たぶん 途中でエレベーターが見つかると思います」と答える。
私はサイモンが適当に答えたのだと思ったが、本当にエレベーターで天国に行くことになる展開になるので驚き。
サイモンに外套をくれた学者は、外套の隠しポケットに自分が犯した黒い罪が一杯に詰まった財布が入ったままなことに気づく。
この罪は誰のものであるか見分けがつかないため、自分の罪のためにサイモンが罰せられることを恐れ、サイモンの後を追うことになるのだが…。
ちょっと唐突とも言えるファンタジー展開をどう感じるかによって、このお話や前述した「郵便局と蛇」などの好き嫌いが別れると思う。

③若く美しい柳
題名の通りの若く美しい(女性のような言い回しをするので、女性キャラということでいいのだろうか…)と、たくましい電信柱のラブロマンス。

小川未明的な、人外達のお話。

よく言えば自由奔放な柳と、真面目だが保守的な電信柱は最初はそりが合わないが、(ここら辺も、一昔前の典型的なラブロマンス要素満載)互いの仲は友情味を帯びていき、はっきりと言及はないがあくまでプラトニックであろう愛情にまで届きそうな関係になる。
私は恋愛系の作品を好んで読んだり見たりするタイプではないが、このお話のような古風でロマンティックな展開は嫌いではない。嫌いではない…のに…あっさりすぎるラストに驚きと残念さが否めない。

➃辛子の野原 
妙齢な女性達の生々しい井戸端会議。しかし一番好きなお話。
温和だが動きが鈍いエミー、子沢山のダイナ、既婚だが子供のいないローズ
3人の女性が出てくるが、支度の遅いエミーを待っている間のダイナとローズの会話で主に話が進む。
子がたくさんいることを羨ましそうなローズが「あたしには誰もいない。いつまでたっても誰もいない」とダイナに言うが、
「家族なんてものはただの悩みの種」「家族なんて欲しいと思ったことはない」「家族なんてあたしの柄じゃないんだ」「結婚なんかせず、最初からやり直したい」と否定的なダイナ。ダイナの旦那さんは病気になった後、すっかり弱気になったらしくダイナに「役立たず」と言われる始末。
ローズはそれでもダイナに子や旦那さんがいることに対し肯定的な意見を述べるのだが、ダイナはこれを悲観的な意見で一蹴する。

会話が進むにつれ、ルーファスと言う男性に2人が恋心を抱いていたことや、どうやらローズの方はルーファスと少し男女の仲?ようなものがあったらしいことも判明しちょっと不穏な雰囲気が漂う。

しかしダイナは冒頭と終わりに「あんたが好きだよ、ローズ。あんたが男だったらよかったのに」と呟く。ローズは冒頭の時は「あたしもそうだったらって思うわ」と答えるが終盤では何も答えない。
LGBT的なテーマはこの作品にはない気がするのでダイナのこの発言にはそのような含みはないように思われるが、こういった気持ちを向けることができる友人がいることはなかなかないのではないかと思う。
ダイナは自分の家庭や結婚そのものに不満のようだが、良い友を持ったことは幸運だと思う。(この点はダイナ自身も理解しており、⑹ 心に刺さった箇所にも彼女の台詞を引用しているので読んで頂きたい。)

➃ポリー・モーガン 
「わたし」とわたしの美しく独身の伯母である「アガサ」の物語。
ローランド・バートという既婚で子もいる農場主の男性が死亡した。その男性の生前の言葉に背き、墓に花を手向けてしまったアガサはそのことで町で農場主とただならぬ関係にあったのではと噂を立てられる。実際にはそのような関係にはなかったようなので、これだけだとただのかわいそうな伯母のお話で終わってしまいそうだが、話は「幽霊」という思わぬ登場人物?を迎え入れ怪談とラブロマンスを交えた方向へと転換。
予想外の展開を楽しむことができた作品。

⑤アラベスク―鼠 
ロシア小説が好きな中年男性フィリップが棚に備え付けられたネズミ捕りを目にしたことから過去の記憶を蘇らせていくお話。
動物が大好きな私にとっては少々な苦手な要素がある作品。
母と恋人のエピソードを軸に語られるが、この二つの関連性があまり理解できなかった。最後にフィリップがネズミ捕りを棚に設置しなおすのだが、どのような意味が込められているのだろうか。
考察が深まる作品。

⑥王女と太鼓 
孤児のキンセが予言に導かれて旅に出るのだが、巨人ハックボーンズに出会ったりとファンタジー色強め。
タイトル通り王女にも出会うが、曖昧なよくわからない理由で戴冠式をずーーーーっと延期させられている。王冠も手にしていない。そのことによって王女は不満を持っており、王冠に変わるものとして太鼓を与えられているのである。
曖昧なよくわからない理由と書いたが、最後まで戴冠式をしない理由ははっきりわからない。正直、個人的にはこの点にイライラしてしまい「いや、ちゃんと王女に説明しようよ、説明できないなら戴冠式しようよ」と思ってしまった。キンセの設定もあまり活かせてないような気がして、モヤモヤが残る作品。


⑦幼子は迷いけり
一人息子であるデヴィッドのために、母はクリケットや望遠鏡、塗り絵と絵具、アコーディオンなどを与えるがどれにも興味を示さない。父は息子のことにあまり興味はない様子。
そのまま特に何かに興味を示すことなく成長し、蒸気ローラーを専門にする技術者のもとへ年季奉公へ行くことになるが、数カ月働くも病気で休職。
病院にかかるも完治しないまま(病名も明記されていないので不明)実家へ戻ることに。実家に戻ってもなぜか上手く歩けない現象が起こり自分の人生に空虚さを感じるフィリップ。
最後は幼少期に買い与えれた望遠鏡や塗り絵をして過ごしている描写で終わる。

子を持つ親は、胸を打たれる作品な気がする。
無気力、何もしたいことがないという人はある程度いると思うが、それが我が子となると話は別だなぁ…と思った。
だが、特に何にも興味を持てずに大人になってしまった人は多い思う。

⑧シオンへの行進 
旅をしているミカエルと道中であう人々との物語。
キリスト教色が強めで、聖書の中で交わされるような会話が多いが読みにくさはない。
旅に同行してくれた二人の人物のうちの一人は修道士である。
修道士なのに、とてもあくどい。
しかし、この手のキャラは個人的には大好きである。(現実にいたら困るけど。)
修道士の快活さやお喋りが周囲にウケて、食べ物をふんだんに振る舞われるという幸運に浴するが、この修道士、殺意に非常に純粋で、さらに殺した者から金品を奪うことに迷いのない人物である。
ミカエルはこの行いを「豚の所行」だと異を唱える。彼を「人間の皮をかぶった人物、彼は蝗(イナゴ)の心を持っていた」(蝗はキリスト教において破壊を意味するらしい)とまで言い放つのだが、「偉大さ」を彼の中に感じ結局同行は拒否しない。
修道士はカッコいい台詞もたくさんあるし、ミカエルも彼に怒りと侮蔑を向けてはみたものの慈悲の心でなく、彼の偉大さ(修道士なのに殺人も窃盗もしている現実を脇において)によって一緒に旅を続けることを再開したので、読みようによっては修道士のサイコパス感が漂う。
そしてもう一人、マリアという女性に出会う。ある意味、ファムファタル的人物。
2人の旅する男達に紅一点、となると超偏見だが言わせてもらうと大体、天然っぽい天真爛漫な女性キャラになることが多いと思う。
マリアもそれに近いキャラだと思うが、ミカエルに夢の話をしたり「私の天国へ連れて行ってあげる」なんて不思議ちゃんぶりを発揮しミカエルもマリアに恋しちゃったりするのだが…。
ラストの解釈がどうしてもわからないし、やや唐突な終わり方だけちょっと気になる。


⑸ 生意気言わせてもらうと、ここがもう少し…


特に大きな不満のない作品集。
あえて言うならこの作品集を読んでいる人があまりいないのか、ネットにもレビュー等が少ない点くらい。


⑹ 心に刺さった箇所


ひとり友達がいるってことはひとつ幸運を持ってるってことだ(辛子の野原  P90)

 財産と徳 ー 互いに排除しあうもの、正義の世界では罪は存在することはできない。徳の世界では財産はない(アラベスク―鼠 P148)

男の罪を赦すことはできた、けれど人々は男の施す同情は許せなかった(アラベスク―鼠 P149)

心臓の音がとても力強い。正しく打ってる ー これは誰のために打ってるのかしら?(アラベスク―鼠 P153)

あなたは王冠によって治めるのではありません。愛情によって治めるのです。(王女と太鼓 P170)

我が友、ミカエルよ、命のゆえに我々は腐敗するのだ(シオンへの行進 P210)

生きつづけて年をとらないために ー 地上には罪と悲しみがあり、生には希望はない、その結論に絶望して(シオンへの行進 P217)

わたしは埒もない考えをいだくことはない。わたしは必然には頭をさげる。しかしその面前で土下座することはない。しかし、もし私が多くの者とともに焼かれる時には無感覚であるよりむしろ熱さを感じたい。(シオンへの行進 P218)

わたしは、前に見た夢のために祈るわ(シオンへの行進 P219)


⑺ 書籍情報
 『郵便局と蛇』 
  A・E・コッパード  
  筑摩書房  2014年9月発行 

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