いま、一番この選手について話したい

今回は実質的に第一回目の選手紹介投稿という事で試行錯誤を繰り返しながら、拙い表現力と読みにくい文章で魅力あるカンテラーノを紹介していきたいと思う。(大丈夫だろうか、、、)

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Alvaro Carrillo Alacid (アルバロ・カリージョ)
生年月日 2002年 4月6日   ポジション CB

身長 180cm 体重 67,6㎏ 利き足 右 (公式)

所属 Juvenil B (レアルマドリーU18)

アルバロ・カリージョは現在 La Fabrica(レアルマドリーのカンテラの愛称) に所属するカンテラーノ、特に豊富なタレントがひしめくDF陣において最も将来を有望視されている選手の一人だろう。
4月6日に18歳の誕生日を迎えたばかりの彼はお世辞にもCBとして恵まれた身長があるわけではないが、それをものともしない跳躍力を活かしたエアバトルでの堅実さ、的確なポジショニングと純粋なスピード及び、高いアジリティを駆使した読みの鋭さ、対人戦での駆け引きの巧さからインテリジェンスの高さが窺える。  
攻撃面においても、長短織り交ぜた精度の高いパスを後方から供給し、ゲームを組み立てるビルドアップ能力も兼ねそなえている非常に総合力の高いDFといえるだろう。

また、アンダー世代の La Roja (スペイン代表)では2019年10月26日から11月17日までブラジルで開催された FIFA U17 ワールドカップのメンバー(マドリーからはフベBでアルバロとCBのコンビを組む相棒であるラファ・マリンとWGのオスカル・アランダの三名が)に選出され、大会を通じてグループステージ初戦のアルゼンチン戦、第二戦タジキスタン戦(この試合では事故によるオウンゴールも記録しているが彼のパフォーマンスは上出来でチームも5-1で勝利している)、決勝トーナメントベスト16セネガル戦、ベスト8フランス戦と消化試合であったグループステージ第三戦のカメルーン戦を除く4試合にCBとして背番号4を身に纏いフル出場を果たした(ラファ・マリンとオスカルは先発した第三戦以外はバックアッパー)。

この世代の La Roja はバルセロナに所属するアンス・ファティ(彼はクラブや世代別飛び級の兼ね合いで同大会の招集は見送られたが)を中心に各ポジションにタレントがひしめき合う楽しみな世代であり、また、世界的に見てもこの大会で7アシストを記録したジズー2世の呼び声高いフランスのアウシシュ、同胞のクアッシはチアゴ・シウバの後継者と目される(タイプ的にマルキーニョスに似てる気もするが)、快速SBペンベル等PSG勢、リールの超新星カマヴィンガ(彼はU21に飛び級のため不参加)、インテルのヨーロッパでの大会における最年少出場記録を持つイタリアのセバスティアーノ・エスポージト(彼も不参加)、大会得点王に輝いたオランダのハンセン、大会を通じて各国のメディアから軒並み高い評価を得た日本の西川 潤、開催国ブラジルを優勝に導き自身も大会MVPに輝いたガブリエル・ベロン、そして何より忘れてはならないのが、今冬マドリーに加入し、この世代ブラジル最高のアタッカーと目されるレイニエル・ジェズス(彼も当時はブラジル全国選手権の優勝争い真っただ中にあったフラメンゴの中心メンバーだった為クラブ側から U17 は辞退を表明)と挙げれば切りが無いほど、現在、多数のメディアに注目されている将来の有望株が揃った黄金世代なのである。

その中でもアルバロは上記に挙げた選手達に勝るとも劣らないポテンシャルを秘めていると私は考える。(願望にも近いが、、、)
この大会で La Roja はベスト8でフランス相手に1-6の惨敗を喫した。
彼自身のパフォーマンスが最悪だったわけではないが(別段良くもなかったが)、それまで攻守のバランスが取れていたチームの歯車がこの試合では噛み合わなくなり、フランスの能力の高さと勢いに呑まれて喫した‘‘必然``とも言える敗戦だっただろう。試合後ピッチ上に倒れ、涙を腕で覆うアルバロを見るのは辛いものがあった。同時に12年前、彼同様 U17 ワールドカップにおいて決勝の地で涙を飲んだ、ある一人のマドリーの‘‘ワンクラブマン‘‘と姿を重ね合わせる。

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現在、マドリーにとって唯一のワンクラブマンであり、ナチョの愛称で多くのマドリディスタから愛されているホセ・イグナシオ・フェルナンデス・イグレシアス(ここからは打つのが面倒なので親しみのあるナチョで表記しますね)とアルバロ・カリージョは複数の共通点が窺える。
お互い正規のポジションはCBでありながら、チーム事情によりSBも担当することができるポリバレントなDFだ。
ピッチ上ではスピードがあり、足元の技術に優れ、堅実ながらも機を見た攻め上がり、ボールの持ち出しを時折見せてくれる。
身長も公称ではあるが、180cmと同じだ。
そして何より彼らは U17 ワールドカップで世間の評価を高めた選手である。

2007 U17 ワールドカップを振り返ろう⁉

ここまでの拙い文章を読んでいただき誠にありがとうございます。
突然ですが、ここからは話が大幅に脱線いたします。正直ここまでクソ長ったらしいゴミみたいな文章力で note を書いていますが、ここからはもっと収集がつかなくなる構成になります。引き続き、お付き合い頂ければ幸いです。

2007年のU17ワールドカップはマドリディスタにとって馴染みのある選手が多く出場した大会でもあった。
ハメス・ロドリゲスはコロンビアのエデン・アザールはベルギーの10番としてこの大会に出場した。
この大会のMVPに輝いたのドイツ人だった。
ドイツを3位に導き、自身も5ゴールを挙げる活躍を見せたその男は現在マドリーの背番号8を身に纏いピッチ内外で皇帝として君臨している。

この大会に出場したナチョはアルバロと同じ年齢の時にどのような選手だったのか、ここからは振り返っていきたい。

2007年のU17ワールドカップ La Roja のメンバーに選出されたナチョは背番号5を身に纏い、世界屈指の守護神に成長したデ・ヘア(現マンチェスター・U)やこの年リーガデビューシーズンとなり、ラウールのリーガ新人ゴール記録を塗り替え、2007年大会準得点王にも輝いた元バルセロナのボージャン・クルキッチ(現モントリオール・インパクト)、元マドリーのアシエル・イジャラメンディ(現レアル・ソシエダ)等と共に多くの激戦を制し、決勝まで駒を進めた。
決勝の相手はナイジェリア、この試合の主審を務めたのは日本の西村 雄一氏であった。
La Roja は得点王争いをしていたボージャンが出場停止の影響もあり、チャンスを創りながらもナイジェリアからゴールは奪えず攻撃陣は決め手を欠いたが、同様にデ・ヘア、ナチョを中心とした守備陣は堅実なプレーや運も味方に付けてゴールを割らせない。
120分間の死闘はスコアレスドローのまま決着がつかず、PK戦の末 La Roja は敗れた。


ナチョは大会を通して守備の中心として堂々たるプレーを披露した。
奇しくもこの大会でのベスト8の相手は2019年同様フランスであり、この時はPK戦の末勝利を収めている。
特筆すべきは La Roja 一番手のPKキッカーとして登場したナチョが冷静に沈めチームに勢いをもたらすと同時に強靭なメンタリティを持ち合わせていることも示した。
ナチョもアルバロ同様このU17ワールドカップで名を上げ、悔しい涙も流した。

その後も La Fabrica で各年代を順調に昇格しながら、2011-2012にはカピタン兼守備の要としてレアル・マドリード・カスティージャ(レアル・マドリーB)をセグンダB(実質3部)でリーグ優勝を果たし、その後のセグンダ(2部)昇格プレーオフも制して見事に昇格を果たした。
翌シーズンの12-13には背番号18としてマドリーのトップチーム昇格を果たし、15-16シーズンからは背番号を6に変更して現在の地位に至る。

今後の希望

若手の登竜門として知られるアンダー世代の国際大会で名を轟かせた選手でも大成するとは限らないのがこの世界の難しさを物語っている。ことマドリーにおいては毎年‘‘それ‘‘を痛感させられる。
アルバロ・カリージョがマドリーのトップチームにおいて箸にも棒にも掛からない選手になるかもしれない。世界的に見てもその存在が認知されないままキャリアを終える可能性も無きにしも非ずだ。
しかし、プレータイムが短くとも糖尿病と戦いながら、現在もマドリーの重要なピースとして活躍しているナチョのようなワンクラブマンもいる。


アルバロは現在フベニールB(レアルマドリーU18)に在籍しているが、順調に進めば来季はUEFAユースリーグ世代のフベニールA(レアルマドリーU19)、もしくは、飛び級でカスティージャに登録される可能性が高い。

ラモスやナチョが後どれくらいの期間をマドリーで過ごしてくれるかは分からない。もしかすればずっと後のことかもしれないし、案外すぐそこまで来ているのかもしれない。それは誰にも分からない。
今後、マドリーも迎えるであろう大きな世代交代の波に向け、ヴァランやミリトンと共にCB陣のローテーションを担っていく存在として、また、ラモスやナチョの後継者として幾多の経験を糧にアルバロ・カリージョが成長してくれる事を願う。


ここまで拙い文章でお伝えできたか心配ですが、最後までお読みいただき誠にありがとうございます。
次回はピピ(中井卓大)世代(フベニールC・レアルマドリーU17)の数名ついてお話しようと思いますのでお付き合いいただければ幸いです。

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