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オルセー美術館のローザ・ボヌール展 その2

前回に引き続いて、オルセー美術館のローザ・ボヌール展をレポートする。その1はこちらからどうぞ。

ローザ・ボヌールに関する出版は非常に少なく、カタログ・レゾネもまだない。女性画家であるということがこれまで最大の障害となっていたそうだ。展覧会も、彼女の生まれ故郷のボルドーで1997年に中規模なものが開催されて以降、全くなかった。前回書いたように、ボヌールが住んでいたビ城を数年前に現在の所有者が購入し、かなり傷んでいた建物をコツコツと修復しつつ、その作品を広く知らしめる行動を起こしたことが、なんと1世紀以上ぶりの、今回のような大規模な回顧展につながったのだ。

今回は、鍵となる絵や個人的に気に入った絵をいくつか見てみよう。

展覧会を入ってすぐにある序文。展覧会場にて筆者撮影。© Victoria Okada

『ニヴェルネ地方での耕作』

展覧会を入ると、まず肖像画や若い頃のスケッチブックがあり、次に、前回紹介した『ニヴェルネ地方での耕作』が展示されている。この作品は1848年に国からの依頼を受けて制作されたもので、幅2m60cm、高さ1m33cmという大作。このサイズは、高貴とされ絵画のカテゴリーの上位に位置づけられていた歴史画のサイズだ。静物画や動物画はカテゴリーの下の方にあったので、牛の絵をこのサイズで描くことはかなり大胆な行為だったと察する。翌年のサロン展に出品され、フランスの(地方都市ではない)地方の価値と農業の豊かさを宣揚するという政治的な意味づけもあって、大成功を得た。この作品については前回の記事も参照されたい。

 Labourage nivernais, dit aussi Le sombrage 1849, 133 x 260 cm Huile sur toile 
Paris, musée d’Orsay 
Photo ©Musée d'Orsay, Dist. RMN-Grand Palais / Patrice Schmidt

これと同様の絵画に、1844年制作の『耕作』がある。こちらでは工具を引いているのは馬だ。

『耕作』Le Labourage, 1844, collection particulière
展覧会場にて筆者撮影 © Victoria Okada

『馬の市』

『馬の市』は、上の『ニヴェルネ地方での耕作』と並んでボヌールの作品の中でも最も知られたものの一つだろう。展覧会では、この絵を中心に習作や版画などを集めて、一つのセクションが構成されている。それほど重要な絵であり、彼女の画家としての経歴を決定的づけた作品なのだ。

『馬の市』は1853年のサロンに出品され、前記の『ニヴェルネ地方での耕作』以上に大成功を収めた。(日本語の解説ではしばしば1855年作とあるが、ニューヨークのメトロポリタン美術館所蔵のオリジナルは1853年作。ボヌールがナタリー・ミカ Nahtalie Micas と共に制作したレプリカが1855年のもので、現在ロンドンのナショナル・ギャラリー所蔵となっている。)

『馬の市』 Rosa Bonheur et Nathalie Micas, Marché aux chevaux, 1955, 
Londres, National Gallery  
展覧会場にて筆者撮影 © Victoria Okada

ちなみにニューヨークにあるオリジナルはこちら。

『パリの馬の市』ニューヨーク、メトロポリタン美術館所蔵、1853年頃。


この絵で素晴らしいのは、生き生きとした馬たちの描写はもとより、見る人を画面の中に引き込むような構図だ。
絵の前に立ってまず目に入るのは中央右の白い馬2頭だろう。しかし、次の瞬間には左端に目がいく。ここから馬がやってくるからだ。(奥にあるのは、市が開かれていた場所に接する、現在は病院となっているサルペトリエールのオスピスのドーム。)そして馬の動きを追いつつ左から右に視線が動き、最後に右の、画面の奥、馬が走り去っていく方向で終わる。まるで絵を見る人もその場にいて、目の前で実際に馬が一定の方向に動くのを見ているかのようだ。
このように、見る人を絵の中に取り込む手法は、『火災から逃げる野生の馬』にも見られる。

『火災から逃げる野生の馬』
Chevaux sauvages fuyant l’incendie, 1899 Huile sur toile 126 x 221 cm 
Barbizon, musée départemental des peintres de Barbizon, 
en dépôt à By-Thomery, château de Rosa Bonheur 
Photo © Château de Rosa Bonheur


左後方の火災現場から逃げる馬たちが勢いよくこちらに駆けてくる。私たちはその場面に居合わせ、地を鳴らすような轟音を聞くのだ。

さて、つい最近、「ローザ・ボヌール城」の天井裏で、丸められたままの『馬の市』のエスキスが見つかった。今回の展覧会のためにオルセー美術館が洗浄・修復し、展示している。寸法はオリジナルとほぼ同じで、縦約3m、横約5m。絵の制作過程を追う上で非常に興味深い。

最近見つかった『馬の市』のエスキス画 1853年頃。ローザ・ボヌール城所蔵。
展覧会場にて筆者撮影 © Victoria Okada

この油彩画を基にした版画も多くつくられ、作品が世界に広く知られることになった。その中から一つ。

トーマス・ランドセアによる『馬の市』、エッチング。仏国立図書館版画写真部門蔵。
展覧会場にて筆者撮影 © Victoria Okada

 『馬の市』が世界に知られるようになった背景には、他に、ベルギー出身の版画出版業者エルネスト・ガンバール Ernest Gambart の存在が大きい。彼は『馬の市』の油彩を4万フランという膨大な値で買い取り、イギリスとアメリカでこの絵の巡回展を行なった。ボヌールの名前が広まるのに決定的な貢献をしたのだ。

動物の個性を描く

前回、『ニヴェルネ地方での耕作』で牛の目に触れたが、目の表情が全てを語っていると思うのが、この絵。

『狩りの後のバルバロ』
Barbaro après la chasse, 1858 ca. Huile sur toile, 96,5 × 130,2 cm 
Etats-Unis, Philadelphia Museum of Art Philadelphia Museum of Art: Gift of John G. Johnson for the W. P. Wilstach Collection, 1900, W1900-1-2

日本のウィキペディアでは題が『ヴァンデのグリフォン犬』となっているが、この題が何に由来するのかは謎。英語圏で使われている題名なのだろうか。
バルバロと名付けられた狩猟犬は、狩りで必死に獲物を追って疲れているであろうにもかかわらず、壁に繋がれているリードが短すぎて地面に寝そべることも、前に置かれた骨をしゃぶることもできない。肩をすくめて弱者のポジションを取る犬の視線は、絵の外にいる飼い主に注がれているが、それは絵を見る私たちの視線と交錯する。まるでバルバロがその憂に満ちた目で、自由にしてほしいと私たちに懇願しているようだ。

こちらは野生の猫。お気に入りの場所でくつろいでいるのだろうか、気持ち良さそうに森の匂いを嗅ぐ猫の目には、ローザ・ボヌールが動物に注いだ愛情そのもののような、穏やかな優しさがある。

Chat sauvage, 1850, Huile sur toile 46 x 56 cm 
Suède, Stockholm, Nationalmuseum Don d’Arvid Kellgren, 1932 
Photo : © Erik Cornelius, Nationalmuseum Stockholm, domaine public

『傷ついた鷲』では、羽や足の見事な質感もさることながら、銃で撃たれたのであろうか、胸部の傷にあえぐ猛禽の、思いがけない弱さが伝わってくる。ここでもローザ・ボヌールは、「動物を苦しめないで」というメッセージを発しているように思えてならない。

『傷ついた鷲』L'aigle blessé
展覧会場にて筆者撮影 © Victoria Okada

王たち

そして圧巻は、何と言っても、次の「王者」たちだ。

『エル・シッド ライオンの頭部』 El Cid – Tête de lion
展覧会場にて筆者撮影 © Victoria Okada

ライオンの名前はEl Cid。スペインの名前だ。先述の美術商エルンスト・ガンバールがスペインのプラド美術館にこの作品を贈り、ボヌールはイザベル女王褒賞を受けたというエピソードがある。遠くの獲物をじっと見つめるような鋭い目は、ここでも、ライオンの個性を際立たせている。絵の横のカルテルには、「ローザ・ボヌールが共有していた、ライオンが持つ力と勇気という資質を象徴」した絵と解説されている。

下の『森の王』は展覧会のポスターにもなっている。

『森の王』Le Roi de la forêt, 1878, Huile sur toile, 244,4 x 175 cm 
Collection particulière Photo © Christie’s Images / Bridgeman Images
展覧会ポスター

ヨーロッパの一部地方で森の王として崇められている野生のオス鹿が、後ろの雲間から漏れる太陽の光を浴びながら、その「王国」に君臨している。見事な角と発達した筋肉から、円熟期を生きる動物であることがわかるが、ローザ・ボヌールはその角をとくに強調するポーズを選ばず、ひょっこりとそこに現れてこちらを見るかのような「無作」のままの姿を描いている。ありのままで堂々とした神々しいまでの風格に、人々はしばし足を止めて見入ってしまう。

展示室で絵に見入る人々 © Victoria Okada

絵は高さがおよそ2m50cmという大きなサイズ。森の中にこの絵を置くと、まるで、実際にこの動物に遭遇するような錯覚を覚えることだろう。ここでも、媚びることも衒うこともなく目の前にいる人を直視する動物の視線が印象的だ。

これらの絵画に共通するのは、動物がポートレートの対象として描かれていることだ。ローザ・ボヌールは、これまで、富や権力の象徴として際立たせて描かれてきた角や牙をことさら強調することなく、また容赦無く獲物に襲いかかる獰猛な姿でもなく、動物たちの日常の生態を尊重する表現を前面に押し出している。
それは、以前にも述べたように、彼女の動物に対する愛情と、人間を生き物の頂点に置くのではなく同等とする考えに貫かれている。現在の「エコロジー」や「動物愛護」に通ずる観念でもあるのだ。だからこそ、ローザ・ボヌール生誕200年の今、彼女の絵はこれまでにない強い光を放っているのである。

パリ、オルセー美術館
2023年1月15日まで。


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