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【適応障害】② 経歴紹介など

記事内容は前後しますが、自己紹介(経歴)など、、、

三姉妹の中間子、小さい頃から間を取り持つことが常でした。
妹が小さい頃から小児喘息を持っていて、しょっちゅう入院していたのと
両親共に働いていたので、小さい頃からあまり甘えるのは得意ではなかったかな。


早く働いて社会に出ようかなぁ、なんて漠然と就職に強そうな商業高校に入りました。
卒業時期にファッションに興味があったので、専門学校に行こうかな、なんて願書を取り寄せたりしましたが、入学金やら授業料やら、お金持ちしか行けない!!!と諦めて、ファッション関係のメーカーに就職。
高校時代に、生徒会に入っていて(優等生じゃなかったのでめっちゃ怒られてた生徒でしたが)正攻法で、先生方を納得させて校則変更に向けて動くとかの、
裏方の喜びみたいなものを知っていたので、会社に入ってからの新入社員研修で
人事の人のヘルプ的なことを率先してやっていたら、人事部へ配属されました。


当時は、メールやオンラインで手続きができなかったので、職安・年金事務所など外勤もあり、会社から離れて外出する時に先輩にさぼり方を教えてもらってお茶をしたり。
いろんな部署へ資料配布しに行ったり、同じ位の年代が多かったので、飲みに行ったりスノボに行ったり、社内恋愛なんてものもしてみたり。
なんだかんだと過ごしていましたが、2年半位で辞めてしまいました。


無職中に姉の卒業旅行に便乗して、初めての長期海外旅行に行ったり、
仕事を探しに行ったハローワークで、なぜかアルバイトに誘われて(期間准公務員だったけな?)職安でのシュレッター雑用とかしていました。

仕事の空き時間に、求人票見てもいいよーと言われていたので、職探しもして
玩具メーカーの営業事務へ転職。
今考えるとなんで、あんなに仕事があったんだろうっていう位、仕事しました。
小さな会社だったのですが、吸収合併が2回くらいあって、職場の移転も4回くらいかな。どんどん大きな会社へ。
今考えるとブラックですが、残業時間が50時間までと決められていたのですが、
毎月上限は超えていたので、終電で帰る→寝に帰る→眠くて朝ギリギリな生活
なんてことがあったり、いろいろ(本が一冊書けそうなくらい波瀾万丈)あり 退職。


退職後、布団から出られない日々が続き、鬱病と言われました。
当時はまだ鬱病なんて、あまり知られてないし親と同居していたけど隠れて精神科にかかって薬をもらっていました。薬が合わなくてしんどかった。
どうにかせねばと思っても、どうにも身体が動かない。
体調が良い時に仕事を探しに行った職安の駐車場で、どうやったら消えられるだろう、、、って考えていました。
母親からは、呆れられたりもしてたけれど、まぁしばらくゆっくりすればなんて言っているうちに気づけば2年程 子供部屋ニート状態でした。

いよいよ、ヤバい。このままだと廃人生活まっしぐらだ!立ち直りたい!
でも働くの、怖いと思って縋りついたのは 職安で見かけた服飾縫製の職業訓練校。
失業保険の給付はとっくに切れていたけれど、面接では必死に訴えたのが功を奏したのか、入学許可。久しぶりの学生生活、いろんな年齢の人がいて楽しかったなー。その時の講師の先生が言ってた
「まずやってみる。ダメだった時は、引き返す勇気を持ってれば、なんとかなる」
なんとなく心に残ってる。
結局、人を変えるのって人なんだよね。
人と関わらず、閉じこもっていると世界が広がらない。
まぁ、でもじっと耐えて苦しい時期があったからやっとそう思えたんだけど。


で、縫製学校を出たのでその関係で、家具製作の会社へ縫製業として就職。
(ファッション関係は、オーダースーツとか特殊な場所以外 国内縫製だとパートとか、給与が折り合わずで)
モデルハウス用の家具製作したり、試作作ったり、量産品作ったり、少人数だから必要以上に人と関わらなくてもいいし、残業ほとんど無しで楽だったけど給料超安だった。それでも転職活動めんどくさ〜が勝って、8年半もいたんだから驚き。
その間に一人暮らしも始めたし、お金の大切さが身に染みて…
有給とかもちゃんとしてない会社だったから労基の指導が入ったり。
主のようなオバサマとのいざこざがあったりですっかり疲れて。
次が決まらないまま退職。


あの2年間のニート生活には戻りたくない!と、短期の専門学校行って事務の勘を取り戻してから、転職活動。
新卒の頃に人事の仕事をしていた関係で、福祉関係施設の人事事務へ入りました。
人事の人数が3人しかいなかったから、いろんな事に関わりました。
求人募集、採用、助成金申請、勤怠管理などなど。
福祉関係の離職率、半端ないので毎月の面接設定や退職処理だけでも結構な量。
比較的、自由度が高くて、殺伐としてる?!という位 個人個人が独立してたので変なしがらみとかもないし、あーだこーだありながらやっておりました。

そこで急に。平穏な日々に、またもや合併話ですよ。
今度はかつて経験した親会社への吸収合併ではなく、ドナドナ的に売り渡された同業他社のグループ傘下へ。
その間に、時はコロナ禍。
初期段階のワクチンもまだ無い頃に、クラスター発生した現場に駆り出されたりもしたけれど、早めにリモートワークの環境を整えてくれたので、混乱はありながらも、リモートワークの恩恵とコミュニケーション不足の寂しさと。
合併のシステム変更や移行の契約内容の理不尽さとか。
もろもろ飲み込んで。
コロナ禍に仕事があるだけいいじゃないかと、言い聞かせて踏ん張ってたんだなぁ。


長くなったので、また。

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