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【読書録】国盗り物語(一)

こんばんは!
今日はとても暑くて、夏が近づいている予感がしました。

GW中にけっこう読書していて、『国盗り物語』全四巻がついに読み終わりそうなので、その読書録を書こうかなと思います。


“斎藤道三”ってご存知ですか?

知ってるって方は、歴史が好きな方、もしくはTVゲームの信長の野望を相当やってた人かもですね!


僕は後者で、ゲームはあまりやらない小中学生だったのですが、信長の野望はなんか好きでした。
日本史の中で戦国時代が好きだったというのもあります。
学校の授業で日本史はとにかく暗記ばかりって印象があってあまり面白いと思えなかったのです。
何年に鎌倉幕府ができたとか、何年に生類憐みの令が出たとか。
それ覚えて何になるの?って思ってました。

その中で、戦国時代だけは人物にフォーカスが当たるので、その人のなりとかを知れたのが面白かったのかもしれないです。


前置き長くなりましたが、“斎藤道三”は美濃(今の岐阜県)を治めていた大名です。
美濃なので、尾張の織田信長が京都に登るにあたって最初に負けちゃった大名。
僕もこの本を読むまでは、それくらいの知識しかありませんでした。

ただ“斎藤道三”はとても変わっていた大名だったことがわかりました!

一巻は「斎藤道三 前編」と題しています。

斎藤道三(作中では松波庄九郎)は、妙覚寺という寺を飛び出して、乞食をしているところから始まる。
ただそのときから「国主になりたい」とつぶやいていた。

戦国の時代だったから、下剋上も多々あり全国統一を夢見ていた人物は多かったかもしれないが、武家の家でもない者がここまで思っていたのはすごいことだなと思う。

大きな大きな勘違いと深い深い思い込み

そのもの。

そこまで大きな夢を持っていたこそ、なんの氏素性もない庄九郎が大名にまで上り詰めたのだろうなと思う。

庄九郎のすごいところのひとつに、とくかくにこれまでの常識や古いしきたりを疑い、創意工夫することにある。

戦いかた一つとっても、このほうがいいだろうと思ったことは試してみて、うまくいくか試してみる。
かれが頼る唯一のものは、自分自身が編み出す工夫以外にないのである。

作中でもこんな引用もある。

いや、有年家だけがこうなのではない。諸国の武将はたいていこうしたものだ。伝統的なやり方ばかりを踏襲し、それを別なものに変えようとしない。
いい言葉がある。
西洋の軍人のことばだが、「歴史は、軍人どもが戦術を転換したがらないことを示している」というのだ。商業軍人というのもは、古今東西、頑固な伝統主義であり、愚にもつかぬ経験主義者である。太平洋戦争における日本軍の指揮官が、いったん負けた戦法をその後もくりかえし使って、アメリカ軍を苦笑させた。そういうことをいうのであろう。が、「しかしながら」と、この言葉はつづく。「と同時に、歴史は、戦術転換を断行した軍人が必ず勝つことを示している」

失敗から学んで、それを改善するスピードの大切さを教えてくれる。


そんな庄九郎は、一乞食だったのが京都随一の油屋の亭主になり、さらには美濃でクーデターを起こし、自分が担ぎ上げた城主を美濃の国主にまでしてしまった。
自分はその国主の執事になった。

1518年-1528年までのことが描かれている。
たったの10年間である。

そのスピード感、手法が見事すぎて、松波庄九郎に引き込まれるばかり。

こんな人物がいたのかと驚きばかり。

同時に怖いなとも思った。


二巻に続きます。

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