見出し画像

ノートルダムとかパリとかイシスとか・・

先日この記事でも少し書きましたが、昨日から「ノートルダム 炎の大聖堂」という映画が公開されています。
監督はジャン・ジャック・アノー。「愛人/ラマン」「セブンイヤーズ・イン・チベット」も撮ってますが、私にとっては「薔薇の名前」の監督です。

80年代の終わり、初めてパリに行ったとき、ノートルダム大聖堂にわりと近いカルチェラタンにある1ツ星の安ホテルに泊まりました。
少し歩くとセーヌ川沿いの道に出て、川沿いに歩いていくと、向いのシテ島にノートルダムが建っているのが見えます。
・・・と、その場面を記憶しているのだけど、こう何十年も前のことになってしまうと、多少の記憶違いはあるかもしれません。

上の見出し写真はその時にネガフィルムで撮ったものです。左はパリの記事にも使用していますが、ノートルダムの上から撮っていて、エッフェル塔が見えます。

この映画の予告編を見ていて初めて知ったことですが、大聖堂の聖遺物の中に「いばらの冠」があるのですね。
ちょっとびっくりです。
聖遺物はいろいろあるけれど、特にキリストのものなんてほぼアテにはならないと思ってはいますが、興味深いなぁ。

大聖堂の正面を初めて見たときは、やはり「うわぁ」と感激しました。
内部はとにかく広くて、でも暗くて、薔薇窓の写真も撮ってますがとても暗く写っています。

そんなこともあり、大聖堂はパリの思い出、象徴のようなイメージでしたから、火災の映像を見たときはかなりショックでした。
でも、尖塔がゆっくりと焼け落ちるのをインターネットで見たとき、一瞬言葉にならない気持ちでいっぱいになりました。そのすぐ後に思ったことは「古い信仰の形が終わった・・」でした。
男性優位の古い教会組織の終わり。
男性原理の象徴は槍(女性は杯)だそうですが、あの鋭い尖塔がその象徴に見えたのでした。
私だけかな・・と思ったけれど、検索してみたら全く同じように感じた人がけっこういたようです。
一部の人たちの間では「女神の解放」とも言われていました。

死者がゼロだったことも奇跡ですが、ピエタ像や聖母子像も残っている映像を見ると、驚きですね(写真はお借りしました)。


はっきりと言葉にならないけれど、「やっと」とか「ついに!」というような、深いところから来る感情を覚えたのは、「ダビンチコード」を読んだときもでした。
あの小説(映画でも)でマグダラのマリアが注目されたけど、あの時は駆け出して万歳三唱したいくらいの歓びを感じたものです。
マグダラのマリアも、男性優位の教会の歴史の中で隠されてしまった女性でした。
それはまた別の記事にしてみたいと思います。

ノートルダム大聖堂のなかにマグダラのマリアのチャペルがあるそうですが、行った時は興味がなかったと思うので、意識もしなかったのだと思います。
もったいないけど仕方がない。そういうことって結構いっぱいあります。

大聖堂が建つシテ島がパリの発祥の地で、ケルト系民族のパリシィ族が住んでいたことがパリの語源となっていると言われますが、そのほかにも説があるようです。
パリは女神イシスの町 Par-Isis(イシスを通って)からきていると書いている人もいて興味深いです。シテ島を「イシスの舟」と呼ぶ人もいるだとか、パリと言う名前が「イシスの小舟」に由来するという記述も見つけたり、自分でちゃんと調べていないのでわかりませんが、パリがエジプトや女神イシス信仰と繋がりが深いことは確かなようです。
パリのあちこちにエジプトに関係するものがあるようですし、機会があればそんなものを辿ってみるのも面白いかな? 

シテ島にある公園で、テンプル騎士団の団長ジャック・ド・モレーが1314年に火刑に処せられたという記述を見つけ、テンプル騎士団についても詳しく知りたくなって、ドキュメンタリー映像などみつけて見ていました。
あまり表立って語られない歴史は山のようにあって、そちらのほうが面白く、いろいろと知りたくなってしまいます。
これから知ることができる事がたくさんあるって、楽しいことです。

明日は復活祭なので、読みかけのキリスト教関係の本を読んでしまおう。



書くこと、描くこと、撮ることで表現し続けたいと思います。サポートいただけましたなら、自分を豊かにしてさらに循環させていけるよう、大切に使わせていただきます。