違いを面白がる

先日投稿した、会社の同期にやりたいことがあるから退職することを伝え、応援してくれた話を改めて考えてみた。

応援してくれた彼は、私がやりたいことを話すと「いいな」と言ってくれた。その言葉に彼の感情がこもっている気がしてうれしかった。

私がやりたいことは、おそらく彼があまり考えたことのないようなこと。それを「いいな」と言ってくれた。さらに「それ何時から考え始めたん?」「家族に話したん?」とか色々聞いてくれた。

私は、はじめて認められている気がした。

私と彼とは、ものの見方も価値観も違う。それでも彼は私の話を聞こうとした。

違いを受け入れ、それを面白がること。それはすごく大切なことなんじゃないかと感じた。「尊重する」「認める」という言葉と意味は同じなんだろうけど私には「面白がる」といった表現の方がしっくりくる。もちろん、面白がるというのは小馬鹿にするのとは違う。


自分がよくわからない事柄に対しては、どうしても不安になってしまう。どんなことでも知らないことは怖い。私も怖い。

最近、ホームレスの人たちに声掛けをしたりする夜回り活動に参加している。小学校の頃、母親と弟と街を歩いていて自転車いっぱい荷物をつけた人とすれ違った。つーんと鼻に突く匂いがした。すれ違ってから数秒後に母親は「臭いな」と言った。そして「あんな風になったらあかんで」と言われた。母親も弟も私もそのすれ違った人を知らない。「あんな風」とはホームレスと言いたかったのだろう。私は「ホームレスになったらあかんで」という形で受け取った。でもその人がホームレスなのかすら知らない。

私は知らないしこれから出会うこともないだろうからホームレスと決めつけた。簡単だ。楽だ。わかりやすい。そうして私とは違うものとして距離を置く。

でもそんなときにこそ面白がれたらと思う。決してホームレスを嘲笑ったりするような面白さではない。

自分とは全く違う身なりをしてて匂いもする。なんでなんやろう。あれだけ荷物をつけるって旅してるんかな。家がないんかな。お風呂入ってないんかな。やとしたらどこで寝るんやろう。公園かな。考えを巡らせてみる。もちろん自分の中の小さなイメージでで考えを巡らすのだけど。

違うってことは、絶対に自分にない何かを持っている。というか当たり前に一人ひとり違うのだしみんな自分にないものを持っているよな。

違うってことで、距離を置かない。思考停止にならない。その違いを面白がってみる。でも人間そんなに寛容になれないのかなあ。

少なくとも私は距離をとってしまうこともあるだろうけど、違いを面白がることが出来る人でいたいな。






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