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李禹煥展(@兵庫県立美術館)

李禹煥の展覧会を見に行った。この展覧会は兵庫県立美術館で2023年2月12日まで開催されている。同館の20周年記念の展覧会でもあるらしい。

私は偶然にも李禹煥の卓上カレンダーを購入したところで、生で作品を見たいと思っていたので、これ幸いとばかりに見物に行った。県立美術館ならうちから近い。

李は「もの派」という70年代ごろの美術の潮流を代表する作家だ。その作品の特徴を荒く説明するなら、「ミニマリズム」ということになるだろう。たとえば、会場に大きめの岩がぽつんと一つだけ置いてあったりする。ほんとうに、ぽつんと。鑑賞者はそこで「もの」と向き合うわけだ。

ある意味こうした李の作品は、「難解な」現代美術の典型的な例だと言えるだろう。この展覧会を見に行った観客が最初に見るのは、キャンバス一面に塗りたくられた橙やら赤やらである。それだけ。画面には「色」以外の何ものも存在しない。

人文学研究者の末席を汚す人間がこんなことを言うべきではないかもしれないが、なんだかオレでも描けそうな気がしてしまう。キャンパスに色を塗るぐらいなら、誰でも出来るのではないか?

戦後に「第二芸術論」という俳句論が巻き起こったことがある。桑原武夫というフランス文学者が俳句に性格の悪い批判をした。評論の中にいくつか句を引用してみせ、このなかからプロが書いたものを選んでみせよと挑発したのである。プロの俳句と素人の俳句の見分けがつかないようなものなら、俳句は一人前の芸術とはいえぬ。せいぜい「第二芸術」であろう、と。

キャンパス一面の絵の具や、床に置かれた岩を見て製作者が素人か玄人か当てることは難しい。だが、ここで言いたいのはなにも「現代美術第二芸術論」ということではないし、本気でそうのように思っているわけでもない。とにかく李の作品は作者の技巧のようなものが見えにくくなっており、その分鑑賞者は作品そのものに対する「読み」を誘発されるのだということである。

李の代表的な作品に、岩および鉄を用いた「関係項」シリーズがある。岩だけが置いてあったり、岩と鉄の板が置いてあったりする。まあ、とにかく置いてあるだけである。岩をわかりやすい彫刻的な形に彫ってみたり、鉄と岩をいい感じに組み合わせたりといったようなサービス精神はない。

たとえば岩だけが投げ出されている作品を前にすると、我々は岩をじっくりと観察することになる。なにせわざわざ展覧会を見に来たのだから、「岩が置いてあるなあ」とチラ見して通り過ぎるわけにもいかないのである。

じっくり見てみると、なるほど岩は岩でもこれはなかなか良さそうな岩である。その辺で見つけてきたという感じはしない。岩にも岩固有の表情があり、それはまるで人間のようにも見えてくる……かもしれない。

これを文学理論的な仕方で言い換えれば、李禹煥の作品は岩や鉄を「異化」しているということになろう。「異化」とは日常的な物体や風景をあえて非日常的な舞台に置くことで見直させる技法を指す。たとえばスマートフォンのことを、「さまざまな画像を映し出す鉄の板」と表現すると、普段いじっているスマホが全く違う物体に見えてくるという理屈である。

というわけで来場者は李の作品を鑑賞するために、岩を正面から見たり斜めから見たりすることになる。そしていろいろと考える。ここにはどのような寓意が込められているのだろうか……?この作品の批評性はどこにあるのか……?

なんだか疲れる話だ。

正直言って、私は展覧会を見ながら妙に苛々してしまった。ここには「読む」べき「もの」があり、余計な装飾が施されていない分そこには鑑賞者の読みを無限に誘発する引力のようなものがある。そして実際にある程度美術に慣れた人間なら、そこになにかを読み込んで見せるだろう。そうでない人も、そこになにかを読むべきなのだということ自体は読むだろう。ぽつんと置かれた「もの」は、そのような形で鑑賞者と関係をとりもつ「関係項」となる。

しかもそこに置かれているのは、あからさまに「奥」にある意図を読むことを拒むような硬質な物質、岩や鉄なのである。深く奥へ奥へと読んでいくことを一見拒むような岩の冷徹さは、しかしそれゆえにさらなる読みを喚起する。すごく「狙っている」感じがする。

というわけで私は、読み込むことを拒絶してただ物を物として受け止めることに決め、「立派な岩だなあ」などと思いながら展覧会を見て回っていた。ある意味それはそれで、つまり表面にとどまることによって「もの」を純粋に見ているのだから李の意図は完遂されているのかもしれないが、そうしたメタ的な批評意識を持つこと自体が面倒だった。私が見たのは、床に置かれた鉄とか石とかであって、それ以上のなにものでもない。丁寧に読んでもらえると思うなよ。

そういう意味では肩の力を抜いてぶらぶらできたので、それはそれでいいことだった。ふだんはどうしても作品について考えたくなってしまうから、読み込むのをやめてしまってさっぱりした。

目の前には岩やら鉄やらがおいてあった。なかなかお目にかかれない立派な岩だったし、四角く切られた鉄も黒光りして綺麗だった。

「対話」のポストカードを一枚、あとクリアファイルを一つ買って、近くのスーパーで晩御飯の買い物をして、帰った。






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