見出し画像

他人事から自分事になるまで

同名のTwitterアカウントを立ち上げるまで、ごくごく普通の「傍観者」の生活をしていた。それでも、選挙には投票に行くし、選挙特番などはわりと見るほうだし。国会でどんな法律が審議されているかくらいは知っていたし、派遣法改悪やオリンピック招致にも当初から反対だった。所詮はその程度だ。

そんな私がギアチェンジをしたのは2018年に起こった災害等の数々。 災害の直接的な被害から紙一重免れた者として果たす責任を考えはじめた。

6月 大阪に行って帰宅してから半日も絶たぬ間に大阪北部地震

7月 地元を襲った西日本豪雨災害

8月 親族の葬儀で訪れた北海道で泊原発を対岸からみて不気味に思い

9月 そのちょうど一か月後に北海道胆振東部地震

私が何を思い、発信したところで世の中結局変わらないかもしれない。私は政治家でもないし、活動家でもない。それにしても気づくのが遅すぎたと、ここは後悔しきりなのである。テレビは本当のことを伝えようとしないというのも身に沁みて実感した。国営放送に抗議の電話をかけたのも、初めてであった。どこに行けば真実に出会えるのだろうかと考えて、数々の講演会に足を運びはじめたのもこの頃。無論、たくさんの書籍も買い込んで読み漁った。

なんだかこの国は取り返しのつかない方向に進もうとしているのではないか。誰かの犠牲の上に成り立つシアワセは嘘っぱちだ。世の中の事象は「自分事」に変わった。

のちにTwitter上でアメリカ音楽界の重鎮ヴァン・ダイク・パークス氏よりこんな言葉を頂いた。「これはおかしいというものに対して何か抗ってみるというのは、何もしないより、よほどクリエイティブだ(和訳)」そして今に至る。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?