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6月の読了

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ヤノマミ

ブラジルとベネズエラにまたがる密林に暮らす先住民、ヤノマミ族。二百以上存在するとされる集落のうちの一つ、「ワトリキ」に150日間に渡って同居したNHKディレクターの、全身全霊の記録。

もう、とんでもなかった。のめり込みすぎて5分でも時間があれば本を開いき読み進めていた。南米の先住民の歴史について知識も無ければ、存在すら知らなかった地球の反対側の彼らの生活、価値観、死生観、文明と交わった結果起きる変化にここまで感情を揺さぶられるとは思っていなかった。


ワトリキの死生観では地上の死は死ではなく、彼らは死んだ者のことをその後一切考えないし口に出さない。私達みたいにお墓を建てたり、思い出の品を大切に持っておいたりはしない。それは、森を食べて森に食べられるという生活をしている彼らにとって、誰かの死も森の命の経過のひとつに過ぎないという考えのように思えた。

しかし、近しい人を一人失うことに対して何の感情も湧かないということでは決してない。全く違うと思ったら似通った感情も持っている彼らに、ヒトという共通点を見出す描写がいくつもあった。

私たちが死者の名前を口にしないのは、思い出すと泣いてしまうからだ。その人がいなくなった淋しさに胸が壊れてしまうからだ。ヤノマミは言葉にせず、心の奥底で想い、悲しみに暮れ、涙を流す。遠い昔、私たちを作ったオマム(ヤノマミの創造主)はヤノマミに泣くことを教えた。死者の名前を忘れても、ヤノマミは泣くことを忘れない」

人間か、精霊か

この本の章の中で、際立って読者の心に突き刺さるのは間違いなく「女たちは森に消える」だろう。
ヤノマミは、出産した母親がたった今自分が産んだ赤子の命を”どうするか”を決める。つまり、「我が子として育てる」以外の選択肢が存在するのである。その一部始終がこの章にはありありと記録されている。

産み落とされたままの赤子は人間か。精霊か。人間と決めたのなら抱き上げ、集落へ連れて帰る。

・・・もし精霊と決めたのなら?

読みながらずっと胸が痛かった。これが彼女たちの価値観で、途方もない歴史でずっと繰り返してきたことだとわかっていても辛くて仕方なかった。

僕たちは見なければならない。そう思った。そもそも、僕たちから頼んだことなのだ。出産に立ち会わせてくれと頼んだのは、ナプである僕たちなのだ。僕たちは見届けなければならない。僕は何度も自分にそう言い聞かせた。
自分の髪が逆立っているように感じられた。心臓が口からせり出しそうになるほど、激しい動悸も襲ってきた。そして、足が震えて、うまく歩くことができなかった。だが、僕たちは見なければならない。ここで見なければならない。僕は、それだけを唱え続けながら、震える足で、森の中に立っていた。

人間か精霊かを決める基準は、150日間の滞在中何度尋ねても一度も語られなかったという。取材班としては聞きたかっただろうし、正直読者としても知りたい。ただ言葉も文化も考え方も何もかも違うならば、私たちの倫理観や価値観からは想像もできない尺度がそこにあって、それを日本人の自分が理解しようとすることはあまりに傲慢だとも思った。結局、自分が納得できる範疇の理由で納得したいだけなのだと思った。

理由や基準を知りたいということは、彼女の決断を僕たちの社会の尺度から測ることではないか。そして、そもそも、けっして語られることのない理由を考えることに、何の意味があるというのか。

文明が入ることは善か、悪か

後半の章では、ヤノマミと「文明」の交わりについても書かれている。文明を拒絶する長老たちと興味を持つ若者たちがぶつかるようになる。
伝統を守りたい者と新たな便利を享受したい者。この対立構図はヤノマミに限らず私達「文明側」にも常に起こっていることだし、こういう時は大抵新しいものを取り入れようとしない側が悪者のように映る。だけど、読み進めながらヤノマミに少しずつ文明が入り、受け入れられていく様に寂しさを覚えてしまう自分がいて、そんな自分の無責任さと身勝手さに嫌気がさした。彼らの土地を守るには政府と交渉するためのポルトガル語が必要だし、祈祷だけでは病気は治らないから病院にもいく必要がある。彼らがこの先も幸せに生きていくためには一体どこで線を引けばいいのか。ただのいち読者である私がこんなに胸を詰まらせているのだから、作者や彼らの保護活動に実際に関わっている人たちの思いは想像に余りある。

「ヤノマミ」とは彼らの言葉で「人間」という意味だという。彼らはヤノマミ以外の人々を「ヤノマミ以外の者」「人間以下の者」という意味の蔑称”ナプ”と呼ぶ。
自分達より圧倒的にあらゆることを知っているナプ。ナプが持ってきた道具によって生活が楽になり、どんなに祈祷しても救えなかった家族がナプの治療を受けて病気からすっかり回復する。そんな現実を経験し、彼ら自身の「自分はナプより崇高なヤノマミ」であるという尊厳はどう変わっていくのだろう。

NHKオンデマンドでこの時の映像記録を見ることができる。出産を終えた母親が赤子を見つめる目が、ずっと頭にこびりついて離れない。


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