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【音と向き合う vol.2】 谷川俊太郎さんの織り成す音01

昔から合唱曲が好きだった。大きな声で歌うのも、みんなで練習して音を合わせることも好きだったけど、合唱曲の詩はどれも素敵なものばかりなので、それを声に出して読むのも、聴くのも、もちろん歌うのもどれも好きだった。

小学校から高校までの12年間、音楽会や合唱コンクールなどの行事が大好きだった。わざわざ合唱コンクールに本気で取り組む高校を選んで受験するくらい、好きだった。

合唱という枠組みにおいて特に記憶に残っている曲がある。『春に』『信じる』『二十億光年の孤独』この3つはどれも谷川俊太郎さんの詩だ。

これらは合唱コンクールで出会ったもので、このうちの2つは私も歌ったことがあるのだけれど、思い出が詰まりすぎていて長くなりそうなのでまた今度書くことにする。

今回は谷川俊太郎さんが紡ぎ出される「音」について、書きたい。まだ拙い表現しかできないから恐縮だけど、好きだから、書きたい。これだけでも長くなりそうだから、2回に分けることにする。


私が通っていた小学校では毎月、1年生から6年生までが使う下駄箱のある玄関の上の壁に「今月の詩」が貼られていた。
低学年の頃は毎週決まった曜日の「朝の会」で、希望者が前に出て詩の暗唱をする機会なんかもあった。間違えずに暗唱できるとシールか何かがもらえた。私はそのシール欲しさに必死に覚えては暗唱してた気がする。
その中のいくつかの詩は今でもふとしたときに思い出して口ずさんでいることがある。

中学年になってからは国語の授業で詩を扱うようになったと思う。何年生の頃だったか定かではないが、言葉遊びの授業があって、1人1人自分の好きな言葉やら詩やらを集めて「私だけの本」を制作する授業があった。表紙や裏表紙なんかも色画用紙で作る、楽しい授業だった。
私は駄洒落や回分やテンポのいい言葉たちが大好きだったのでそのようなものを自分で考えたり、集めたりした。その中の1つに、教科書に載っていた『いるか』も挿れた。「い」と「る」と「か」の3つの音で全く別の意味の言葉になることが面白くて必死になって書き写し、何度も声に出して読んだことを覚えている。

高学年になって部活やら委員会やらで忙しくなった。悲しいことに算数や社会や理科の授業のことは全く覚えていないのだが国語の授業で『生きる』を朗読したことは鮮明に覚えている。
あのときは何度も何度も群読をして、いろんな人の口から編み出される音を耳に焼き付けるのが精一杯で意味はよく分からなかった。だけれども、授業を終えてからもその詩の冒頭はいつまでも私の心の奥底に残った。

③につづく。

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