【過去話】予報士を辞めて教員になった理由

結論 ①ライフワークバランスを重視した

   ②人材育成の仕事がしたくなった

 私は今年で教員8年目になりました。しかし、新卒の時からずっと教員をやっていたわけではありません。教員になる前は、民間気象情報会社で気象予報業務を行っていました。平たく言えば、天気予報のお仕事です。大学を卒業後、6年間勤めていました。退社後は、教員免許を取るために通信制大学に通い、教員免許を取得してから2回目の採用試験で正規採用になりました。

 教員に転職してからは、「何で予報士を辞めて教員になったのですか?」と聞かれることが数多くありました。何なら、今でもよく聞かれます(言いふらしている自分が悪いのですが)。何度も答えていることなのですが、保護者にも聞かれることが多いので、うまく答えられるように言語化しておきたいと思います。

 転職した理由の1つ目は、ライフワークバランスを重視したことです。前職の会社は、仕事へのフルコミットが求められていました。好きで始めた天気の仕事ではあったものの、プライベートの時間もほとんど取れないほどの忙しさは、私にとって結構な重荷でした。業務量の多さに加え、早番・日勤・遅番・夜勤など目まぐるしく変わるシフト体制もそれに拍車をかけていました。6年目には大病?も患い、10年後20年後もこの会社で働いている自分がイメージできなくなりました。

 また、根本的な問題として、会社の経営理念と自分が思い描くキャリアがズレてきたことも大きかったように思います。今思えば、私が勤めていた会社は、急成長スタートアップベンチャー的な側面が強かったです。それが私には合わなかった、というだけの話ですね。これは、どちらが悪いという問題でもないと思います。こうなってしまった以上、私が辞めて環境を変えるという選択が、お互いにとって健全な解決方法だったと今でも感じています。

 理由の2つ目は、人材育成の仕事がしたくなったことです。色々あったものの、私は気象業務に関わる幅広い仕事をさせてもらえました。これは私の人生にとって大きなプラスであったと断言できますし、それに関しては会社にも感謝しています。

 幅広い仕事の中の1つに、後輩への指導がありました。色々と教えた中、特に楽しかったのが、気象予報技術の指導です。これがとにかく面白かったのです。降雪の予報を指導するときなどは、先輩方から教えてもらった降雪パターンをかき集めて紹介したり、自分でも資料を作ったりして指導していました。自分が関わった後輩が成長して、立派な仕事をしている様子を見ているとシンプルに嬉しかったですし、「また頑張って教えよう」という気持ちがどんどんわいてきたことを覚えています。

 この後輩指導の原体験は、私が教師を目指したことと大きく関係しています。職種は変わりましたが、今でも若手教員に指導するのは大好きです。人材育成は、私とって本当に魅力的な仕事なのです。転職を考え始めた頃、「究極の人材育成とは何か?」と考えた結果、教員という選択肢にたどり着いたのも自然なことだと思っています。

 さて、今回の記事では、私が予報士を辞めて教員になった理由を書かせてもらいました。昨今の教員にはブラック労働環境に置かれているイメージがあり、ライフワークバランス求めて転職するのどうなん?というツッコミはありそうですね。私としては、色々と工夫して自分の仕事の生産性を上げつつ、いずれは教員全員のライフワークバランスを改善できるような仕事をしていきたい、と思っています。

【結論】私が予報士を辞めて教員になった理由

①ライフワークバランスの重視(今後は教員の労働環境を改善したい!)

②人材育成の仕事がしたくなった(教え、育てることの充実感はすごい!)

 

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