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その106 挙兵に興奮 三島神社

出張があると事前に現地の頼朝関連の場所をチェックします。2015年の出張は三島。彼の挙兵のスタートとなった山木館襲撃計画の地です。その襲撃は三島神社の祭りの日を選びました。

集合時間に2時間ほど余裕を持っての散策です。行ってみるとなんとお祭りの準備中。これは最高のシツエーション!

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と思いきや、テレビドラマのロケでお祭りのセットを作っている最中でした。それでもムードはあります。

御例祭
八月十六日、古くは旧八月中の酉の日に行われ、源頼朝が旗挙げをした治承四年には、「吾妻鏡」によれば、「十七日丁酉、快晴、三島社神事也、藤九郎盛長為奉幣御使社参」とある。後に十六日に固定し、仲秋の祭であったが、明治六年より新暦八月十六日となり、夏祭となった。
昔から三島囃と露店が有名で、全国からの露店は境内及び旧東海道を埋めつくし、近郷近在からの参詣者で市街地への車の乗入れが規制される程である。
御由緒
御創建の時は不明であるが、古くより三島の地に御鎮座し、三嶋大明神と称せられ、富士火山帯の根元の神、伊豆の国魂の神、国土開発の神としての信仰は古く、天武天皇十三年〔日本書紀〕淳和天皇天長九年〔釋日本紀〕仁明天皇承和七年〔續日本後紀〕宇多天皇仁和三年〔扶桑略紀〕等に大明神の造島の事が見え、仁明天皇嘉祥三年〔文徳実録〕以下、その位階は累進し、延喜の割においては名神大社に列し、月次、新嘗の官幣に預り、祭料
稲二千束を寄せられた。
中世以降、武士の崇敬極めて篤く、殊に永暦元年伊豆に流された源頼朝は深く當社を崇敬し、雌伏二十年、治承四年八月十七日、當社御例祭の夜、御神助を得て、山木判官平兼隆を討ち、旗挙に成功し、神領を寄せ益々崇敬するところとなり、以来武門武将の尊崇篤くこれらの奉納品多数を所蔵している。又、東海道に面し、下田街道の起点に位する交通の要衝に当り、三島大明神の称は広く天下に広まって行った。
尚明治四年には社格が制定され、官幣大社に列せられた。

結果オーライの挙兵でしたが、この神社の祭日で、人がお祭りに気が入っているタイミングを選んだといういわくつきの神社に来れたのはうれしかったです。待ち合わせをしていた相棒も早く来て神社を散策したそうです。ぐっさんとかいう俳優を見たとか言っていました。

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