【読書note_010】ケーキの切れない非行少年たち 宮口幸治

非行少年に欠如している認知能力
本書は、児童精神科医である著者が、非行少年の中に多数存在する、認知力の低い「反省以前の子ども」達の実態について解説した本です。

第1章に、本書の目的は
「犯罪者を納税者に変えて社会を豊かにすること」
とあります。
その目的の大きさに最初は驚きましたが、非行化した少年たちが共通して抱える苦悩や非行過程を知り、こうした知識が多くの人に共有されれば、犯罪者を納税者に変えていくことも夢ではないように思えました。

本書の中で印象的だったのは、多くの非行少年に共通している「認知能力の欠如」という特徴です。
私は今まで、非行少年や罪を犯す少年たちに共通しているのは、忍耐力の低いことや感情の抑制が効かないことなど、内面的な要素だと思い込んでいました。

しかしながら、本書のP98に解説されているように、
 1次障害:障害自体
 2次障害:周囲からの無理解
 3次障害:矯正施設での無理解
 4次障害:社会での無理解
という負の連鎖が、非行少年を生んでいるというのです。

ここでいう1次障害が認知能力の欠如であり、知的障害であるというのが著者の主張です。
ただ、知的障害というレベルでなくても、平均よりも認知能力が低く、それを本人の努力不足ということで責められてしまう環境に置かれたならば、障害者でなくとも、上記の負の連鎖がスタートしてしまうのではないでしょうか。

認知能力が平均よりも低い子どもが小学校に入学し、義務教育課程に入った場合、集団で教育を受け、一律で授業が進む環境に強制的に置かれることになります。
学校生活の中で、その子はどうなっていくのでしょうか。
そういった子をフォローする体制が学校で取られるのでしょうか。
そういった子を適切にフォローできる親がいるのでしょうか。

私自身も含めて、子どもの努力不足を責め、「もっと勉強しなさい!」という的外れな態度を取ってしまう親が多いように思います。

親や学校からこういった態度を取られてしまうと、子どもは勉強ができないことを自身の努力不足を原因にするしかなくなります。
少なくとも、自分は他の人よりも認知能力が低いから仕方ない、と思える子どもはいないでしょう。
そうして自分を責める子どもが行き着く先は、やはり犯罪などの非行化ということになってしまう気がします。

教育関係者ではなくてもできること
本書では、非行少年たちが変わろうとするときの共通点として、
「自己への気づき」と「自己評価の向上」を挙げています。

一方で、ただ単に「褒める」ことや「話を聞いてあげる」教育を明確に否定しています。
こうしたアプローチでは、根本的な原因となっている認知能力の向上に寄与しないからです。

認知能力向上のためには、認知能力を強化するトレーニング(コグトレ)が重要であるとする本書の主張は、とても納得性の高いものでした。

根拠のない一般論として、非行少年達に不足しているのは、家族や周囲の愛情だという思い込みがあります。
もちろん、そういった側面もあるかもしれません。
教育以前に、虐待などによって精神的に大きな傷を負ってしまっている子もいるとは思います。

しかしながら、認知機能が低い子どもに対して必要なのは、こうした子ども達が困っている状況とその理由を正確に理解すること、そして適切な支援です。
そのためには、本書の内容を多くの大人達が知識として知っておく必要があるでしょう。

病名のつかない、「クラスの下から5人」の子ども達。
1クラス35人のうち5人といえば、14%の確率です。
自分の子どもや孫が、こうした子どもにならないと断言できるでしょうか。
隣人の子どもが、こうした子どもにならないと断言できるでしょうか。

学校教育に直接携わる仕事ではありませんが、何かできることはないか、自分事として考えたいと思わせてくれた良書でした。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。
Happy Reading!

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?