禍話リライト 怪談手帖『S町の凧』

Yくんは今まで生きてきた中で幽霊の類など見たことがないという人だが、一度だけひどく嫌な目にあったことがあるという。

それなりにニュースで取り上げられた事件に関連しているので、地名などは伏せてほしい。

そう前置きした上で話してくれた。

 

当時彼が通っていた大学は隣町のさらに隣町、つまり町を一つ挟んだ場所にあり、彼は毎朝自転車を使って隣町を通り抜けて通学していた。

そのSという隣町は普段人通りも少なく、通り道にすぐ寄れるようなコンビニの類もないので、彼は毎日その道を通ってはいたが、

『そのこと』

があるまで、特に何の印象も持たなかったという。

 

では、『そのこと』というのは何か。

 

ある日、YくんはいつものようにS町に差し掛かっていた。

時刻はちょうど日が沈み始める頃だったらしい。

一心に自転車を漕いでいた彼は、通りに出てふと夕焼け空を見上げた時にそこに妙なものを見つけた。


帆を張ったような長方形のものが、糸に繋がれて赤い空を背景に浮かんでいる。


 「……凧、だと思います」

だと思う。というのは、それがただの凧というにはどうにも奇妙なものだったからだ。

「……写真だったんです」

縁起物の絵などのよくあるデザインではなく写真、それも古い写真館などに飾られているようなモノクロの家族写真だった。

一家四人がどこかの家を背景に並んで立っている。

スーツを着て立っている男性。

その足元に、小学生くらいの男の子。

その隣に、まだ幼い女の子を抱きかかえた女性。

そんな写真が大写しに引き延ばされて、糸に繋がれて空に上がっているのである。

大きさを考えても、凧というよりデパートが上げるようなアドバルーンか何かではないのかと最初は思った。

しかし、何かのキャラクターや客寄せの文句が載っているならまだしも、そんなものの一切ないごく普通の家族写真である。

どこかの写真館の宣伝かとも思ったが、やはり宣伝の文も書かれていなければ、周りにそういう幟があるわけでもない。

時々報道されるような、いわゆる現代アートの試みの一環だろうか。

いろいろ考えたが、どうにも納得のいく説明が見つからない。

とにかく、そのままそこで固まっていても仕方ないので不可解な気持ちを抱えながら再びペダルを漕ぎ、家路を急いだ。

しかしそうやって走っていても胸の内の不安が去ることはない。

しばらく走った後、我慢できずに振り返り、彼は気づいた。

 

凧が、さっきより大きくなっていた。

 

真っ赤な夕焼け空を背景にして、写真の細部がよりはっきりと見えるようになっていた。

スーツを着た男性の顔が。

その足元の男の子の顔が。

その隣の女性と、抱きかかえられた女の子の顔が。

それらのごく平凡な一家庭の人々の姿と表情が、さっきよりよくわかるようになってきている。

(……近づいてきてる!)

そう感じた時、彼は得体の知れない焦燥に駆られ、力いっぱい自転車を漕ぎ始めた。

もう振り返らないようにしよう。そう思いながらも、背後で聞こえるバタバタという風の音から写真が自分の後ろにピッタリと着いてきていることを感じていた。

とにかく、ひたすらに漕ぎ続けた。

いつもなら五分かそこらで走り抜けるS町の道が、途方もなく長く感じられたという。

それでもようやく町を抜ける道の終わりが見えてきて、安堵の息を吐きかけた彼は次の瞬間、背筋がゾッと粟立つのを感じた。

 

背後で、

『アアアァァァァーッ!』

と叫び声が上がるのを聞いたのだ。

 

思わず自転車を止めて振り返ると、燃え上がるような夕焼け空、それを突き刺すように伸びた真っ黒な長い煙突のすぐ近くを、糸がプッツリと切れたようにあの家族写真が落ちていくのが見えた。

(あ、落ちてく……)

その瞬間、Yくんは逆さになって落ちていく写真の中の全員と目が合った気がした。

茫然と空を見上げる彼の前で、奇妙な凧はそのまま煙突の陰の方へ落ちていき、あっという間に見えなくなってしまった。

後には真っ赤な夕焼け空だけが残っていた。

放心していたYくんは、結局わけがわからないままそそくさと逃げるようにS町を出た。



「……それだけなら、単によくわからないものを見たってだけの話だったんですけど……」

数日後、家に一人でいた時のこと。

夕飯を食べながら報道番組を見ていた彼は画面に見覚えのある長い煙突が映り、続けてテロップに馴染み深い町の名前が流れるのを見てギョッとした。

全国区のニュースとして流れたから知っている人は知ってるんじゃないか、Yくんはそう言う。

 

家に押し入った強盗により、家族全員が殺害されたという報道だった。

 

画面に映されているのは、現場近くにある銭湯の煙突らしい。報道によれば殺された家族はその銭湯の近所に住んでいて、一家四人の構成は……。

そこまで来て、彼はテレビのスイッチを切った。



テレビが消える直前に一瞬画面に映った、チラリと見えてしまった家族の顔写真。

それは夕焼け空を墜落していった凧の中のそれと同じだった。



「もう少し早く消してれば見なくて済んだんですけどね……。そうすればただの変な話で済んだんですけど……」

実際のところ、あの写真と報道に何か因果関係があるのかどうか、それはわからない。しかし……。

 

「……あの時、凧が落ちる時に聞こえた叫び声が頭から離れないんです。今でも時々夢に見るんです。あの日と同じような状況で凧が落ちて、あの叫び声が……」



Yくんが言うには、あの時の叫び声は男のようにも女のようにも。大人のようにも子供のようにも。あるいはその全てが重なったもののようにも聞こえたのだという。

 

 

この話はかぁなっきさんによるツイキャス『禍話』 『年越し禍話 忌魅恐 vs 怪談手帖 紅白禍合戦』(2020年12月31日)

https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/659295248

から一部を抜粋、文章化、再構成したものです。(0:28:40くらいから)

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FEAR飯 禍話 - S町の凧(余寒の怪談手帳)

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禍話リライト 怪談手帖『S町の凧』 - 仮置き場 
https://venal666.hatenablog.com/entry/2021/01/01/223914

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