黒沢絵

※二二年、六月十七日の早朝。私が見た夢を元にした創作です。
つまり、あくまで『フィクション』です。
実在の人物や地名等とは一切関係ありません。



……黒沢某という、その分野ではあまりにも有名な巨匠がいる。彼の手がけた作品を見たことがない人はいても、その名を知らない人というのはほとんどいないだろう。

一方、彼はいわゆる『黒沢絵』という一連の作品群を残したことでも知られている。

黒沢は本業の作品作りやそのための取材、あるいはプライベートでの旅行で日本だけでなく世界各国へ足を運んでいるが、その際に自身の琴線に触れた景色、自分が目にして強く記憶に残っている情景などを絵として描き残している。

初期のものは日記の挿絵として描かれた鉛筆による素朴なスケッチであったが、そこはやはり巨匠である。芸術家肌でこだわりが強い彼はすぐに画材にもこだわるようになり、油絵具、クレパス、色鉛筆を好んで使用するようになった。

亡くなる直前まで描かれ続けたそれらの絵の中には、例えば晩年に鉛筆を用いて点描で仕上げられた、擬人化された動物の絵もある。

だが、今日『黒沢絵』として知られるものの大半、中でも特に人気の高いものは、そのような色とりどりの画材を用いて描かれた、力強いタッチのものである。

例えば長崎のグラバー邸の庭から見た、市街地の景色を描いたもの。
あるいは名作として知られるある邦画に登場する老舗食堂、そこで知人と共にラーメンを食べた時の光景を描いたもの。
『黒沢絵』の中でもこの二つは特に評価が高く、時価にして数百万は下らない、という代物である。

黒沢自身はこれらの絵に執着がなかったらしく、出来上がったものを知人に無償で譲ることも少なくなかった。
もっとも、絵の価値自体は自身でも理解していたようで、旅行の際に世話になった旅館や人物のために即興で描き上げたものを寄贈するということも多かったという。

それ故、現代では『黒沢絵』がどれだけの数が存在しているのか、それを把握している者はいない。
もちろん贋作が現れることも珍しくないが、本物は彼のかなり特徴的なサインがどこかに必ず入っているということもあり、知識のある者ならば見分けることは比較的容易い。

今日、『黒沢絵』の愛好家は日本だけでなく世界各地にいる。記録では、オークションでの最も高値での落札価格は二千万円。安価なものでも五十万円を下回ることはない。
今、この瞬間も。熱心な愛好家が目を光らせて、まだ見ぬ『黒沢絵』を探し求めていることだろう。



……宮崎県の、某旅館。
そこにも一枚の『黒沢絵』があることは愛好家の中ではよく知られている。かつて旅行でこの地を訪れた際、黒沢が寄贈したものである。
が、その絵は旅館内には飾られていない。旅館の女将が、それをあまり人目に触れさせないようにしているためだ。



以下は、女将に対して行われたインタビューの内容である。



……ええ。私も黒沢先生のことは知っておりました。
私はあまりそういう方面には詳しくないんですが、そんな私でも名前を知っている偉い大先生でしたし、後々になって『あれ』が『黒沢絵』と言われて人気があることも知りました。

……あれは七五年でしたか。
当時、私はまだ学生で、この旅館は先代、つまり私の父が主でした。
『あれ』はこの旅館に泊まられた先生から、その時に贈っていただいたものです。

先生はその頃、既に有名人でしたからね。
地元の新聞社も取材に来て。ええ、その頃の写真もたくさん残っています。
『あれ』にも確かに先生のサインもありますし、先生から父へ『あれ』が贈られる様子なんかは新聞社の方がたくさん撮影されましてね。確か、テレビのニュースでも流れたんじゃなかったかしら。
とにかく、そういう証拠がたくさん残っておりますから、『あれ』は間違いなく『黒沢絵』なんです。


……なんでそんな言い方をするかというと。
『あれ』はちょっと変わってるんですよ。


私も『黒沢絵』がどういうものかというのは知っています。油絵だったり色鉛筆だったり、景色を描いたものだったり、でしょう。

……違うんですよ。もしかしたら他にもそういうものがあるのかもしれませんけど、私はちょっと知らないです。
それに、描いてあるものも、ねえ。景色とかじゃなくって。何というかこう、見ていると背筋がゾッとする感じなんです。


(インタビュアー、女将にその『黒沢絵』を見せてほしいと頼む)


……え? ああ、申し訳ありません。実はあまり人様にはお見せしたくないんですよ。
はい、確かに珍しい『黒沢絵』だということで、それを見るために来られるお客様もおられます。昔、一時期は旅館の受付に飾って名物にしていたこともございました。

でも、やっぱりあまりよくないものだったんでしょうねえ。先程も申し上げました通り、なんだかゾッとする様なものでしたので、この旅館とはあまり合わない感じもしましたし。

それに、どうも、こう、見た後で何かしら不幸に巻き込まれる方がおられるようなんです。
はい、絵を見るために宿泊されたお客様からそんな苦情が入って初めてわかったんですが。

いえ、みんながみんな、というわけではないんですけどね。いつどこで誰が不幸に巻き込まれるか、条件のようなものが全くわからないものですから。
そういうことで『あれ』はしっかりとしまい込んで、人の目に触れない様にしているんです。
ですので、はい、申し訳ありません。


(インタビュアー、女将にしつこく頼み込む。このやりとりは十数分ほど続く)


……わかりました。負けました。でしたら、お見せ致しましょう。ただし、何が起こっても自己責任、ということでお願いしますよ。


(女将、中居を一人呼び、耳打ちをした後で下がらせる。『黒沢絵』を取りに行かせたらしい。
インタビュアー、緊張し始めたのか、正座していた脚をしきりに動かし始める)


……おや、怖くなってきたんですか?
いえいえ、私が言うのも何ですが、大丈夫ですよ。先程も申し上げましたでしょう。みんながみんな不幸になるわけではない、って。必ず不幸になるってわけじゃないんですから。私だって何度も『あれ』を見てますけど、ほら、しっかりしてるでしょう?


(襖が開き、先程の中居が風呂敷に包まれた『黒沢絵』を運んでくる。大きさは縦五十センチ、横三十センチほど。『黒沢絵』としては平均的なサイズ。
中居、風呂敷包みと共に女将に一枚の紙を渡して下がる。
女将、風呂敷包みを横に置き、インタビュアーに紙を手渡す)


一応、なんですけどね。
一筆いただけますでしょうか。はい、念書というやつです。客商売ですので、もし何かあった時、後で訴えを起こされたり、あらぬ噂を立てられるのも困りますからね。
ええ、そうです。昔そういうお客様が何人かおられまして。あの頃は本当に難儀しました。
ですので、それ以来、絵は普段はしまっておいて、どうしてもという方にだけ、こうして一筆いただいてからお見せする、ということにしているんです。


(インタビュアー、受け取った紙に署名し女将へ返す)


……はい、確かに。それではお見せ致しますね。


(女将、『黒沢絵』を包む風呂敷を解き始める)


(現れた『黒沢絵』は、確かに女将の言葉通り、見たことのないものだった。
先述した通り、『黒沢絵』のほとんどは油絵具、クレパス、色鉛筆を用いて描かれた風景画である。この絵が寄贈された七五年当時、黒沢が描いた『黒沢絵』は、現在知られている限り全てがそうである。

しかし、この絵は違う。刺繍である。

帆布の様なしっかりとした生地に黒い糸を主体として縫い込まれた、決して色彩が豊かとは言えない絵だ。
しかも、風景画でもない。そこに描かれているのは牛車と女性である。
絵の左上に屋形(人が乗る部分)、右下に軛(牛の頭に固定する部位)が位置する形で、平安時代の貴族が用いたような牛車が、斜めに大きく縫い込まれている。
そして絵の中央よりやや左。牛車の屋形前面に垂れた簾の前、前板に女性が腰掛けている。小花を散らした薄緑の着物に濃紺の袴。ポンパドールのような形に高く結い上げた髪。大正時代の女学生のように見える。
それらは全て、生地のほぼ全面を黒い糸で縫って覆い尽くした後、それぞれの色の糸を縫い込んだ後に金糸でもって縁取りをする、という手法で表現されている。


そして、女将の言葉通り、ゾッとするようなものが確かに描かれている。

『顔』である。

絵の中に三箇所、黒い糸で覆われていない、生地が剥き出しになった部分がある。
屋形の屋根の上。軛の横棒の中心。そして女学生の顔の部分。
そこに『顔』が不自然に縫い込まれている。

それらは全て同じ顔、同じ表情である。
眉から鼻筋にかけては黒い糸で、その下には口が赤い糸で表現されている。
顔は少し右を向いているが、目の部分、黒目が左に向いているため、絵を見ている人物に視線を向けている格好になる。
目鼻立ちはどちらかといえば整った形だが、その下にある真っ赤な口はひどく不恰好で不釣り合いである。裂けたかのような巨大な口は口角部分が吊り上がり、歪んだ半円形を描いている。どうやら笑っているらしい。
そのような、見ているとだんだんと不安な気持ちが込み上げてくるような不自然な笑顔が、絵の三箇所に縫い込まれている)


(インタビュアー、唾を飲み込み、喉をゴクリと鳴らす。
女将、その音を聞いたのか。静かに語り出す)


……どうです。ゾッとするでしょう?
なんだか、アレみたいですよねえ。
ほら、『ヨコハマタイヤ』の看板。
私も昔から、あの看板の顔がなんだか苦手でして。世間にはそういう方って、結構多いんですってねえ。
父はそうでもなかったみたいでしたけど、でもこの絵を見て不思議がってましたねえ。だってそうでしょう。先生の絵といえば風景画なんですから、旅館の周りの景色とか、窓から見た風景とか、そういうのを描かれるものだと思ってたわけですから。

そうしたら、この絵でしょう。父なんかは、
『何を見てこれを描かれたんだろうなあ。偉い先生ってのはわからんもんだなあ』
って。先生が帰られた後、絵を見ながらずっと首を捻ってましたねえ。

ええ、当然、私たちも全く心当たりがありませんでした。そういう観光地があるわけでもないので、この近くではこんな牛車も、こんな着物を着たお嬢さんも、一度も見かけたことはなかったです。
本当に、なんなんでしょうね。
この絵に関しては、私がお話できることはそれくらいですかねえ。
ああ、そうそう。忘れてた。先生のサインはね、裏側にあるんですよ。ほら。


(女将、額縁を外して絵の裏側をインタビュアーに見せる。確かに右下の余白部分に赤いインクで書かれた黒沢の特徴的なサインがある)


(インタビュアー、女将に礼を言い、帰り支度を始める。その声は少し震えているようにも聞こえる)


いえいえ、とんでもございません。
でも、本当によろしいんですか? せっかく遠くから来られたんですから、せめて一泊されていけばいいのに。うちは料理も露天風呂も自慢なんですよ。
ええ、先日、腕のいい板前さんが来てくれまして。それに、露天風呂はそれはもう、先生からもお褒めの言葉をいただいたくらいなんですから。
あら、そうなんですか。お忙しいんですねえ。
それでは、お帰りの際はどうぞ、お気をつけて……。


(インタビュー終了)




……この旅館は現在も営業中である。インタビューの対象である女将も、高齢だがまだ現役だそうだ。
ただ、何故か従業員の入れ替わりが激しく、地元の新聞や雑誌には常にこの旅館の求人募集の広告が出ている、とのことである。


なお、上記のインタビューは匿名の人物から送られてきたビデオテープ、その内容を文章に起こしたものである。

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