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【読み物としての日本史】弥生時代

なの。

さて、狩猟、採集、漁労の時代を乗り越えた人々は次なる時代、弥生時代に入っていきます。

弥生文化で大事なことはたった一つ。
大陸からもたらされた稲作の技術。大陸から稲作技術を持った人が100万人以上、日本列島にやってきます。

どうしてこんなにも人が来たのでしょうか。
一説には、中国では紀元前3世紀に統一国家が出現しており、この時の戦乱を逃れた人が難民となって、日本に押されて出てきたという説があります。(一方、最近では日本への渡来時期はもっと早かったのではないかと言われています)

この大陸からやってきた人がイネをもっており、また稲作技術を持っていました。縄文時代の末期には、「気温の低下」「人口の増加」という問題から食糧難がありましたので、新たな食糧生産方法を知っている人々は歓迎されたようです。

この弥生時代ですが、本郷の弥生町というところで土器が見つかったことで研究が進みました。当時は縄文土器と同じように考えられていましたが、稲作、金属発見などから新たな文化として考えられました。

稲を採れるようになると、保存がききます。そこでできたのが高床式倉庫。
ネズミの害を防ぐために作られたようです。

さて、この辺りから大規模な集落が出てきます。食べても余る分が出れば、それをたくさん蓄えることのできた富裕者と、蓄えられな かった貧者に分かれ、富裕者は貧者を支配するようになっていきます。

このようにして集約が気づき上げられ、また、大規模なムラをまとめるためにはリーダーが必要となっていきました。この時のリーダーはどちらかというと呪術とか豊作にできる能力があるような人達。まあ、そんな人たちはいないと思うので、天気予報ができる人とかそういう感じだと思います。

これにより、日本中に小国が乱立するわけですが、その中で有名なのが邪馬台国。卑弥呼の登場です。卑弥呼は一般名称と言われており、おそらくは巫女だったのではないかと言われています。祭りを担っていたために、リーダー的資質があったということ。

そして、邪馬台国の時代は中国からの史料に基づくわけですが、ここから日本の情報はなくなります。
すなわち、邪馬台国がどのようにして滅び、大和政権が出来上がっていったのか、わかっていません。日本の4世紀の謎、というわけです。

次回は大和政権から。
それでは、また。

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