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わたしの彼への愛のかたち

わたしがはじめて彼を一人の男として好きになったころは、夢女子なんてことばはこの世に存在していなかった。
当時は同人屋をやっていたので、彼のイラストを描いたりグッズを作ったりしていた。あとはひたすら妄想の日々だった。
こんな感情で二次元の男性を見ていた人間は知るかぎり周りには誰もいなかったが、特に否定されることもなく楽しく活動をしていた。

再燃したころは夢小説が流行していた。脱オタ気味でその単語すら知らなかったわたしは、熱にうかされたように彼がお相手の夢小説を片っぱしから読みあさった。そのうちに昔から繰り広げていた妄想をわたし自身も形にしたくなり、サイトを開設した。
幸いにも古い原作でありながら、一定数の書き手と読者が今現在もわずかながらに存在している。さすがにもうほんのひと握りだが。

わたしの彼とのコンタクト法はこの妄想と夢小説につきる。
その中で彼は10代の若者であったり、アラサーの大人の男性だったりする。わたしもいつも一定ではない。
さすがにもう実年齢での妄想は出来なくなってしまったので、そのときどきの彼に合わせた年齢で頭の中の逢瀬を楽しんでいる。
わたしが彼の世界に行ったり、彼がこちらの世界線に住んでいたりとバリエーションも無限にある。

彼が登場するのはとうの昔に終わってしまった作品だが、原作終了後も公式やそれに近いところからの燃料投下はときどきあった。しかし近年はそれもほぼないに等しい。(この先まだわからないポテンシャルを秘めた作品ではあるが)
このような状況の中で、最高潮に盛り上がった気持ちを延々と保ち続けるのは正直言って難しい。
ゆえにわたしは気持ちに波がある。燃え上がっているときは朝から晩まで彼のことばかり考えているが、そうでないときも多々ある。
これをわたしは倦怠期と呼んでいる。長く付き合えば付き合うほど相手のことが空気のようになって、どうにも居心地が悪くなるときもあるアレだ。
でもわたしはそれでいいと思っている。
この人だと決めたたった一人の人だから、わたしの心の中で誰よりも一番輝いている人だから、何度でも気持ちは甦ってわたしはまた彼に恋をする。
そこに何年のへだたりがあろうが、彼はいつも笑顔でわたしを受け入れてくれる。
これこそが夢女の醍醐味だとわたしは思っている。

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