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無理をしなくていい今の時代に


「無理をしなくていい」

時々この言葉が刺さるなと思うことがある。


理想を追求し続けていると、「生きている間に理想に辿り着く事はできないのだろう」と悲観的になる事が多い。どれだけ頭を使っても、情熱をもっても、試行錯誤しても、まだこんなものかと絶望を覚える。


20代前半は仕事のくだらなさに絶望した。これはラットレースで、この先にたいした未来もないのに努力している人たちを見て冷めた。他人の答えに便乗するのではなく、自分で答えを出すことの必要性を強く感じた。20代後半ぐらいの時に「人材業界のプロとはなんだろう?」と自分に問いかけ、経営・経済・脳科学・心理学・マッチング理論・企業文化・性格・採用などあらゆる角度で知識を入れて、人材業界の在り方について考えてきた。何人もの専門家・経営者と会い、何度も仮説を検証してきた。自分の中で心から納得できる答えを求めていた。


それでも何一つ心から納得のいく答えは見つからなかった。もっと偏った考え方で一部分だけを切り取って短絡的に物事を捉えることができたら、どれだけ楽なことかと悩んだこともあった。答えが見つからないことを成果が上がらない理由にする人間にはなりたくないので、悩みながらも行動し続けた。だから悩んで動けなくなる人間の気持ちが全く理解できない。「あなたは悩めるほど努力したのか?」と問いたくなる。


悩んだ時に相談できる仲間がいればいいのだが、物事を突き詰めれば突き詰めるほど人間は孤独になっていく。「本気で仕事と向き合ってます」という人材業界の人間には何度も出会ってきたが、特に努力をしているわけでもなく、感情論の世界で、その人の世界観の中で頑張っているだけの話ばかりでうんざりしている。「全ては考え方次第」とか「原体験が大事だ」とか「好きなことを仕事にしよう」とか「価値観のマッチングが大事」みたいなことを、薄っぺらい知識と経験の中で独自理論を展開して語る人間ばかりなので話が合わない。突き詰める事をやめて、中途半端な状態で結論をだして独自の理論を展開しているだけでも人材業界は仕事として成り立つから恐ろしい。


しかしよくよく考えれば世の中の大半は「真剣に突き詰める」ことを求めていないので、こういう中途半端で短絡的な考えの方が広まりやすいというのは納得している。突き詰めるほど、それを理解できる人も少なくなるし、実践レベルまで落とし込む難易度も高まる。ある意味突き詰めることの方が自己満足なんだということがわかってきた。


世の中にハイアットのような高級ホテルも必要なら、アポホテルのような一般向けホテルも必要不可欠。人材業界にも本気で突き詰める人間がいてもいいし、シンプルな結論をだす人間がいてもいい。世の中にくだらない人がいるのではなく、違いを受け入れられない器の小さな自分がいるだけなんだということに30歳過ぎてから気づいた。


私自身はまだまだ勉強・経験不足でハイアットのような質の高いサービスを提供できるようなレベルではない。それでもアパホテルのような一般的サービスを超えるだけの努力はしてきた自負がある。こうやって語ると聞こえはいいが、要は「中途半端な立ち位置」なのだ。一般向けにも、高級層向けにもなれない。


5年前にアメリカで企業の社内文化・採用設計・評価制度などについて、多くの企業と議論したが、自分の知見と経験の浅さに絶望したことは今でも記憶に強く残っている。今まで10年間努力してきたことはなんだったのだろうか?と自分を見失った。世界のトップはなるべくして世界のトップになっていて、自分はなるべくして中途半端になっている。それだけのことだった。



「無理をしなくていい」

こういう時ほど、この言葉が心に突き刺さる。



結局突き詰めた先にある何かも「自己満足」でしかないなら、もっと一般的なサービスに振り切る「自己満足」を追求したほうが考え方としてはスマートなのではないか?と脳が自分に問いかける。ストレスが最も少なくて成功しそうな道をいつも脳は提案してくれる。



だけどその度に「顔」が思い浮かぶ。


自分は自分に対して強く失望しているが、この世界には自分に希望を見出してくれる人もいる。中途半端なままで人生を終えられないのは、信じてくれる人のために何度でも挑戦し続ける必要性を強く感じているからだ。必死で努力した先に自分の思い描いた理想はなかったとしても、誰かの希望になることはあるのかもしれないと信じるしかない。挑戦し続ける人生は「困難」の連続だが、最後は自分が信じたことの強さが問われる。


どれだけ努力しても、考えても答えが見つからないことはある。35歳を過ぎても自分は人材業界の中で答えをみつけられていない。信じられるものが何もない事に嫌気が差したこともある。


それでも真剣に理想と向き合った先に「信」はあった。自分が発見する前に他人が「信」を与えてくれた。自分が想像もしなかったところから「信」はやってくる。そして何度でも挑戦する理由となり、自分を理想へと近づけてくれる。人生にはこういう循環があるという事だけ皆さんにお伝えしたい。


無理をしなくていい時代だが、無理の先にも光はある。

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