それって「単なる暇つぶし」なだけじゃないの?
今から10年以上前のことです。京都北山にある慈照寺(銀閣寺)に新しい研修道場が誕生し、一般人である私にもいくつかの講座が開放されていた時期がありました。
その幾つかある講座の一つに、当時銀閣寺で初代花方をされていた珠寶さんが主催されていた「銀閣寺の花」、いわゆる古流のいけばな教室があり数年間、毎月のように東京から通学しておりました。
それは今にして思っても、とても贅沢な時間だったと言えます。なにせ足利義満公を祀る慈照寺の中にある講座でしたから、講師の方々も一流でした。
もちろん受講生にしても、彬子女王をはじめ熱心な方が多かった(何せ飛行機で通って来た方も複数名いるぐらいでしたので)のを覚えています。
それだけ魅力的な講座が多い、いわば「高級版カルチャースクール」だったと思います。ちなみに、この機会に少しだけその「立て方」(活け方)をご紹介すると、次のようなものでした。
”中央に一番高く「直真」(じきしん)の菊を、次に2番目に高い菊を向かって左手奥に、3番目を右手奥に、4番目に高い菊を右手前に活け、最後に5番目に高い菊(つまり一番低い菊)を向かって左手前に活ける。ちなみに「直真」以外は前後にふって活けても可とする……。”
やはり長続きする「趣味」とは、理屈ではなく「心から熱中できるものであること」が大切です。
ただしすでに告白済みですが、「わたし」はこれまですべからく「何をやっても長続きしなかった」のですが、これってやはりまだ「本当の出会いがなかったから」なのでしょうか?
そんなことを思いながら、最近になって定年を迎えた友人に「これからヒマな毎日どうするの?」「何か習い事とか始めるの?」とさりげなく聞いてみたのですが、その時の彼のセリフを、今もって忘れることができずにいます。
「習い事?それって単なる暇つぶしなだけじゃないの?」
もとより単なるヒマつぶしをする気はないですが、そうダイレクトに言われしまうと、「これは単なる暇つぶしじゃないぜ」と言い切れるだけのものでなければまずい状況に、いまの私は陥っております。
かくしてそれ以来、ずっと「単なる暇つぶしでない習い事」を探し続けておりますが、残念ながら今もって出会えていません。
きっとこのままでは出会う前に「ハイ、終了!」となりそうですが、それはそれで仕方のないことなのでしょう。それでも今の私は、少なくとも「単なる暇つぶし」だけの人生は送りたくないと心に誓っております。なにせ「人生は最後の最後までわかりませんから……」。(づづく)
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