孝行のしたい時分に親はなし
親の苦労を知る頃になり、また少しは余裕ができた今なら「存分に親孝行したい!」と思ったところで、すでに親は亡くなっている……。そんな自分勝手な「親不孝な自分」を嘆き、悲しむのは、ひとり私だけの話ではないでしょう。
それだからでしょうか、たとえそれが「老老介護」の苦労や愚痴であったとしても、今もって親が存命な友人を心から「羨ましい」と思うのですが、それはおそらく「ないものねだり」(親はたしかに「もの」ではないので、正しい表現ではないかもしれませんが)に他なりません。
だいぶ前に亡くなった自分の母親を、今朝どうしたわけかふと思い出しました。
それも今から40年前の、夏真っ盛りに起きた不思議な出来事と悲劇を、これもまたどうしたことか、その日に母親が私に呟いたセリフと一緒にです。
まずその日は、日本の民間航空史上最悪の事故と言われ続けている「日航ジャンボ機墜落事故」が起こった日でもありました。もっとも「不思議な出来事」はその事故が発生する数時間前の、公園で母親と長女とひとしきり遊んだ後の、自宅までの帰り道に起きました。
もっとも実は、そんな大袈裟な「出来事」ではないのです。
ただ今にして思っても、不思議なのですがその日公園に遊びに連れ出す長女のスカートに、キチンと留め具でつけたはずキャラクター「缶バッチ」が、公園からの帰り道に「突然スッポリと外れた」ことだけです。
もちろん「留め具が外れる」なんて、よくあることですから普段なら気にも留めないのですが、その日の「それ」は今にしても不思議なことに、留め具がきちんと嵌ったまま、そのまま長女の足元に落ちたのが不思議なのです。
それはまるで、突然透明人間になって消え去った長女のスカートから「缶バッチだけが突然抜け落ちた」ような、カチャンとわざと私たちに何かを教えるかのような音を立てて長女のスカートから抜け落ちた缶バッチの不思議な出来事は、40年経った今もあの日の夕方の悲惨なニュースと共に鮮明に覚えています。
さてもう一つ私にはその日以来、忘れずにいることがあるのですが、それは母親が帰り道に私に向かって、突然、そうなんの脈絡もなく唐突に話した内容にあります。
「今の人たちはハングリー精神がない」
「これではきっと日本はダメになる」
その当時の私はというと、ものすごく忙しい日々を送っていましたから、その母のハングリー精神が亡くなったという話には、正直全く共感しませんでした。
またその40年前の日本はというと、そこから「ジャパンアズNo.1」に向かって突き進んでいた良い時代でしたから、母のその突然の話の内容は前述した「缶バッチ現象」と併せて、事あるごとに「どうして?」と言う思いで今日まで過ごしてきました。
それではなぜ今になって母の話を思い起こしたのかと言うと、今回の与野党の党首選において「ただの一人として『日本人の失ったハングリー精神』について言及した政治家がいなかった」からです。
実は石破さんも、野田さんにしても私と同年齢の政治家です。
同じ時代に生まれて各々違う人生を送ってきた昭和のおじさん達は、確かに恵まれた、そして平和な時代を過ごした世代だったと心から思っています。
ただし敢えて今日の私は若い「あなた」に伝えなければならないのは、日本における「失われたこの40年間の責任」はとても重いものだと思っています。
他人のせいにする気は毛頭ありません。
私の上の世代は例の「団塊の世代」ですが、すでに彼らは「後期高齢者」で本物のおじいちゃん・おばあちゃんな人たちです。
そんな彼らが、本来ちっとも金持ちでも何でもないのにちょっとおだてられて、いい気になって「一流国のつもり」をしていたら、いつのまにか「一流の貧乏国」になっていましたが、それは「わたし」を含めた国民「みんな」のせいだと思います。
それでも私は最後まで責任逃れをしたくありません。願わくはそれは今の為政者にも期待してますが、繰り返しますが他人をアテにして、何もしないで待つだけの人生を送るつもりはありません。それが「人生は最後の最後まで分からない」の意味です。ぜひ本書↓の中でお会いしましょう。