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対岸の火事とオーストラリアとオカン

洋服であろうがなかろうが、

ものづくりであろうがなかろうが、

ビジネスについて知識を得て合理的であるということや論理的であるということを学んでも僕の中に消えない思考がある。

それがKazokuという考え方である。

これは僕が考えているお商売をするにあたってのとても大切な要素であると同時に僕が一番尊敬している経営者の一人であるオカンから学んだものでもある。

その思考は合理的でもなければ、論理的でもない、しかしとても大切だから僕は忘れないようにしたいと思っているのだ。


無鉄砲な息子、オーストラリアへGO(豪)

役者を引退すると決めた。

22歳で「このオーディションに落ちたら芸能界を引退してでかいことをする」と宣言し見事に落ちた。

芸能界の若手オーディションの多くは22歳までである。

ジュノンボーイも22歳まで。

多分「学生=若手」という認識があってそれを超えると若手俳優のスタートしては遅すぎるのだろう。

実質「若手としてはもう売れない」と言われたようなもんだったから引退を決めた、そしてなんの才能もない自分でもできるでかいこと=海外に行くという安直な結論を出した。

元々高校を勝手に辞めてきて、専門学校に行ってダンサーを目指していると思ったら俳優を目指していると思ったら演出家になっていた僕。

会うたびに職業が変わる夢見るぼくに生活力なんてあるわけはなく、毎月でかい米俵を持ってきてくれて「なんとか死なないライフライン」を引いてくれていたのはオカンだった。

そんな僕が芸能界を引退すると言った時安心したのか心配したのかわからないが「お金貯めてオーストラリアへ行こうと思う」と伝えた時は諦めにも似た表情をしていたと思う。

1年間バーテンダーをしながら英語の勉強をしていたのだけど出発の1ヶ月くらい前に珍しくベロベロだったオカンが「行くの辞めたら」と冗談で笑っていた顔はなんとなく覚えている。

でもごめんね、僕はオーストラリアででかくなって帰ってくる。



海外送金とオカン

オーストラリアに到着してから貯めてあったお金はどんどんと減っていった。

100万円あれば大丈夫!

嘘つけ!

全然大丈夫じゃないじゃん、めっちゃ楽しいよオーストラリア。

毎日新しい出会いがあって、毎日が夏休みだった。

もちろん仕事しなきゃいけなくて仕事も探したけれどすぐにはうまくいかなかった。

現金が減ってきて「そろそろやばいなぁ」なんて思っていた時なんとか仕事を見つけた。

しかしどうしても仕事が始まってお給料をもらえるまでの数週間お金がなかった。

その時にオカンに電話して「ごめん、お金がなくて」って相談した。

日本だったら米俵持ってきてくれたんだけどそういうわけにもいかなくて、オカンはすぐにお金を振り込んでくれた。

本当に助かったんだけどよく考えたらオカンがオーストラリアの銀行に海外送金してくれたの。

オーストラリアなんて無縁のオカンが、横文字の銀行の名前を必死で銀行で伝えてるの。

その時は全く考えもしなかったけど、本当に苦労したと思う。

ただでさえ忙しくて貧乏だったのに、時間作って銀行行って無理して振り込んでくれた。

これってどう考えても「愛」だと思う。

でもお金を振り込んでくれたけど頻繁に連絡してくることはなかった、あくまでも放任主義だった。

おかげで何も干渉されずに全力でオーストラリアを楽しむことができた。


オカン、オーストラリアへ行くよ来るよ

帰国の2ヶ月くらい前にオカンと話していたら「私たちも休みとってオーストラリア行こうかな」なんて言ってきた。

2月のオーストラリアだから確かに夏だし、めちゃくちゃいい季節なんだけど仕事が忙しいオカンが2月に休みをとってやってくるなんてあり得ないと思ってた。

「あんたがおらんかったら一生行かへん場所やから」

そう言ってオカンは本当に2月にやってきた。

僕が日本を発って1年近く経っていた。

オーストラリアにきたオカンを前に住んでたアコモデーションや通っていた学校に連れて行って紹介した。

「そうなん」「すごいな」

そう言っていちいち感動してくれた。

僕はオカンがオーストラリアにいるのが新鮮で、なぜか面白かった。

でも今考えるとこれも愛なんだろうな。

息子が過ごした場所を自分も見てみたい、同じ景色を共有したいって。

余談だけど満月の日の晴れの日はほとんど毎回「月が綺麗ですよ」ってメールが届く夏目漱石かよ。


浄土真宗とオカン

オーストラリアにきたオカンたち家族と一緒に日本に帰国した。

日本は寒くて、オーストラリアに慣れていた僕はガクガクブルブルしていたがメンタル的には最強だった。

ワーホリから帰ってきた日本人は大体「今の自分は最強」と勘違いしている。

そして大体の人が「なんで電車のドアが閉まるくらいで走るの?ゆっくり生きよううよ」とか「満員電車に乗るのが人生なのかい?」みたいなことを言うようになる(大体数ヶ月で元に戻る)

そんな感じで実家に帰ってきた。

そこでみたのは1年前まではなかった「神棚」であった。

疲れていた僕は特に気に留めることなくその日は1年ぶりの実家で眠りについた。

翌朝6時ごろ、事件は起きた。

まだ爆睡している僕だったが金縛りにあった、

う。。。苦しい。。。

そう思っていると耳元でお経が聞こえてきた。

え、これまじでやばいんじゃないの?

そう思っていたら金縛りが解けた、そしてリビングに降りて行くとリビングの神棚の前でオカンがお経を読んでいたんだ。

しかも何もみずに暗記してお経を読んでいた。


「オカン何してるん?」

と聞くと

「入信してん、浄土真宗」

と言われた。

完全に頭にはてなが浮かんでいたのだけれど母は続けて少し恥ずかしそうにこう言った

「あんたがオーストラリア行ってからな、もう手の届かへん場所にいるやんか連絡もしてこうへんし、だからなできることは祈ることだけやってん」

「おぉそうなん」

と全力で照れ隠しをした。

その時に「おぉ、そうなん」は後日みてみたかったくらい照れ隠ししていただろう。

僕がオーストラリアに行って、いてもたってもいれなくなって、

それでも連絡すると僕の成長を妨げるからとお経を読み始めたオカン。

そして知らず知らずのうちに覚えてしまうほどになったオカン。

きっとその想いが僕を捕まえて金縛りを起こさせたオカン。

これは間違いなく愛だよね。

ちなみに今でも毎朝読んでます、お経。



Kazokuの誕生

その後起業したわけだ、起業してからの苦労はこちらの記事に書いてあるが、

本当に波瀾万丈な起業人生だった。

そして色々あったが僕は自分のアパレルブランドを起こすことになる。

それがKazokuというブランドなのだ。

もちろんそのルーツはオカンにある。

うちの家だけが特別ではないと思うのだけれどオカンはとにかくすごい。

何がすごいって愛情がすごい。

自分の損得とかそんなもの全く関係なく相手を思い行動する。

お経を自然と丸暗記するくらいなのだ。

けど社会を見渡したら悲しいことがとにかく多い。

アパレルで人が死んで、今日も人が死んでいる。

環境は壊れて安さが人を蝕んで5000円のシャツを高いというようになってしまった。

原因はなんだ?

と僕が「対岸の火事」なんだと思うんだ。

安い洋服は誰かが悲しんでいる。なんて言われなくてもわかっている人も多いと思う。

服に拘らず自分の豊かさはどこかの誰かの苦しみの上に成り立っているのを理解しているがそれは対岸の火事だから知らないのだ。

有名どころではチョコレートやダイヤモンド、コーヒーなんかは過酷な労働環境によって生み出されている嗜好品である、綿花なんかも例外でない。

でももし、これが「家族」だったらどうなんだろう。

自分のオカンがコーヒー豆作っていたら、

自分の子供がお客さんだったら、

自分の大切な家族が取引先だったら、

対岸の火事であっても必死にお経を唱えるでしょう。

自分の仕事に関わる全ての人たちが家族だったら距離は関係なくなるんじゃないかと思うんだ。

だから僕たちが作ったKazokuというブランドにはそんな想いが込められている。

お客様もKazoku、だから品質の高いものを着て欲しい、恥ずかしい想いをしてほしくない。

職人さんもKazoku、適正な価格をお渡しして誇れるものを作って欲しい。

生地やさんも、取引先も従業員さんもみんな家族、そうすればどこかに歪みは生まれない。

そうでしょう、

「オカンは大切やけど、おとんはまぁええか」みたいな。

(あかんでしょ)

みんなKazokuなんですよ、そんな思いで作ってます。

それがKazokuシャツなんです、こんなこと言うと想いだけのファクトリーブランドって思われちゃうかもしれないけれど、

家族がどこにっても恥ずかしくないようにデザインも、素材も、クオリティも最高を目指しています。


そんなkazokuシャツの新作を作ることになりました。

9月の後半に受注を取るらしい(メンバーからKazoku シャツやりましょうって言われた)

次のモデルは僕がやらせてもらえるらしく、とってもワクワクしています。


コロナ禍で大変なことも多いけれどKazokuのこと考えて頑張っていこうと思います。

楽しみにしていてくださいね。


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