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お金が神様になった時代の歩き方

2020年10月31日

弊社(合同会社ヴァレイ)の新しい配送センターValley Kichi.のオープンに伴って、

ALL YOURSの木村社長とのトークセッションを行いました。

その中で出会った木村さんの思考に僕のニヤニヤが止まらなくなったので備忘録として書いておきたいと思った。


お金が神様になった時

「この話は何回メディアで話しても取り上げてもらえないんですよ」

打ち合わせをしていたカフェでオムライスを食べながらオールユアーズ の木村代表はそう言った。

宗教ってワードが強烈なのかもしれないし、話自体がマニアックなので何回話してもメディアで掲載されないそうだ。

だけど今回はかなりクローズドなイベントだったし、ぜひマニアックな話も聞いてみたい。そもそもそういう話が大好きな僕はニヤニヤしながら「ぜひ話してください」と言った。


「昔は信頼できるものがなかった」

遥か昔は突然の大雨も、暖冬も、落雷も予想できなかった、だから人は神を頼ることしかできなかった。

宗教というものを作って神に祈ることで嵐を鎮めようとした。

だけど科学が進歩した、世界の天気を事前に予測することができるようになった。

天気だけではなくあらゆる科学の発展は未来を予測することができるようになった、そして予測できるものに人はお金を使えるようになった。

それが「投資」である。

まだないものに投資をして、先を予測してお金を使うことが西洋の資本主義を作っていった。

そして科学の発展による予測と、資本主義の起こりにより人が最も信用できるものは神様ではなく「お金」になった。

お金を持つことが幸せを作ることだ。

その価値観が世界中の基本になったのだ。

(もちろん数多ある宗教の神様を否定しているのではない)

お金を信じることは経済を発展させることに都合が良かった、

お金を増やすことは幸せを増やすことになると信じて人は働いた、特に真面目な日本人はめちゃくちゃに働いた「24時間働けますか?」をスローガンにただひたすらにお金を生み出し高度経済成長を生んだ。

家庭を省みず働く男が偉い、働かない女は下の存在だ。

つまり神に近い男が偉く、そうでない女性は下だと。

(非常に不快であるが)

「お客様は神様だ」という概念もお金が神様だと信じた結果なのだ推測する。

そんな時代が過ぎていき、消耗し人々は気付き始めた。

お金って神様じゃなくないですか?


大切なのはお金じゃないことはわかっている

お金があることは確かに自分たちの生活を豊かにすることは間違いない、

しかしそもそもお金を獲得するには競争がある。

現代の社会ではその競争は強制参加で、しかも勝ち負けを付けられる。

そして望んでもいない勝負に負けた(と判断された場合)は神様に見捨てられることになる。

まるで告白もしていないのに振られているように理不尽だ。

そして疲弊して人々は気づき始めた「お金が神様じゃないことはわかっている」

しかし何が自分たちの心の拠り所になるかはわからないのだ。

恋愛かもしれないし、家族かもしれないしものかもしれない。

人はとても弱いから何かに心を委ねることで安心することができる。


マズローの5大欲求論でも

生理的欲求(性欲、食欲、睡眠欲など生きるための欲求)

安全の欲求(心身安全に暮らしたい欲求)

その次に社会的欲求(社会に属したい、他者と関わりたい欲求)がくるほどに人間にとっての本質的な欲求なのだ。


誰かと関わりたい、しかしそのきっかけであったお金は神様ではないことがわかっている。

ではどこで心を休ませればいいのだろうか。


心の宿木を増やすこと

その時に出てくるのが私たちのような物づくりや、サービスを作る人間なのだと思う。

例えば自分がとても好きなアーティストの音楽を聴くという行為ももちろんその音楽が好きだということはあるのだけれどそれを通じて人と繋がりたいであるとか、そのアーティストの生き方が好きであるとか、何か自分の信じる(好きな)物を自分の代わりに表現しているものを好きできることであるとか、

心の大切な部分を預けているのである。

そしてそのアーティストの商品や音楽を買うことでその人に「投票」しているのだ。

「自分はそのアーティストに一票を投じます、この人が私の代弁者である」

消費は投票だ。

これも木村氏の言葉であるが自分が消費するサービスやモノは自分の代弁者であるから、それはつまり投票なのだ。

その票が集まれば結果としてサービスやモノは広がるし、それが広がらないにしても小さなコミュニティができる。

ものを消費することで人は自己表現しているのだ。

だから私たちのようなものを作ったり、サービスを作る人たちはみなさんの代弁者でありたいと思う。

みんなが言いたくても言えないこと、形にしたくてもできないことを表現する。

そしてその人の中のほんの小さな部分の心の宿木を作ることになると思うのだ。


「ヴァレイが作ってるサービスを使うことで自分はファッション業界の「作る」という部分に関しては信頼できるのだ」

もっというとその部分においてはお金でも神様でもなく、ヴァレイを信用するのだ。

そう言ってもらえるサービスを作る必要があるのだ。


めちゃくちゃ神様がいる時代

今までは神様やお金など信じるものが1つか2つで良かった。

だらか生活の中心は非常にシンプルだった。

決まった時間に起きて仕事(宗教活動 )を行って、対価(お金)を得る。

そうすることで報われます。

で良かった、しかし今は非常に複雑でお金が神様でないとわかった以上、

信じるものを増やさなければいけない。

選べるものはとてもたくさんある世界、どうやって自分たちが信じるものを見つけるのか。

それが非常にしんどくなってきた。

マーケティングやら、ブランディングやら、面倒臭い。

何を信じればいいのだろうか。

非常にめんどくさい。

隣にいる人を信じる

ここからは僕が考えたことであるが、

こんな時代だからこそ僕はやっぱり隣にいる人を信じるべきなのだと思う。

例えば家族、例えば親友。

自分が信頼する人が「良い」と言ったものは良いのではないか?と思う。

全て自分が見つけるのは難しいから、例えば音楽が好きな親友が「良いよ」っていう音楽はひとまず聞いてみて「良いか悪いか」決めれば良い。

うちのシャツを着て良いと言ってる親友がいたらまず着てみて欲しい。

そして「良いか悪いか」を決めるのだ。

良いか悪いかは人次第、何が良いものかなんてわからない。

でも信用する人が「良い」というものは少なくとも試す価値があるのではないか?と思う。

だから僕は自分が作る商品やサービスは自分の家族や親友が「良い」言ってくれるものでないと作らないし売らない。

例え遠くの誰かが「それ良いね」って言ってくれても親友がいいと言ってくれないと信用しない。

僕が本当に良い、親友や家族におすすめできると思った商品を10人に使ってもらう。

そうするとその人たちは真剣に向き合ってくれて、僕を信用してくれてまた誰かに紹介してくれるだろう。

その人たちは信用している人が信用しているからまたそれを広げていく。

これが口コミと呼ばれる状態で、こうなると自然に広がっていく。


でも僕がやることは周りにいる10人に納得してもらうプロダクトを本気で作るだけなのだ。

10000人に向けて売らなくて良い、大切な人10人が本気で喜んでくれるものを作ろう。

木村氏はこう言った

「この時代だから敢えて言うけど良いもの作ってたら売れますよ」

僕も完全に同意する。

だってそれを知ってくれる人はたった10人で良いのだから。


お金が神様なら良かったが、残念ながらそうじゃないかもしれない。

お金が神様じゃなくなった今、僕たちは何を信じて生きて行こうか。

そう思うことが増えてきた。

そんな時はまず信用している人が信用しているものを信じてみるのも悪くないのかもしれない。


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