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02 | DREAM応募までの道のり

2. DREAMに応募までの経緯

僕は世界一周コンテストDREAMを知る前から僕は、世界一周に憧れを抱いていた。

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高校卒業と同時に、僕は1年間浪人という道を選んだ。自分の生き甲斐とも言えるサッカーが終わってしまったと同時に、この先どうすればいいかわからなくなってしまった。

僕は高校2年からプレイヤーとしてではなく、マネジャーとしてサッカーに携わっていた。後悔はないし、自分自身を変えるきっかけになったし、みんなと最後まで続けられてよかったと心から思っている。
だが、ずっと辛かったのも事実だ。本当は試合に出たかった。みんなと一緒に、フィールドの中で戦いたかった。それが出来ない自分が悔しくて悔しくて堪らなかった。だから、マネジャーで出来ることをやり切ってサッカー部の引退を僕のサッカーの引退にしようと決めて最後までやっていた。

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サッカーを引退してから、大学に進学を決めるも、
勉強をやってる感は出しつつも半ば諦めていた。
何のために行くのかが分からない。先生になりたいと思いつつも、何か府に落ちない。とりあえず勉強。

受験の結果は全部落ちた。自分を責めた。あれだけサッカーを頑張ってきたのに、これか、と。色々言い訳つけて、自己否定に走っていた。

その時父親に言われた一言によって、浪人することになる。

「このまま負け組でいいのか?」

は?ふざけんなよ。お前は俺の何をみてきたんだよ。
怒りと悔しさで爆発しそうだった。でも言い返せなかったのは事実だ。受験に関しては、諦めながらやっていた。そんな自分が悔しかったのだ。

だから僕は

父親を絶対見返してやる

この気持ちだけで、浪人を決意して、偏差値40台から早稲田大学を目指して1年間やったことない勉強を1から本気でやった。

そして紆余曲折を経て、第一志望の早稲田大学教育学部には落ちたものの、現在所属している人間科学部に滑り込んだ。

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浪人したこともあり、大学生活を悔いなく過ごそう。
沢山勉強して、沢山遊んで、沢山挑戦しようと意気込んでいた。そして大学に過度な期待をしていた。
きっと授業はすごく面白いのだろう。
きっと教授はすごい人たちなのだろう。

ただ、入ってからすぐに大学への失望と周りとの比較による劣等感に押し潰されそうになっていた。

当時、大学の授業が本当につまらないと感じていた。教授は誰に向かって話しているのかは分からない。
周りの学生は漫画読むか、スマホいじるか、寝てるかの学生が多くいて、期待とのギャップにショックを受けた。もちろん全ての授業に当てはまる訳ではないし、元はといえば自分が主体的に物事を進めていればそう感じていなかったのかもしれない。ただ事実、僕は今の環境にものすごく居心地の悪さを感じた。

また、高校、受験と夢中になってやれるものがあったから辛くても頑張れたものの大学に入ってから確固たる頑張る"何か"が欠落してしまっていた。

僕の高校の親友や仲のいい友達は、"好きなこと"の為に進路を選択して、"好きなこと"だから頑張れるし、"好きなこと"だから続けている奴らが多かった。
映画監督、ディレクター、起業など、僕にないもの持っている彼らが羨ましく、自分が情けなくなっていた。

早稲田大学を志して頑張って合格を勝ち取り、入学したら頑張ろうと意気込んでいた自分はたった1か月でどこかへ消えてしまっていた。そして燃え尽き症候群になり、5月病というかたちで大学に行かなくなってしまっていた。

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そんな迷走していた僕に、人生を変える出会いがあった。それはある一冊の本との出会いだ。

たまたま家の近くの本屋に置いてあった本に目を奪われた。

「僕らの人生を変えた世界一周」

心が震えたのだ。
茨城の駅もないような市で育って、中々旅行などには行けず、1度も海外などに行ったことのない僕。

そんな僕は「世界一周」「人生を変える」という言葉、「ただ一度の人生、怖いのは死ぬことじゃなく退屈なこと」という言葉に心が刺さり、気づいたら手に取って買ってしまっていた。

家に帰って、僕はその本を1日で2周してしまい、
その日に僕のやりたいこと、夢ができた。

「世界一周」だ。

          ***

そこからの僕は、めちゃくちゃワクワクしてしまっていた。その本を読んでから世界一周のことばっかり調べで胸躍らせていた。YouTubeで世界一周している人の動画をみてモチベーションを上げることが日課になっていた。

そして大学では、世界旅行研究会というサークルに入り先輩の海外一人旅の話に胸躍り、まるで自分が旅していた気分になっていた。

そしてTABIPPOの旅大学で世界一周した人の話を聞く機会があった。それが北野勇樹という人だ。


本当にワクワクしたし、めちゃくちゃ楽しかった。
そんなゆうきくんからの言葉。

「チャンスは掴みにいくもんやで」

僕の夢を叶えている憧れの人ができ、その人からこんな言葉を貰えたからには僕はモチベ激上がりだ。
もう我慢が出来なくなった。
僕は海外になんとしても夏休みに行こうと決意し、お金を貯めつつ自分の奨学金からお金を出して、フィリピンへ語学を学びに行った。

***

はじめての海外。はじめての1人での渡航。
不安とドキドキの中僕はフィリピンへ向かって多くの経験をした。日本語ではない言語がスタンダードな環境、文化の違い、宗教、そして貧困。多くを経験した。


そして全てのことが新鮮だったが驚いた出会いがあった。日本で世界一周の講演をしていた、あの北野勇樹氏と偶然の偶然出会ってしまったのだ。本当に偶然。
こっちは興奮していて話しかけたのだが、あっちは忘れていた(笑)親友と同じ名前だから絶対に忘れないとか言っていたのに(笑)

そこで繋げてくれたのが、世界一周コンテストDREAMに参加してファイナリストだった平岡慎也さんだ。
その時の動画こちらだ。

僕はYouTubeでたっくさんDREAMのファイナリストの動画を見ていた。そして熱い夢や世界一周に対する想いを表現する動画上の人たちは本当に憧れだった。
当時教師を目指していた僕にとって、まさにロールモデルの人だった。

そんな素敵な人にも出会えてすごくすごく、刺激になったのも同時に自分は世界一周したいという気持ちしかなかったと思っていた。

他の人は世界一周を手段とらえ、目的は別にある。
例えば、ひらしんさんの場合なら
世界中の教育現場に入って実際に教師をやりながら世界一周する...などだ(間違ってたらごめんなさいひらしんさん笑)

僕にはまだそれが未だ確固たるものが決まってなくて、世界一周は目的が明確に決めていなくては行ってはいけないものとさえ思っていた。実際周りになんで世界一周したいのと聞かれると未だ言語化出来ていなかった。

だから世界一周行くとは口で行っても、有言実行はあまりできていなかった。

           ***

ただ、あるきっかけで世界一周に対する純粋な気持ちで行くのでもいいのかもしれないと思えた。

それが、Backpack FESTA2018の世界一周コンテストDREAMのファイナリストのプレゼンを直接聞くことができたからだ。自分の同世代のみんなや高校生が自分の夢や世界一周に対する思いをおもいっきし表現していて、しかも楽しんでいた。

中でも僕の中で衝撃だったのが、高校生のみはるさんのプレゼンだった。本当に心動かされた。
等身大の世界一周

一番刺さったのは、世界一周がすごい訳じゃない
世界一周がすごいって誰が決めたんですか。

セミファイナルまでは、これまでのファイナリストと自分を比べてすごいテーマがない、と。

ただ、こうして自分のそのまんまの気持ちをおもいっきしプレゼンをしている姿に心打たれて、気づいたら涙がでていた。

なぜなら、僕自身がそうだったからだ。
かっちょいい聞こえのいいことがなければ行ってはいけないと思っていた自分。
そんな僕は、みさるちゃんのプレゼンを聞いて、
世界一周に行きたい!」というピュアな気持ちを大切にして僕も等身大の世界一周をしたい本気で思った。

そしてその時、
僕もあの舞台に立ってプレゼンしたい
と思い、DREAMに出ることをこの時決めた。

          ***

DREAMを直接見てから、1週間後に初めての一人旅でインドに飛び立っていました。

一人旅は本当に楽しかった。
予想外の出来事や出会いにワクワクした。
周りに流されてる感覚がなくて、すべで自分で選択して決めている実感があった。
自分の感情を思いっきし表現できていた。
そして心動く瞬間がたっくさんあった。

日本にいた時に、自分のことをずっとダメなやつだって思っていたし、八方美人で飾って嘘ついて生きているって思っていたけど、
こんな僕にご飯をご馳走してくれて、近所中のみんなに僕を紹介してくれて、血が繋がってないけど「家族だよ。いつでも帰ってきていいよって」言ってくれたインド人に救われて。

インドを旅をして本当に良かった。


そして帰国してから、紆余曲折あって世界一周コンテストDREAMに応募することになった。

今振り返れば、全然すごくないけれども、
多くの出会いやご縁によって導かれたのだと思う。

まだ一回しか海外で1人旅したことないけれど、僕の心に確かにかけがえのない記憶として眠ってる。 
旅が大好きだから、世界一周が単純にしたかったから世界一周コンテストDREAMに出場した。

かっこつけなくていい。
そのまんまの心をぶつければ。

▶︎DREAM詳細




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