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self-esteem?ー個性と自己肯定感について

書きたいときに書きたいものを、というのは贅沢ですねぇ。
これからも気が向いたときに書いていくよ。Xだと文字制限がなぁ。青いのを導入するするつもりもないし。

今回は個性に関して少し思うところを。ついでに自己肯定感にも触れていこうかな。
そもそも「個性」てなんだよ、つう話で。自分らしさ、とかよく言いますが自分らしさて何よ?にもなる。
自分の個性を考えてみると「鈍」「遅」「静」「動」「聞」「楽」「無」
あたりの単語なイメージです。
私基本的に鈍い、動作的にもですが心的にも作用していて、どこぞの鈍感力とやらに似ているのかも知れない。あまり他人の亊を思う亊がない、心理職は仕事だったので。友人が、家族が、となれば馳せ参ずるけど他人はいらないかな💦知らない人にはとても塩対応です。気を回さないし食事も遅く、コーヒーは早く飲んで引き上げる嫌なヤツですね。
書いててなんだけどできるだけ鈍くあろうと思う。病前はやたら他人に気を使う亊してたような気もするし、そのぶん人に当たっていたように思うな。
静動に関してはメリハリついてるほうじゃないかな。1時間くらい外見てたりメタルを流してお茶点てたりして割合静かだけど動くときは過集中してるなと自覚するくらい延々と動いている。夜中1時に夢でひらめきがあると(私明晰夢の傾向アリ)起きて昼までずっと何かしてたりしてるな。
あとは「聞く」のが好きかな。基本人の話とか動画の誰かのインタビューとかホロライブ見て船長結婚しよう!とか番長歌うまいな、とか常識亭すげえ!とか楽しんでます。
あとは気楽に、というか達観というか諦念というか。まぁ誰でもいつかdieするわけだし、その順番次第かな~とか思いつつ両親は看取っておこうかな~とか。そういう所は他人からすると「無」かも知れない。
それらを統合して「自分の個性」だと思う。唯一無二ではないし、自分だけのものではないし、誰かに影響されたり他人から見て嫌がられたりするものだし。
こうでないと、というのは自分の定義では個性とは言えないかも。就活とかで「私の個性は癒し系で辛抱強くて~」とか言ってるとあぁ、そうなんだ。としか。そもそもパフォーマンスだったりしますし。
確たるものがないと不安を覚える方もおられますのでそれはそれでOKではないかと。信じられる何かがあると安心するって素敵やん?(ステキシンスケクン)
これって自己肯定感かなぁと思うのです。自分が自分を認められる要素、という解釈でいくと何かを信じる亊ができたりする事で自信がつくし行動を起こせる。
オウム真理教で教祖が言っていたから、でポアできるのはまさに自己肯定感のなせる業でもあるのかな。教祖を信じてたし、信じる相手からの指示には応えたいしそれに応える自分に自信がつくし。道義的にアウトだけど自己肯定感は満たされまくってただろうなぁ。
自己肯定感に限って言えば手早く、効率的に高めたいなら何かの教えに、というのも手段かな。まぁ自己責任ですけどね・・・

ところで手早く効率的に、っていう思考はいつ生まれたんだろう。それで余った時間ができるのか?何をどう考えて「余った」と表現してるのかとか。
仮に効率的に動いて余った時間でメタル聞いても効率的に動くリスク(心身の消耗)を消化しきれるのかとか考えるとどうなんでしょうね。自分の答えはないなぁ。


※TOPの画像はself-esteem=自尊心=プライド=高田VSグレイシー な感じで仕上がりました。

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