見出し画像

ガイアの法則⑯

+++

この記事は基本無料で全文読めます。100円と設定してありますが、それは読み終わった後に払ってもいいかな?って思えたらで全然OKです。いつもご支援ありがとうございます(*^-^*)

+++

※このお話は、著者の千賀一生さんがエリドゥ遺跡でシュメール人の大神官とのチャネリングを通してのものです。それを考慮して読んでいただけたらなと思います。

+++

■人類の文明法則史

●第二文明期①

東回りスピン=東経67.5度=インダス文明の中心
西周りスピン=東経45.0度=メソポタミア文明の中心

この時代に最も栄えた地域は、東回りではインダス文明です。このインダス文明はシュメール文明が花開いたエリドゥから経度を22.5度東進した位置(東経67.5度)を中心地として誕生しました。この中心点東経67.5度はインダスの最も代表的な都市であったモヘンジョダロを示しています。

この文明は、今から4600年ほど前に驚くほど計画的な都市文明として出現します。現代の私たちの文明は気まぐれな無計画都市ですが、インダス文明はこんな古代の文明でありながら、広大な都市全体が綿密な設定の元に整然と作られた驚くほど美しく合理的な文明なのです。

この文明の出現はその誕生までの準備期間を考えて合わせると、シュメール文明誕生から1600年経過した時期にあたります。

この地域がこれほど他を凌駕する発展を遂げたのは、学術的に明らかにされている範囲では、後にも先にもこの次期しかありません。また、シュメールと同様に、この時代のインダスも様々な人種が寄り集まった国際都市でした。

+
+
+

●第二文明期②

しかし、このインダス文明も歴史の法則には打ち勝つことができませんでした。今から約4000年前から侵入を始めたアーリア人たちの勢力によって、次第に衰退していくのです。このインダス文明消滅に前後して出現する新たな最高峰の文明は、メソポタミア文明です。

メソポタミア文明は先の東回り周期のシュメールと同じポイントに栄えた文明ですが、この年代ではシュメール人はアムル人の勢力に押され、シュメール人からアムル人による文明へと入れ替わります。民族が入れ替わるので、同じ地域の文明ですが、本書ではシュメールとメソポタミアという二つの名前に分けています。

アムル人によるバビロン第一王朝は、西回りの文明周期の初期である紀元前1830年頃より始まります。

このポイントは後のヨーロッパ文明の精神的原郷ともなるポイントです。彼らの文化の基礎であるキリスト教やユダヤ教(イスラム教も)のルーツは、全てこのラインに起源があると言っても過言ではありません。

旧約聖書にはアブラハムはカルデア(=シュメール)で生まれたと書かれています。ユダヤ人の歴史はこのアブラハムの子、イサクから始まり、イエス・キリストもその末裔にあたります。アブラハムの父がこの地に来たのは紀元前2000年頃であるから、まさにそれはこの西回り周期のスタート地点に相当するのです。

そして、この周期の終わり頃になると、アッシリアの支配下に置かれ、あたかも一つの生命であるかのように文明は終末を迎えるのです。そしてこの終末と前後して、東回りの周期のガンジス文明が花開きます。

+
+
+

■第三文明期(約3200年前~1600年前)①


東回りスピン=東経90.0度=ガンジス文明の中心
西回りスピン=東経22.5度=ギリシア文明の中心

次に始まる1600年周期に最も栄えた地域は、東回りはインドのガンジス文明です。この文明が誕生する直前まで、東洋の地における最大の思想ポイントがこのガンジスの地に栄えようとは、誰も予想できなかったでしょう。

文明の誕生とは不思議なもので、その地に導かれるがごとく、一民族が移動することから始まることがしばしば起こります。ガンジス文明もその例外ではありません。この独自の文明の誕生はアーリア人が南下し、インド古来の文化を吸収発展させるところから始まったのです。

この文明が栄えたガンジス川流域の中心点は、先のインダス文明の中心点から経度22.5度東進した位置にあります。アーリア人がガンジスに侵入したのは3100年ほど前からであり、『リグベーダ』の成立やバラモン階級の確立が3000年ほど前、つまり、インダス文明出現からちょうど1600年後にあたるのです。

+
+
+

■第三文明期(約3200年前~1600年前)②

日本でも天竺として知られた高度精神文明の国は、さらにこの年代のインドです。中国や日本、タイやミヤンマーなど、この時代のインド思想は東洋の全域とも言えるほどの広大な地域に行き渡ることになります。

この都市国家文明からは諸外国に多大な影響を及ぼすことになる様々な思想家が現れ、この東回りの文明期の最終期に仏教のシャカも現れますが、この周期が終わり、統一王朝の時代に入ると、都市国家の時代のような独創的な思想家は現れなくなります。そしてこの文明のエッセンスは仏教などを通して諸外国等に発信され、周期が移り終わるとこの文明のエッセンスを学んだ中国などの他の地域のほうが活気づくことになり、インドは暗黒の時代へと進むのです。

そして文明は、ギリシア、ローマへと続く800年の繁栄期を見ますが、その末期にはローマも暗黒の時代へと入るのです。

395年=ローマ帝国の分裂
401年=西ゴート王アラリックがイタリア侵入
410年=西ゴート王アラリックがローマ市を略奪
476年=西ローマ帝国滅亡

(続く)

+
+
+

■過去記事と関連書籍の紹介

過去記事です(*^-^*)

+
+
『ガイアの法則』を紹介している中矢伸一さん解釈の日月神示の書籍の記事その①です。

+
+

『ガイアの法則』を紹介している中矢伸一さん解釈の日月神示の書籍の記事その②です。

ここから先は

0字

¥ 100

応援ありがとうございます(*^-^*) この応援資金で今後の活動資金に当てさせていただいて、より充実した記事の作成を頑張らせていただきたいと思います。