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たらしめろっ!!

大正十二年九月一日の大震に際して

芥川龍之介 一 大震雑記の中にこんな一文があります。

 人間を人間たらしめるものは常に生活の過剰である。僕等は人間たる尊厳の為に生活の過剰を作らなければならぬ。更に又巧たくみにその過剰を大いなる花束はなたばに仕上げねばならぬ。生活に過剰をあらしめるとは生活を豊富にすることである。

* 

これは1ヶ月ほど前に某ラジオ番組の中で紹介されていたものです。
コロナ禍で人々は疲弊して生活に余裕がなくなっている、仕事も減り日々生きていくのに精一杯になっていて、本来あって然るべき生活の過剰分がないというものです。

芥川龍之介が言う「人間を人間たらしめる~」⇨「人としてあるようにする」ためには
生活の過剰(多すぎて余ること)を作らないといけなくて、今現在その過剰分がまったくありませんよおおお!(汗)ってことなんですね。

でもちょっとまってください!それって今に始まったことでしょうか?


       コロナ禍以前の生活

コロナ禍以前の私達に生活の過剰なんてものあったのでしょうか?答えは……               はい、たしかに過剰分はありました。        残念ながら何らかの理由で余裕の無い方も当然いると思います、それは否定できません。
しかし日本という国で生活している以上、最低限の生活は保証されているのも事実。

問題は過剰分があることに気づかなかった人たち、  (ここに僕自身も含まれます!)         「いやいやちょっとまってよ!誰が何にその過剰分をつかおうと勝手でしょ!」              と言われる方もいると思いますが…

もう一度振り返ってみてみましょう        「人間を人間たらしめるものは常に生活の過剰である」。ここですね、人間を人間たらしめると書いてあります、そう「人間を」です。

          あなたにとって

ゲーム、ギャンブル、勉強、旅行、家族と過ごすのも、美味しい物を食べるのも、芸術作品を観るのも、何もしないのも…何をしようとあなたの勝手です、

しかしこれは貴方の人間としての生き方であることを忘れてはいけません、もちろん休憩も必要ですし自分ではどうすることも出来ないこともある
そして結局は個人の自由です。

ただ、せっかくなのであなたの人生で限りある、自分にとっての生活の過剰を何に使って
いるのか思い返してみてはいかがでしょうか?
                         最後まで読んでいただきありがとうございました。

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