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【哲学】「リマジネール」或いは「純粋言語」或いは「第三現実」或いは「理性の暴走」と呼ぼう

「ル・レエルから乖離し、ル・サンボリックとリマジネールの間隙で揺蕩う大学生。」という記事の続き的なものとして書きたいと思う。

本をある程度ではあるが読んでいると、自然と、あることに気づく。それは全くことなる時代の人物であっても、「これって同じことを言っているのではないかな?」と考えるようになったところ。

最近はまっているラカンの概念を起点とし、そこに共通しているのではないかと思えるような概念に気づいた。

それはタイトルにもある、「純粋言語」「第三現実」「理性の暴走」である。それぞれ、ベンヤミン、外山滋比古、カントから由来するものだ。

ラカンの「リマジネール」は、以前にも書いたのだけれど、〈ナンセンス世界・無意味世界〉を意味するものだ(と理解している)。これは「純粋言語」「第三現実」「理性の暴走」じゃないのかと感じた。まぁ直観だ。


純粋言語は、そこに意味があるものではなく、言葉自体があるのみのものである。つまり、一種の「無」であろうか。

第三現実は、第一現実・第二現実の次にある(かもしれない)世界で、ワタシが勝手に作ったものだ。参考にしたのは、第一現実と第二現実の部分だ。第一現実は、ある種の「ル・レエル」であり、第二現実は、「ル・サンボリック」に似たものように思える。

そして、意味が通じない、言葉も思考もない、現実に即していない世界として「第三現実」があるのではないかと考えた。

最後に、「理性の暴走」だ。これは割と有名かと思われるが、一応説明しておこう。理性とは、それ自身として自然に暴走という機能を備えているのであり、それはいたって奇異なことではない。「理性の暴走」というが、それ自体は、実は「理性の常態」に近いものなのかもしれない。

「理性の暴走(理性の常態)」は、有りもしない世界について考えてしまうことだ。神や不滅の魂、輪廻転生など、日常では考える必要のないことに囚われることであり、その先には何もないものでもある。

つまり、この「理性の暴走」も「無意味(ナンセンス)」なのだ。さぁ、もう全て書いただろうか。

「リマジネール」は、「純粋言語」や「第三現実」「理性の暴走」とほぼ同じものであることを私は書きたかっただけなのだが。そしてこの4つで表現出来るような世界に、片足を突っ込んでいるかもしれない恐怖や期待を感じているワタシ。それは不安か、安堵かはわからない。

ただ、言語化はしておこう




今日も大学生は惟っている。



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