動けないという弱さをどうするべきか。
ある方の記事を読んでいると、「動かないとやっぱダメだよね」のような要旨で終わっている記事だった。
確かに、今動かないこと、動けないことは「ダメ」なことなのかもしれない。しかしそれは結局のところ、動くことの出来る人からの視点に他ならないではないかとも思った。
諸事情によって、動くことが出来ない人は、動く事が出来る人から見れば、ある意味で「弱い」立場になってしまうのではないか。動ける人が、「やはり動かないとね」と言ったところで、そもそも動けない人から見れば、「はぁ?」である。
動くことの出来る人は、自然と「動けない人を排除」しているのかもしれないと思うと、「包摂と排除」は、あまりにも無意識的且つ自然に、生じてしまうのだろうかと少し怖く感じる上に、動くことの出来る人が、一方的にメリットを享受していくのは、「動くことの出来ない」にどんどん不利な状況を生み出していくのではないたろうか?
今例を挙げるなら、大学生だ。
そして大学生の中にも、動きたいと思っても、動けない人間がいる。ここで自己責任論が出てくると思うが、それも結局「どうしても動けない人間」を排斥していることになるのではないか。
う~ん。
動けないという弱さをどうするべきか。
と
今日も大学生は惟っている。
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