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飽和する文字と「黒」に、価値の捉え方の違いを見る。

サピエンス全史という本がある。

この本を読んでいる途中で、カバーが外れかけていた故、邪魔なのでそのままカバーを外した。

するとどうだろう。カバーの様そうとは裏腹に

本自体の外側はシンプルな「黒」で統一されている。

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もしかしたらこれは考えすぎなのかもしれないが、

私はそこに「価値の捉え方の違い」を見たのです。

本というのは、その表紙や帯に客が内容を推測したり、興味を持たせるために本の重要な情報や要約の様なものを載せてある。

そうすることによって客により買ってもらおうとしていると私は思う。

これが、例えば「お茶」でも同じことが言える。

ペットボトルのお茶を買う時に、あなたは何を基準にして買っているのだろうか?

おそらく、(私も含めて)そのお茶の味・風味・香りを吟味して買うという人はほとんどいないだろう。

わたしたちがペットボトルのお茶を買う基準は、そのラベルに多く存在している。

名前、ロゴ、デザイン、色どり、「期間限定」、ブランド

商品の中核機能ではなく、その他の効用(名前、ロゴ、デザイン、色どり、「期間限定」、ブランド)が人にものを「買わせて」いるのである。

そこで私が言いたい「価値の捉え方の違い」とは・・・

「モノ」と「コト」の違いである。

本の表紙のような、内容すべてが分からない状態で買うことは、本の「モノ」としての価値よりも本の「コト」的な価値を重視しているのだと思う。

「アノ人がオススメする!」といった権威者による本の価値の裏付けが分かりやすい例でしょう。

しかし、上の画像のように「本」自体にはカバーや帯のようなコメントなどは無い。

本を読み、本をまた読みやすいようにカバーをはずずのは、もはやその本の「コト」的なものには価値を見出してはいないのかもしれない。(まだ読んでない場合は除きますが・・・)

図書館

そういえば、図書館の本はほとんどがカバーや帯を外されている。

私が思ったことは、

本が「商品」ではなく、

その内容の価値が保証された「本」として

図書館で扱われているのでは?ということ。

中核機能以外の要素に頼らなくとも、本が「本」として価値を持っているって何だか素敵ですよね・・・。

本が「商品」なのか

本が「本」であるのか

本達にとっては、後者の方が嬉しいような気がしますが…

では!

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