見出し画像

コミュ障は悪いって決まったわけじゃないぜ

コミュ障について、以前ほんの少し書きました。池田理知子さんの著書「日常から考えるコミュニケーション学」を参考に、じゃあ本当のコミュ障とはなんぞや!というよく分からない持論を繰り広げていたのですが、「コミュ障」というのは、仮にそのような性質を備えていたとしても、「悪い」とは言えないと思います。しかし、来し方行く末、「良い」とも言い切ることも出来ません。

ただやはり、いろいろ思う所もあります。

コミュ障は、いわゆるコミュニケーションの優れた、或いは得意な人たちが勝手につけたようなレッテルなのだと思っています。(事実かどうかは分かりません)その「コミュ障」というレッテルが、まだ相手方から一方的に付与されているのはマシなのですが(全然マシじゃないけど)、それが、入り込んでいた時が一番怖いのかなと思ったり。

というのも

木村覚さんの「笑いの哲学」という本を読んでいる時に、興味深い概念に出会いました。それが、デラルド・ウイング・スーが名付けた、「マイクロアグレッション」。マイクロアグレッション自体については、ネットに腐るほど情報があるので、詳しくは書きませんが、そのマイクロアグレッションに関連した、こんな文章がありました。

被害者のメンタリティは、自分が害を被っていると思うことに起因している。その際、被害者は望んでいない加害者側の価値観を内在化することになる。もちろん、そこに身体的ないし精神的暴力が存在していたり、明らかな偏見の意識が差し向けられたりして、傷つけられた気持ちになったひとにデリケートな配慮が必要になるのは間違いない。〔中略〕だが、そもそもの問題は「黒い肌はマイナス」と考える傾向にあるのではないか。(木村覚、2020、39)

実際に、害を被ってしまった人々が、被害者意識を持つのはもちろん無理もないことだ。しかしながら、その被害者意識というか、加害者の価値観を内面化すること、常に自分がダメだとか、変だとか思い続ける事は、ちょっと(ちょっとじゃないけど)危険なことではないのだろうか。

ワタシはそのような当事者の知り合いとかでも無いから、詳しく語ることは到底できないし、全くの無知に近いけど、とりあえず今は「コミュ障」に話しを近づけてみる。

(今気づいたけど、どうしても文章を書いていると、大学のレポートのようになってしまう。)

「コミュ障」は、他人に一方的につけられたものでしかないと思う。しかしそれが、いつの間にか自分の中の価値観として内在化してしまうと、いつまでも自分を苦しめてしまうような気がする。それは悪いとか、良いとかの問題では到底ない。というか好かろうが、悪しかろうが、それで苦しんでいるのは、健全な事態とは思えない。

人に否定されつづけ、その価値観がいつの間にか入り込んでいる。経験したことのあることだ。むしろそうやって自分を否定し続けることによって、否定される前に、既に自分で自分を否定することによって、そのように倒錯した優位性を保持することによって、精神を保っていたとさえいるかもしれない。よく覚えていないが。だが、健全であるとは言えないと思う。

コミュ障だから◯◯。

こういう人もいるかもしれない。別にそれを言おうがそうでなかろうが、究極的には個人の勝手なのだけれど。そう思っている、そう思わせている価値観やまなざしが、実は他者のそれを無意識的に内在化させたものではないかと、少し疑ってみてもいいのでないかと思う。自分を否定し続けるのはね、結構疲れるから。本当に!罵詈雑言を自分に吐き続けるとね、なんにもなくなるからね。

甘えるなとは言わない。ただ疑うだけだ。人を救えやしない。ただ不図したときに現れる自分を否定しているように感じられるあらゆるものを、自分の価値観としてアップデートしてほしくはない。それをよくやっているくらいなら、寝てよう。そして起きたら、疑うだけ。

めちゃくちゃ重大な事件とかついては、当事者になったことが無いから、コミュ障という話題に結ぶ着けてみたけど、そう遠くはないと思う。(疑っているどころじゃない人も、もちろんいるとは思うけど。)ただそれを語るほど偉くは無いし、踏み込むことも出来ないクソナードの弱虫なので、これくらいにしておこう。

自分の意見を見つけるのはめっためたにムズカシイ。だが、自分を否定してくるような意見に、無理やり痩せるように精神を規格化して、歪曲するのは、結構痛そうだから。あ、ちなみに綺麗ごとではないからね? そんなこと言う気露の玉ほどないから。アイディアリズムなんてユートピアを求めてこの文章紡ぎ出して無いから。そういうのは漫画の中くらいでいい。




今日も大学生は惟っている


引用文献

木村覚.2020.笑いの哲学.講談社選書メチェ


🔵メインブログ🔵

サポートするお金があるのなら、本当に必要としている人に贈ってくだせぇ。