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夢の続きを追っていい?

おっさん大学生を集めて、大学駅伝にチャレンジする。
私たちの壮大なようでちっぽけなチャレンジは、丹後大学駅伝19位という形でひとまずの幕を閉じた。その挑戦の意味、といったテーマでの振り返りについては、放送大学関西陸上競技部ホームページの部員ブログにつづった(そのうちこのnoteにも転載する)が、もう1つ駅伝が終わったら考えたいテーマがあった。

「そもそも、社会人がこぞって大学に入学して大学駅伝を走ることの是非」

このタイミングでこの記事を出すことについて、「後出しじゃんけんだ」とか、「保身だ」とかいう見方をされるかもしれないが、そのような意図は一切ない。ただ、応援いただいている皆さんにとっては面白くないテーマかもしれないこと、そして大学駅伝出場という目的を持ったチームの一員としてその出場すらできていない段階で是々非々を論じるのもまた違うなと思い、自分のなかで留めていた。(結果、コロナの影響もあり1年後ろ倒しになってしまった)。駅伝が終わってひと段落ついた今だからこそ、そして今後様々な議論を呼ぶ(かもしれない)テーマだからこそ、このタイミングで残しておきたい。
この記事の内容は、あくまで個人の見解です

1.丹後駅伝「19位」

19位。これが、私たちが1年半目指してきた「駅伝」の成績であった。私たちの活動は思いのほか反響を呼び、私の目に入る限りそのほとんどが肯定的な反応だったと思っている。広報として、知名度獲得のためにSNSやブログでの発信に力を入れた以外は、特別なこともせず、結果として本学学生やつながりのあった市民ランナーを中心に、応援の輪が広がっていった。一方、意外だったのが私たちを批判的に捉える声がほとんど見えなかったことである。(気づいてないだけ?)

2.想定していた「批判」

私は正直、この活動はよくて賛否五分五分くらい、なんなら否定的な声の方が大きいのではないかと思っていた。具体的に想定していた内容としては、ざっくりいうと、「学生の枠を奪ってまで、大の大人が自分たちのやりたいことを押し通すのはいかがなものか」ということである。そうした声がある程度耳に入る覚悟もしていたし、メンバーを集めるにあたっても、そのリスクはある程度丁寧に説明し、合意を得たつもりである。(多少記憶が都合のいい方にねじ曲がっているかもしれない。)

いうまでもなく、その批判は全うでしかない。そもそも、丹後大学駅伝に出場できるのは22校。私たちが仮に記録審査を突破することで、23校目の大学が泣きを見る。これに懸けてきた学生の4年間の集大成の場を奪う可能性もあるわけだ。

3.想定外の「好意的」な反応

結果としてほとんどそういった声は聞かれなかった。恐らく、以下の3点が主要な要因だと思う。
・知名度が低いため
・事実上、記録審査がなかったため
・私たちの競技レベルが低いため
知名度については、出場を目指していた「丹後大学駅伝」そのものの知名度が箱根駅伝の足下にすら及ばないこと、そして私たち放送大学 関西陸上競技部の存在がそもそも知られておらず、是非を問うほどの広がりを見せなかったことがあるだろう。もっと関西は注目されてもいいなあとは常々思っているが、それはまた別の話。記録審査については、最終審査に名乗りを上げた大学が「22校」しかなかったため、これにより落選した大学が出てこなかった。競技レベルの件は、少なくともシード圏内に絡まない限り次年度の丹後駅伝に何の影響も及ぼさない、結果論でしかないが、「学生の挑戦権を奪う」ことにならなかったので、大事に至らなかったといったところだろうか。

だが、もし落選していた学校があったらどうだったか、我々がシード権を獲得していたらどうだったか、(現時点ではほとんどありえないが)優勝していたらどうか。そこまで考えたときに、私たちの活動は今と同じ温度感で応援していただけるものなのか?応援していいものなのか?ここで立ち止まる方もなかにはいると思う。

4.何が私たちを止める?

とはいえ、我々がルール違反を犯しているわけではない。れっきとした大学に「入学」し大学生としての「籍」を保持し、また部として関西学連に「加盟」しその下で競技に取り組んでいる。少なくとも現行のルールで私たちを止めるものはない。(ありがたいことに関西学連さんからは、noteの駅伝特集にて、上位校に加えて私たちを紹介いただいており、どちらかというと肯定的にとらえてくださっている…と勝手に解釈している。)

そして、私たちを止める積極的な理由もない。チームとしてオーバーエイジの学生ばかりを集めている学校は見当たらないが、恐らく今年の箱根駅伝にも出場する可能性が高い駿河台大学の今井選手は、31歳、1度大学を卒業し、現役教師ながら、休業制度を利用して大学で心理学を学ぶ傍ら走っている。少し脱線するが、学連には大学院生も所属していたり、留年する者もおり、「5年以上」学生陸上を続ける選手も普通にいる。(そもそも丹後の場合、箱根のように「学部生と院生は別チームとして扱う」との制限が入れば国公立大学はすべて順位を落とすだろう。)
また、箱根駅伝を目指す学生でも残念ながら単位が取れず、留年、あるいは卒業できなかったという話もよくある。大学に4年間在籍した後「高卒」枠で実業団に所属する選手もいるくらいなので、卒業を前提にせず学生陸上の舞台に身を置くのはどうなのか…とも言いづらい。

でも、やっぱりこれだけ考えても否定的な声がなくなるとは思えない。極端だが、それ自体を受け入れられなければ、ここにいる資格はないとも思う。それだけややこしいことをしているという自覚はある。雑に表現してしまうなら、ここに残るのはルールではなくモラルだけの問題であり、私たちの挑戦はある意味モラルを欠いた挑戦といえるのかもしれない。

これは弱肉強食的な言い方であまりよくないとは思うが、私たちを止めたければ実力で上回ればよく、ある意味それが学生陸上のあり方でもある。現時点で関西陸上の水準は数年前と比べるとむしろ低く、これをきっかけに関西のレベルが少しでも上がって私たちが予選落ちするなら、それはそれで、個人的にはうれしい。

5.「ルール」とはなんなのか

ルールというのはときに曖昧で絶対的なものではない。伝統のある箱根駅伝ですら幾たびものルール変更がある。駒澤大学の大八木監督が4年生時、当時定められていた年齢制限を事由に箱根駅伝に出場できなかったのは有名な話。また、学連選抜の選考基準についても、かつて東京大学に所属していた近藤選手が、4年生時に箱根駅伝に出場したが、3年生時点でのルールだと彼は出場資格を得られなかった。のちにルール変更があり、結果出場することができた。(もちろん憶測でしかないが、そのルール変更は彼のためではないかとも囁かれている。)当然に、私たちに対する否定的な声が大きくなれば、何らかのルール変更が検討されてもおかしくないだろう。

6.今後の議論の余地

今後、ルール変更がある可能性はあるのか。こればかりはわからないが、個人的にはその可能性はかなり低いと思う。何らかの形で「通信制」の学生に制限がかかる可能性も否定できないが、「通信制の学生は学生ではないのか」という論点になる。「年齢制限」についても同様。私は浪人経験がないが、多浪して希望の大学に入りたい人だっている。大学院生だっている。何歳で制限すれば、そうした人たちの思いを踏みにじらずに納得のいくルールとなりうるのか。もちろん、全員に受け入れられる100点満点のルールなどなく、どこかを立てると他のどこかが立たなくなるものである。選択とは何かを選ぶことではなく、「何かを捨てること」なのだ。

自分でいうのもおかしいが、私たちの活動が、絶妙にセンシティブかつ曖昧なところをついてしまっているのも、また事実である。そして、こんな記事をさらりと書いてしまうあたりが、主務に「お前が一番思想やばい」と思われる所以なのだろうか。

7.おまけ

こんな感じで書いていきましたが、好き勝手させてもらった関西学連さんや加盟校の皆様には、何らかの形で恩返ししたいなと思ってます。ついでに記事中に出てきたブログを紹介しておくので、興味があればどうぞ(笑)

▼放送大学関西 部員ブログ(私の駅伝振り返り記事です)

▼関西学連さんのnote(放送大学関西 紹介記事です)


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