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君はあの人になれない。しかし、あの人も君にはなれない

子供の頃は運動神経。10代は顔の良さや話の面白さ。20代は学歴、年収、仕事のスキル。常に他人の人生が羨ましかったし、ずっと自分ではない他の「誰か」になりたかった。
しかし、どう足掻いても他の「誰か」にはなれないと気づいたのは、今の会社に転職してからだった。

手伝ってもらっても「ありがとう」ではなく「すみません」

転職した会社は優秀な人が多く、尊敬出来る人が何人もいた。
性格も穏やかな方が多く、会社では「スキル」だけではない「人格」部分も大事にしていた。転職当初は「よく自分が入社出来たな」と、どこか醒めた頭で思っていた。

業界未経験で営業として入社したが、当初は仕事があまり上手くいかない日が続いていた。そもそも「法人営業」の難しさをあまり理解せずに入社したのも大きい。
僕の仕事内容は、お客さんと商談をして、要望をヒアリング。その内容を社内の人間に伝え、一緒にお客さんの要望を叶える。
法人営業はステークホルダーが多く、案件金額も大きい。職種、業界共に未経験であり、知識がない中、専門用語について行けず関係者との調整も上手く行かなかったり、申し訳ないと何度も思った。

おまけに当時の僕の上司は、営業、人事、広報も兼ね数年後役員になるほど仕事が出来る人だった。コミュニケーション力が高く、ロジカル。仕事が速く正確。何回生まれ直しても追いつけない、と思う事が多かった。

周囲や上司との比較から「自分がこの会社にいてもいいのだろうか?」と考える日も増える。その意識は普段の言動や行動にも出てしまう。

手伝ってもらっても、「ありがとう」ではなく「すみません」。
褒められても「いやいや、、」と素直に受け取れなかった。

謙虚さと卑屈は違う。と分かっていても、反射的に自分を卑下する言葉が出てしまう。「劣等感」「他者との比較」が原因だとは分かりつつも、口癖として染みついた言葉はなかなか拭えない。

人を頼るのも下手だった。困っている事を素直に伝えれば、すぐ解決出来る問題を自分だけで抱え込む事も多かった。仕事には懸命に取り組んでいたが、今から振り返ると、多くの人に手間を掛けていたと思う。

上司は時折気にかけてくれていたが、何となく相談する事すら引け目に感じる日々だった。

営業から突然の部署異動

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ただ、なんとなく自分の事をそれとなく、褒めてくれる同僚がいた。
彼は営業だった自分と仕事を組むことが度々あり、彼との仕事は楽しかったのを今でも覚えている。
新卒入社して20代半ばぐらいの明るく、飄々とした雰囲気を持つ、どこかつかみどころがない男だった。

「さとうさんは不器用なとこがいいですよね」
「さとうさんから、仕事の美学感じます」
「社内で一番熱いですよね」

こんな事も時々言ってくれて、なんとなく気が合った。
僕からすれば、彼も不器用で熱い心を持っており、その不器用さが好きだった。

入社して、半年が過ぎる。
営業として、多少仕事には慣れたものの、まだコツを掴んでいたとは言い難い状況が続いていた。

ある日サイトリニューアル&コンテンツマーケティングのPRJにアサインされる。以前のライター経験を買ってくれた上司が任せてくれたのだ。営業との兼務で動いていたが、「書く」仕事は性に合った
ひょっとしたら、適性を上司が見て判断したのかもしれない。

コンテンツだけではなく、サービスサイトのコンセプト文も任せてもらえるようになった。営業からマーケティング室の部署へ異動が決まり、お客さんを他の営業に引き継ぎ始めた時期だった。

さとうさんは○○さんになれませんよ

ある日、その同僚に誘われ会社の最寄りの居酒屋に飲みに行った。
お酒が進み、普段の仕事に関する事からプライベートの事まで話した最中で異動の話になった。

「異動する事になったけど結局、あんまり役に立てなかったのかもなー」

こんな僕の一言から始まったと思う。

「一生懸命仕事してたじゃないですか。そもそも焦り過ぎなんじゃないですか?入社してまだ、半年過ぎぐらいじゃ、まだまだそんな活躍出来ませんって」
「それでも、もう少し出来ると思ってたんだよね」
「でも、これから新しい部署じゃないですか。しかも立ち上げですし」

当時の自分は営業として自分がダメだった、努力不足だったと思っている部分も少なからずあった。
実際、自分のライティングやコツコツ地道に取り組む資質を評価されて部署異動になったものの、他の人と比較してしまっていた。

「○○さん(上司の名前)みたいにやっぱなれないよなー。半端なく頭いいし、仕事速いし、兼務しまくってるし、一生追いつける気がしない」
さとうさんは○○さんになれないですよ

慰めてくれるものだと思っていただけに驚いた。ただ、この後に言葉は続く。

ただ、○○さんもさとうさんになれないんですよ。違う人間なんですからさとうさんは○○さんの営業スキルに憧れてるかもしれませんけど、○○さんには、さとうさんみたいな文章は書けないじゃないですか

僕は、僕にしかなれない

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僕は田舎の長男として生まれ両親に期待されて育った。
当時の学校教育もテストでの点数による評価だったため、そのテストで高得点を出す事が自分の未来に繋がると思って生きていた。

与えられた問いに対していかに正解を出すか。いかに間違わないか。
他者と比較して、いかに優秀であるか。

無意識の内にこんな価値観が自分の中に根強くあったのかもしれない。
しかし、他者との相対評価で生きると苦しいのも、実は分かっていた

評価を比較軸に持っていくと、自分の価値が他者ありきになってしまう。上には上がいるため、何をどこまでやっても満たされない。
だから、常に自分より上の人間と比較してあの人みたいになりたい、と思ってしまう。

しかし、僕は僕になるしかない

そもそも、誰かになりたくても、他人が羨ましくても、自分が嫌いでも、自分は自分にしかなれない

僕は、コミュニケーション力はそこまで高くないし、どちらかと言うと控えめな性格だ。外交的よりも内向的。頭の回転も速くはないし、数字にも強いとは言えない。持っていないものはたくさんある。

ただ、文章を書いたり、情報欲が強く、アンテナを張るのは得意だ。その結果、今の職種に辿り着いた。

自分としっかり向き合うと「自分にしかないもの」もたくさんあった

持っていないものに落ち込み、持っているものには目を背けない。
自分は傲慢だったのかもしれない。

しかし、今は少し違う。自分の存在と向き合い、自分自身の輪郭を受け入れている。

「さとうさんは○○さんになれないですよ。違う人間なんですから。ただ、○○さんも、さとうさんにはなれないんです」

この言葉は冷たく聞こえるかもしれないが、自分は自分にしかなれない意味の裏返しだ。

僕は、他の「誰か」になれず、僕にしかなれない。

本当の意味を知ると優しい、希望にも思える。






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